「隠れ虐待」のnoteが母にバレた話(隠れ虐待と母との記録2)
「隠れ虐待」のnoteが母にバレて読まれてしまった。
足らない文章にはなりますが、書きます。
(過去エッセイをお読みでない方へ前提として:私は高熱の病気で入退院をしている。今は元気。また毎日このようなエッセイ的記録をしているが公開はほとんどしていない)
それは記事をあげた三日後の夜だった。
私は大学の後輩と二人でお酒を飲むのに、都内の飲み屋街にいた。
その日、母から何本も無言電話がかかってきていた。
何かよくないことが起きているのはわかる。
まさか記事がバレた?いやそんなはずはない。
ネットに疎く恐怖すらしている母は、私のネットの記事など見つける手段を持っていないのだから。
そう思っても不安は消えない。
後輩と鳥貴族の階段を登っているとき、母からLINEがきた。
「ぼろあぱーと」
一言、ただそれだけだった。
不安が、覚正に変わる。恐れていた事態は的中だった。
私から電話をかけた。
だが出ない。
かわりに、「ぼろあぱーと」から堰を切ったように、パニックを起こしていることがわかる長文のLINEがたくさん送られてきた。
どんどん来た。
全部、ひらがなだった。
何回かで電話は繋がったが、声はまったく聞こえてこない。
母の息づかいだけを感じる。
母は10分ほど黙ったままだった。
私もさすがに少し動揺していたので、最初どんなことを言われたかは覚えていない。
とにかく母は、発狂していた。叫び、泣き、過呼吸を起こしていた。
「死にます」
「全部私が悪いんだね、姉ちゃん(私)が高熱の病気になっちゃったのも、全部私のせいなんだね」
「恥ずかしくておもてに出られないぃ!」
「必死に隠してたけど私病気なの!必死にやってるけど死んじゃうかもしれないの!もう死んじゃうね~~!(更年期のことらしい)」
「死のうと思うけど私にはやることがあるの!死ねないの!」
それは明確な怒りに変わっていく。
「親の悪口をネットに書くなんて!」
「一生懸命育てたのに、虐待だってよ、ぎゃっはっは」
「へ~私そんなことしてたんだね~!してないよねぇ!?」
「誰が学費を出してると思ってるんだ、え?!」
「またヒステリーだと思ってるんだろぉぉぉお!」
「死ねばいいのかよぉ!!」
上京してから聞いていなかった母の雄叫び。久々だ。
なんとか心の底に封印した過去の思い出が一瞬でフラッシュバックしてくる。
自分が積み上げてきたものがガラガラと崩れ落ちていくのを感じた。
私はこの文章を書き公表することで、
ちょっとずつ忘れようとしていた過去に取り返しのつかないトラウマを上書きし、母を傷つけた。
自分の行動で。
そして自分がやっとやっと手に入れた家族の平穏を、一瞬でぶち壊してしまった。
母の叫びを延々と聞き続ける。
母の怒号と泣きわめく声と、酔っぱらった若い男性たちのはち切れんばかりの笑い声が混ざる。
ここはあの田舎じゃない。都心の飲み屋街のネオンがあまりにも眩しい。
周りに電柱すらまばらなあの田舎で、小さい頃の私はよくこれに耐えていたなぁとぼんやりと思う。
まだ母は叫び続けている。
狂ったテープのように、決まったいくつかの文章をランダムに反復している。
彼女の叫びから読み取れた彼女の感想としては、
書いてあるようなことは私はしていない。(全くしていないと言葉にはできない)だけど私はダメな人間だから、どうせ全部私が悪いって言うんでしょ、といった具合かと思う。
そうか、していないのか。
なるほど。と思った。やっぱり私の妄想だったのか。
以前と変わらず、私の声は届かない。もう今回の記事のこととは関係ない「私は隠してきましたが病気なのです死んでしまうかもしれません」などとを呪文のように唱え続けたりもしている。パニックで被害妄想や虚言を繰り返すこの感じも久しぶりだ。
「今どこ?」「お父さんは近くにいる?」「どこでそれ読んだ?」という問いかけももちろん耳には入っていない。
まず、母と電話を繋いでいてもキリがないので、父が近くにいたら先に事情を説明しようと思った。
でも正直それより一番頭を占めていたのは「なんで母に見つかってしまった?」という疑問だった。頭をフル回転させるが心当たりがない。
後にわかったことなのだが、母はエゴサーチで「隠れ虐待」の記事に行き着いたらしい。
めっぽうネットに弱くSNSなど知らない母が私のTwitterのアカウントを探し出せたのには種があった。
私は過去、ツイートが2回ほど広く拡散されたことがあった。
そのとき、地元の若い人たちにもツイートが目に触れ、アカウントがばれていたようだ。その噂はあっという間にその親世代に伝わり、その親たちが私の母に「これってえりちゃんだよね??」と詰め寄ったそうだ。
その人たちによって検索の仕方、Twitterの知識と私のアカウント名を吹き込まれた母は、私の名前を定期的にエゴサーチしていたようだ。そこで私が数年前に本名を打ち込んだTwitterの診断メーカーのツイートを見つけ、そのリンクで記事を読んだのだという。
甘かった。絶対に母の目に触れないと思っていたのは爪が甘かった。恐るべき村社会コミュニティ。完全に侮っていた。
こんな事情があるほど両親の住んでいる実家の地域は超のつく田舎で、今も平成も終わるとは思えない村社会を形成している。
ここが実家を出たことがない母の、唯一の居場所だ。
彼女の一番の恐れは、この記事が地域の誰かに読まれることだった。
「町の人がみんなもう(私の)名前で検索して読んでるよ!」
「○○さんちも○○さんちも見てる、あの家そうだったんだってみんな思ってる!この田舎でもう生きていけない!わからないの!?」
「(私の)病院の先生ももう読んでるんだ!絶対そうだ!」
「とにかくすぐに消して!!」
こんなことをまた何十回と呪文のように繰り返す。
「消して!」と、母は叫び続けた。
起きてしまったことは取り返しがつかない。
不思議と頭は冷静に対処を考えている。
私は急速な選択を迫られていた。
noteの文章を母への告白として、このまま母の心を殺して家族を諦めるか。
自分を殺してでも、母を、家族を繋ぎ止めるか。
その日は私が出先だったのもあり、母が少し落ち着いて電話を切った。
次の日の朝7時。また電話がかかってきた。
眠れなかった頭を切り裂くような、強烈な金切り声が響く。
「あれ消してくれたよね?」
「恥ずかしくて仕事に行けないんだけどどうしてくれるの?!」
「後ろ指さされてもう生きていけないね~~~!」
「もう出る時間なのに!もう行かなきゃいけないのに!そとに!出られない!」
「寝られなかったんだよ!泣き腫らして目真っ赤で仕事行けねえよ!どうしてくれんだよぉぉ!」
彼女は、私が泣き腫らして眠れない夜をあれから何年も繰り返していることを、知るよしもない。
それでいいのだ。
「ごめんなさい」
多少棒読みだったかもしれないが、彼女の耳には入っていないのであまり関係ない。
選択の答えは出ていた。
私は母に、言った。
「あれは作品の企画として複数人で書いたもので、作り話です。
書いたようなことはされていないし、
書いたようなことも思っていない。こんなに立派に育ててもらって虐待だったなんて、思うわけない。不満なんてあるわけがない。
あの記事は私は消せないけど、運営にお願いしてなるべく早く消してもらう。
紛らわしいことを書いて、ごめんなさい」
完全にものの理解ができなくなっている母にはこれくらい大雑把な嘘でいい。
私が選んだのは、後者だった。
私は、自分を殺して、母を、家族をなんとか繋ぎ止めることに決めた。
私はそれまで
「もう、お母さんたらあんな記事本気にしちゃってふふ」くらいの軽い口調を努めてヘラヘラとしていたのだが
「私は、つら・・・」
まで口に出したところで、ガッと胸を殴られたような衝撃で、息が出なくなった。
私は今から、本当の嘘をつく。
一生、自分に嘘をつき続ける。
私は、本当に、この過去を、過去に耐えた自分を、この長い長い時間を、なかったことにする。
私は、絞り出した。
「私は、辛かったことなんて、一度も、なかった。
私が、お母さんに与えた苦しみに、比べたら、
私が、闘病している時間だって、少しも、苦しく、なかったし、
お母さんといて、嫌なことなんて、一度もなかったし、
私は、苦しんだことなんて、一度も、ない」
涙が出ていた。
言いながら
「苦しかった、苦しかった、苦しかった、辛かった、辛かった、辛かった、耐えた耐えた耐えてきた」
と心が言葉に抗って大暴れしてるのがわかった。
言葉に反して心から溢れてくるその衝動に、心が耐えられなくなって涙になって溢れたのだった。
泣いたら終わりだと思っていたので悔しい。
母の声がギリギリ聞こえるくらいにスマホを顔から離して、必死に声を押さえた。
「それなのに、紛らわしい文章を書いて、
お母さんを、こんなひどい思いにさせて、ごめんなさい」
人に平気でうそをつく私が、こんなに口から出すのが難しいうそがあったとは。
知らなかった。
私はこれから、狂う母に「書いたことは作り話だ」「あんなことは一切なかった」「苦しい思いなんてない」
「なかった」「なかった」「なかった」「なかった」
と吹き込み続け、なんとか母が死なないように、少しでも平静に近づけるように生きていく。
私が泣いている気配に驚いて少し冷静になったのか、母は父に電話を代わった。
私はなるべく平静に父に対した。
「ごめんなさい。母さん、何か勘違いしてるだけだから。勘違いさせちゃって」
父はゆっくり言った。
「こっちはきっと大丈夫だから、とにかく、お前は自分を見失わないで。自分を、見失わないで」
捲し立てる金切り声を聞き続けた後に聞いた、父の低く穏やかな声に、今にも泣きじゃくり初めてしまいそうだった。
うずくまってお腹に力を入れて、一切の涙と嗚咽を体内に押さえる。
「私、もう熱出ないから。お母さんが嫌なら、会わないし、お母さんがいいようにするから。お母さんの死んじゃう病気のこともいっぱい聞くから、お母さんがいいことしか、しないから。私はもうなにも、いいから。」
「えりちゃんは、独り暮らしだから、きっとどうにかなっちゃうんだよお」
少し心配を絞り出した母。私のことをねーちゃんとしか呼ばない母が、私を名前で呼んだのは、私の緊急入院以来だろうか。
その名前を呼ぶ声に反応して、反射で涙がでたのは、少し情けない。
「あれはすぐに消すからね」「消す」「消す」「消す」一ミリでも伝わるように、約束を念じるように何度も言って、母の出勤時間になって通話は終わった。
それから私は、毎日母からくる連絡に、「なかった」「なかった」「なかった」と繰り返し言い聞かせている。たぶん届いていないけど。
母とのやり取りも全部書ききれているわけではない。もっといろんなことを言われたが不思議と思い出せないのだ。
記録はとりあえずここまでにすることにする。
なんらかの形で、このことは最後まで書ききるつもりだ。
私は今、自分を見失っているのだろうか。
過去をなかったことにして母を家族をもう一度元に戻すと言っておきながら、私はこの記録をいつもの記録帳ではなく、わざわざnoteの下書きに記録している。
これをあなたが読んでいるということは、私は記事を消すどころか、このことの記録すら公開してしまったということだ。
本名でのエゴサーチだけできないようにはしたものの、この記録を公開するならあくまで誰でも読めるようにしたい。
この記事を母が発見して読んだら、もう親子の関係は完全に崩壊するだろう。
母は病みきり、少なくとも病気になって、死を目指すことは目に見える。最悪読んだ瞬間取り返しがつかなくなる。
必死に育てた娘が、母を傷つけ、嘘をつき、また約束を破って裏切るのだから。
私自身だってまたネットで誹謗中傷を受けるのは避けられない。
ひどいことを書いているものだ。こんな内容でなくとも自分の本性のことなんて書かれたくない。田舎での世間体を命に生きてきた母のもと、当事者の自分達すら見ていないふりをしてきた暗黙の家族の話。だから生まれて今まで1度も口にしてこなかったのだし。
ただもうここまで来たら書く。今消したら自分と家族をより傷つけるためにこれを書いたことになってしまうから。
どうか私が公開のボタンを押しますように、
いや、押しませんように。
これを書いている間に、ピロンとスマホが鳴った。
父からのLINEだ。
今の母の状況でも伝えられてくることを覚悟し、そっとそれを開いた。
「笑って」
一言、ただそれだけだった。