迫りくる「変化」
とても静かなクリスマスですが、そんなことはどうでもよくて。
いま、世の中がこんなにも大きく変わろうとしていることに、どれほどの人たちが気付いているんでしょうか?
2割?3割?いや、もっと少ないのかなぁ。
少なくとも、私の周囲にはまったく存在してる気配はありません。
いや私、立ち話ができる人すら数人なんでね、もしかしたら近くにはいるのかもしれませんけど。
変化が差し迫ってることを把握できてる人と会話できる機会は、まったくない。
もちろん、私以外の全員がマスクしてたころよりはだいぶ、マシな状況にはなりましたけど。
トランプさんが選挙に勝ったのにも関わらず、身の周りに、気付いている人が増えた感覚はまったくなく。
トランプ改革の道筋が明確になってくればくるほど、私の中で変化への確信が強まれば強まるほど、この「多勢に無勢」状態に圧倒されそうになっている自分がいます。
たぶんこれって実際に、引っくり返りが起こってしまえば、笑い話にできちゃうような話なんだろうなぁとは感じてるものの…。
どうしてなのかなぁ?って不思議で、ここ数日、そのことについて考えていたので。
今日はせっかくだからその結果を、ここに書いてゆこうかなぁと思います。
まず、私これまで、いま起きている「変化」を近しい人に伝えようと、それなりに頑張ってきたんですよ。
でも、その頑張りが、報われたためしがないんですよねぇ。
どうやっても伝わらないどころか、こういう「視点」の相違って会話をしてく中で、なぜか対立構図になってしまうことがほとんどなんです。
だからこのところ、伝えようとすること自体をあきらめてしまって、人と会ううときはなるべく当たり障りのない会話ですませようとしてる。
けど、これってプレイしてるゲームの内容はいっしょなのに、まったく異なった背景にいるようなもので。
いわば「世界観」が、まるで周囲の人たちと乖離しちゃってるんですよねぇ。
つまり私の側は、切り替わりのタイミングで苦労はあれど「これから世界はどんどん良くなってゆく」って前提で未来をとらえてるのに…。
周りの人たちは良くなってく未来なんてぜんぜん見えてないから「ますます悪くなってくばかり」の前提で未来を語る。
だからそもそも、話が合うわきゃないんです。
でもね、そこで合わないなら合わないで、思ってもいないことに白々しく「そうですねぇ」って言えちゃえば問題ないんです。
「そうですよねぇ、良くなる感じはしないですよねぇ」って、相手に合わせられれば対立にはならない。
でも私、どうしてもそれ、できないんですよ。
思ってもいないことには、どうしたって賛同できない。
だけど、自分のエネルギーを浪費してまで「伝えよう」とも思えないから、つい「言っても分らないしなぁ…」ってあきらめの言葉が口を突いて出ちゃう。
…というか、それしか言うことがなくなっちゃうんです。
そうすると「自分は人より理解力がない」ってブロックを持ってる人は、いきり立っちゃうんですよねぇ。
「分らないとは何ごとだっ!」って、一方的に攻撃してくる。
巡り巡って結局、対立構図になっちゃうんですよ。
「それ、あなたの中の処理してないブロックの問題で、私とは関係ないですから」なんて言えないし、ねぇ。
あるいは、酒の席では特に「悪くなる一方」のメンタルの人は必ず、愚痴を言い出しますから。
そんなときに私がうっかり「もうすぐ世の中が変わりますから大丈夫ですよ〜」なんて口をすべらせようものなら「はぁ?」って感じで、さげすむような目を向けられる。
それが、私にはいちばん効くというか、苦痛ですねぇ。
勇気づけようと思って言ったのになぁ、って…。
ここのところ、そんなようなことがちょいちょい続いたので。
やっぱ、人間関係のところにブロックがまとまってある私には、響いたのかもしれません。
で、ちょっとメンタルが、不安定になって。
そのせいで「もう引っくり返るでしょ」って確信が強まれば強まるほど、「私がおかしいのかな?」って不安がつのっちゃった。
いまは、だいぶ回復してきましたけど。
確実に引っくり返るまでは、なるべく人と関わらないようにしようと、改めて思った次第です。
だって私たち、どう考えても分が悪すぎますもん。
では、今日はここまで。
もしも最後まで読んでくれた方がいたなら、ありがとうございました。