私だけの「真実」
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「人に無様な姿を見せてはいけない」
私はずっと、常にそう思って生きてきた。
何をするにも頭の中にこれがあって、少しでも恥ずかしい姿をさらす危険があれば、「行動しない」ことを選択してしまってきた。
同時に、無意識の領域には、これまた常に「人から受け入れられたい」という願望があって。
何とか行動に移せたとしても、「どうすれば、人から受け入れられるか?」という視点にしか立つことができず。
やりたいことがはっきりとあっても、「こんなことをしたら受け入れられないのではないか?」「もしかしたら嫌われるかも」と、自分に正直な選択ができずにきた。
さらに、せっかくインスピレーションを受け取っても、それを信じることができず、わざわざ疑って裏付けやエビデンスを求めてしまい。
結局、立ち止まっては、機を逸してばかりいた。
運よく「これなら大丈夫」と思えたとしても、やはり立ち止まって「ホントにそうだよねぇ?」と、こんどは誰かに確かめたくなってしまい。
結局、八方塞がりのままどこにも行けず、同じ場所に留まり続けてきた。
特に、名乗る必要のないネット界隈で「エビデンスを出せ」と、人に食って掛かっている場面をよく目にするけれど。
私も延々同じようなことをやり続けてきたから分るのだけれど、人に食って掛かってしまうのは、自分自身を信じられていないから。
そもそも「権威」なるものに対しての信頼すら揺らいでしまっているいま、180°真逆どころか360°全方位を網羅してまだ余るほど錯綜している情報の、どれが正解かなんて確かめようがない現状の中で。
じゃあ、いったい何を信じればいいのかって言えば、やっぱり自分しかないのですよ。
だって悪意を持っている人ほど、耳に優しい言葉を並べてすり寄ってくるって、私たち知ってしまっているし。
一度、疑いを抱いてしまえば、どこまででも疑えてしまう状況が整っちゃってもいる。
だったら自分で調べて、自分で比較して、自分で選択して。
一人の人を、まるっと全部、信奉するのではなく。
トピックごとに、ピンとくるとらえ方を探して、さらに自分なりにアレンジを施して。
自分オリジナルの「真実」をつくりあげていくしかない。
そういう時代に、もう既になってしまっていると、私は思っている。
でね、大事なのは。
自分で見付けた真実が、近しい人と同じじゃなくても、それはそれでいいってこと。
自分と違う真実を持っている人を排斥したり、価値観を押し付けたりする必要なんて、ない。
いやこれ、私が圧倒的マイノリティだから、言ってるわけじゃなくって。
どうやらそれが「互いに尊重し合う生きかた」ってもの、らしい。
私もようやく、最近になって腑に落ちたので、せっかくだからシェアしとこうと思う。
干渉せず、互いに尊重し合って、周りの人と気持ちのいい関係を築けるような私に、早くなりたいなぁ。
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