私が地元に劇団を作ったわけ
劇団限界集落の代表、松井茉未(まついまみ)です。
自己紹介にかえて、私が地元に劇団を作るまでの話にお付き合い下さい。
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宝塚の舞台に立ちたい
中学校の修学旅行で、はじめて宝塚歌劇をみた時、衝撃を受けました。
「私もあの舞台に立つんだ!」とその場で決意。
卒業旅行を終えると、歌とバレエのレッスンをはじめました。
準備を整えて、高校2年生の時に宝塚音楽学校を受験。
結果は…不合格。
残すチャンスはあと、1回。どうしても夢をつかみたい。私は放課後、静岡・東京・埼玉までレッスンに通いました。
高校の授業を終えると、その足で稽古場に向かい、最終の新幹線で帰宅する日々。減量のため厳しい食事制限をしながら、歌・バレエ・演劇・面接のレッスンに励みました。
そしていよいよ最後の受験。
結果は……不合格。
東京の音楽大学へ
しばらくのあいだ、文字通り「からっぽ」になってしまいました。
からっぽになった私を支えてくれたのは、やっぱり「音楽」でした。
浪人生活を経て、東京の音楽大学に入学。声楽を4年間学びました。
だけど、プロの音楽家として生きていくには、私には技量も根性も足りないと思い至り、卒業後は地元に戻り就職することに。慣れない東京をあとにしました。
地元での音楽活動
社会人として妻として母として、そのかたわらで細々と音楽は続けていましたが、2人目の子どもを出産したあとに、転機が訪れました。
母校の小学生に音楽を教えてほしいと頼まれて、地元の子どもたちと関わることに。これまで受けてきたレッスンの経験を活かし、子どもたちとミュージカルのワンシーンに挑戦してみたり。
すると、それを見た大人たちから「自分もやってみたい」という声が。
この瞬間、
「もしかしたら、地元でミュージカルができるかもしれない!!」
そうひらめきました。
ちょうどそのころ、世のなかはコロナ禍に突入。これまでの価値観が大きく変わってしまいました。
「いまのままでいいの?」
「ほんとうにしたいことはなに?」
「後悔はしない?」
そう自問自答する日々……。
「劇団限界集落」旗揚げ
私のなかにくすぶっていた「音楽」への想い。
2021年3月、会社を退職。
「音楽」を仕事として生きていくことを決意しました。
その年の5月に仲間とともに「劇団限界集落」を旗揚げ。翌2022年3月に初公演、11月には2回目公演を上演。ありがたいことに、観てくださった方々のあたたかい声を受け、2023年3月には2回目公演の再演を予定しています。
今後の目標
今後の目標は、オリジナル脚本に挑戦すること。その脚本では、私自身をさらけ出したいと思います。
「私自身をさらけ出す」
それができた時、さらに前に進める気がします。
(松井茉未)
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最後まで読んでくださり、ありがとうございます。すみれの花咲く町、春野より愛を込めて。