劇団森 新入生へのブログバトン⑦
どうも、246です。劇団森2年代だそうです。
そしてもう新歓の時期。なんとも早いものですね。
中高六年間はすっかり離れていましたが、思えば小さい頃はよく演技をしていました。保育園のお遊戯会でおじいさんのモノマネをしていたのがつい昨日のことのようです。
それから、小学6年生時の学芸会。そこで王様の家来の兵士役を演じたのが、入団前最後の演劇経験でした。
奇しくも劇団森に入団後、初めてやった役も新人公演での兵士役でした。一、二個しかセリフはなかったのですが、代わりに、新人公演では結構な数の劇中音楽作成を任せていただきました。
そもそも、劇団森に入った直接の理由は、偶然授業が同じになった高校の友達に「俺の劇に音楽をあててくれないか」と誘われたことでした。
音楽がなければ、私はここにいなかったかもしれません。
ダンス曲や時代劇、軍歌に卒業ソング風の曲など、自分では作らないようないろんな曲調のアレンジにチャレンジすることができました。
小屋入り中(公演の準備のために劇場を貸し切っている期間)は自分の作ったBGMに合わせて同期が舞台の上で歌って踊るご褒美空間をひたすら享受しておりました。
大抵自分の曲はボカロか自分で歌っていたので、誰か別の人の力が加わって舞台として完成される、その体験がなんとも感動的でした。
初めて名前のある役で舞台に立ったのは3月の本公演。完全にコメディな役でしたが、大好きな先輩と喧嘩したりラップをぶちかましあったのはいい思い出です。5月の新歓公演では、サンショウさんという上位存在的な役をやりました。どちらの役もあまりリアルな人間ではなかったため、楽しく役者をすることができました。
本公演と新歓公演、どちらも参加者募集型。誰でも出たいといえば出してもらえる年に二回きりのチャンス。どんな役がやりたいかも結構反映してくださるので、みなさんも思いっきり楽しんでくださいね。
学生演劇の大きなメリットの一つは、推しと知り合いになれること、そして知り合いが推しになることです。
あまり全体を把握しているわけではないのですが、早稲田演劇にはとにかく面白い人(funnyもありつつも、よりinterestingという意味で)が多い印象です。
彼らは単に受動的に「見られる」ということに慣れているだけでなく、もっと能動的な「見せる」という感覚が、身体に染み付いているように見えます。
噛み砕いていえば、心を開くのが上手いのだと思います。
このような表現力は、そのまま演劇の才能とも直結しています。
演劇は一人では作れません。脚本家も演出家も、誰もその空間を完全に支配することはできないのです。
役者が脚本家と演出家を信じるしかないように、脚本家や演出家も一度舞台上に送り出したら、あとは役者を信じるしかない。
演劇は、表現する上で他者を受け入れなければならない圧倒的な不自由さと、それゆえに大きな可能性に満ちた世界なのです。
そこで生き残るには確固たる価値観を抱えるだけではなく、その美しさや確かさを相手に伝わる形で示す必要があります。決して押し付けたり、または自己の殻にこもるようなことはせず、ただひたむきに進むのです。
このようないくつもの表現が衝突を繰り返しながらエネルギーを溜め、やがて舞台上に現れていく様は、まるで星の誕生に立ち会っているかのようでワクワクします。
この壮大な営みが、すぐ走り去ってしまう一瞬の閃光なのだと思うと、私はもうここから目を離したくなくなってしまうのです。
そう思えるものが、私にとっては演劇でした。
もしかしたら、全く別のジャンルの別のサークルに入っていても、私
は似たようなことを言っていたのかもしれません。
けれど少なくとも、劇団森という選択肢が、私にとって確かな正解であったということが、皆様に伝わっておりましたら幸いです。
そしてどうかこの貴重な青春の一幕で、心躍る未知との出会いが皆様に訪れますように。
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(写真3枚目撮影:コトデラシオン様)
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