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自立とは?

来週の火曜、11月5日は、人類の「解放記念日」だそうです。
ただ米東部時間なので、日本時間でいうと今日を入れてちょうど1週間。
このあいだにいったい何が起きるのか、まったく読めませんけど。
いずれにしたってこれ、ショーなのでね。
どうなるか分らないからこそ、楽しめるわけです。
ですから、何が飛び出すかわからないワクワクをただ、楽しめばいいんだと思います。
起きたことを前にして「どうしよう?」なんて考えるんじゃなく、「うっひょーー!スゲェな」くらいの反応でいい。
それっくらい私たち、未曾有の経験をしてるんです。
「うまく対応しよう」なんて、考えるだけムダで…。
「この目でしかと見届けてやろう」って、高みの見物を決め込めれば、それだけで100点満点なんだってことです。

さて、話は変わりますが。
今日は、宇宙からの目覚めのエネルギーが最強になる日なんだそうです。
そのおかげか、今朝ムッチャ根本的なことに気付きました。
私これまで、母親に対し求めて求めて得られなかったものを、代わりに他者に対して求めてきちゃったんだなぁって。
何を求めてきたのかというと、「理解して、受け入れてもらう」ってことです。
言葉にするとムッチャ単純だけど、相手にこれを求めちゃうと、人との関係って苦しみしかなくなっちゃうんですよねぇ。
だって私たちは例外なく、誰もが唯一無二の存在なんだから、何から何まで理解し合うことなんて不可能なはずなんです。
いや、もしかしたらできるのかもしれないけど、それってとんでもなくレアケースであって…。
そんなレアケースを基準にしちゃうと、やっぱり執着が生じて、苦痛ばっかりになっちゃう。
むしろ相手との違いを認め、それを面白がれなきゃ、安らぎを見出だすことはできないんです。

だけどね、ひとつだけ例外があって。
本来、親との関係であればこれ、求めてもいいはずなんですよ。
特に7歳までの子どもは、親からこれが得られないと「自己」ってものを確立できない。
つまり、自分に対して「存在していい」って許可を、与えられなくなっちゃうんです。
私自身がそうでした、どこへ行っても「私、ここにいていいのかな?」って、落ち着かない気分になってた。
だから相手にそんな意図はなくとも、自分で勝手に疎外感を感じてしまってたんですよねぇ。
なのに、それでも目の前の相手に、親から与えられなかったものを求めてしまっている自分がいた。
「私を理解して」「私を受け入れて」って…。
苦痛しか得られないのは分ってても、求めずにはいられなかった。
いまにして思うと、単純に、それ以外のやりかたを知らなかったからなんでしょうねぇ。
あと、自分のアイデンティティを確立できてなかったから、外側に求めるしかなかったっていうのもあるかなぁ。

それでも幸いなことにカウンセリングを通し、ちょっとずつちょっとずつアイデンティティを構築してきて。
いまでは外側に求めることなく、だいぶ自分の内側だけで処理できるようになってきました。
そして今朝、ようやく全体像が見渡せて「あ、私まだ求めちゃってたんだ」って気付いたんです。
こころの奥の奥、底の底で知らずしらず、まぁだ母親に「受け入れられたい」って求めてる自分を見付けた。
もういないのに、まーだ求めてた(笑)。
で、それに気付いたうえで至った結論は「もう、いらないや」でした。
親を反面教師として、学んだことはたくさんあるけれど。
学べることはみんな学んだから、もう十分。
これからは自分で、自分を支えて生きてゆきます。
そうか、自分だけで何もかもできるようになることじゃなくて。
こんな煮え切らない自分にも、ちゃんと気付いてあげられることが自立ってものなのかもね。
だってどんな自分も自分、大事な大事な、尊重すべき存在なんだから__。

そんなわけで、今日はここまで。
もしも最後まで読んでくれた方がいたなら、ありがとうございました。

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