2022.03.05 【作品に寄せて】@ 西田かをる
この世で、「見るのができないもの」ってなんでしょうか。
「自分」です。
当然、反論ができます。「鏡を見れば良いじゃないか!」
そのとおりです。でも、鏡で見る自分と、写真で見る自分って、違いませんか?「お風呂上がりに鏡で見る自分はバッチリなのに、人に撮られた写真の自分は超ダメ…」って経験、みなさんありますよね?
(え、「インカメで確認しつつ、加工アプリで撮るから、いつでもバッチリ」?そ、そっか…)
自分が自分をみるときと、他者が自分を見るときって、全然違うものが見えてるんですよね。
しかし、「他者が見てる自分」が本当の自分だ、と決めることもできません。
誰の目にもフィルターがかかっています。たぶん、私の親は私に「我が子」というフィルターをかけているから、多少は可愛く見てくれてると思いますが、仕事場の同僚は同じようには見てくれていないでしょう。
同じように、私が誰かを見るとき、その「誰か」を直接見ることはできていません。必ず何かのフィルター…友達とか、後輩とか…をかけて見ています。でも、それを自覚することもなかなかありません。いつもふざけている友人が、恋人といて、パートナーに優しく微笑みかけているのを偶然見かけたとき…くらいでしょうか。
しかし、それも「本当の」その人、とは言い切れません。もしかしたら結婚詐欺をはたらいてるときかもしれないし。
具体例がぶっとびすぎました。
自覚するまで存在さえ認知してない「フィルター」ですが、じゃあそのフィルターに常に自覚的であれば良いのでは?と思います。でも、そのフィルターが何色か、判断できるでしょうか?「自分があの人を見るとき、こんなフィルターがかかっている」と自覚したとき、「こんなフィルター」の正確性をどうやって担保するのでしょうか。だって、そのフィルターを見るのに、また別のフィルターがかかっているかもしれないですから。
社会の中では、むしろ積極的にフィルターをかける場面もあります。「フィルタリング」ですね。スマートフォン等で、そういう設定ができますよね。有害な情報をシャットアウトできる便利な機能です。
私たちは、フィルタリングをかけることで、より一層自分だけに都合の良い、安全な世界を作り上げ、安息圏、楽園に生きようとしています。
そして、自分の意図しない情報に触れることのない、安全な世界にいればいるほど、自分のフィルターを自覚しにくい…
…幼きころ、「いま自分が見えている世界は本物なのか」と疑問に思って、いろいろ妄想にふけったことを覚えています。「私は鏡で見ると、真っ黒で、ちくちくしそうなほど真っ直ぐな髪をしているけれども、それは私の目の錯覚で、本当の私は金髪で綺麗なカールの髪をしているんじゃないか」と。完全に、プリンセスに憧れていますね。
でも、未だに自分の姿はつかみきれません。
自分の姿は見えないけれど、それでも実体を持った、「見える」身体を使って、加工のない自分の姿で演劇をします。
ご来場お待ちしております。
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💡公演情報💡
劇団ON 第4回公演
『フィルタリング』
【作】白鳥雄介(Stokes/Park)
【演出・脚色】西田かをる
【日時】2022年3月6日(日)13:00〜/17:00〜
【上演時間】約90分(予定)
【料金】
ご予約:1000円/当日券:1500円
【場所】
神戸アートビレッジセンター KAVCホール
詳細はこちらから!
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