あなたが愛するもの〜ふくにっちゃん〜

衣装小道具ヒラスタッフ ふくにっちゃん

 小学校五年生の時、母親から一冊の小説を手渡された。
 幼い頃の私は活字中毒だった。加工食品の成分表、教科書の奥付、テレビの裏の謎のシール、そういったものに片っ端から目を通していた。公園に行けば遊具そっちのけで禁止事項が書かれた看板に足を止め、Wiiを買えばプレイそっちのけで説明書のページを捲る。休み時間には友達と話すより本を読むことを好んだ。視力はみるみる悪化し、眼鏡のレンズはどんどん分厚くなり、母親からは「本は一日一冊まで」と厳命されるほどに活字を求める日々だった。無論目を盗んで三冊くらい読んでいた。多くの子供が「本を読みなさい」と教えられる中、「本を読むな」と言われて育った世にも奇妙な子供である。
 そんな私だったが、小学校も高学年になると視力も下げ止まり、母親も読書を許してくれるようになった。そして時折、図書館や本屋で、子供むけの本を選んでくれた。そこに明確な基準はなく、母親の「なんとなく面白そう」というセンサーに引っかかった本が不定期に私の手元に届いた。それは、そんな本のうちの一冊だった。
 鮮やかな青い枠で囲まれた表紙、光沢のあるつるつるしたカバー、分厚い紙に大きな文字。児童書と言えばこれ、という有名レーベル「青い鳥文庫」は当然私にも馴染み深いものだったから、大して深い注意も払わずにその本を受け取った。それが私の大きなターニングポイントとなったことは、成長して回想するまで分からなかった。
はやみねかおる作「そして5人がいなくなる」。
 内容について詳述することはしない。ただ時間を忘れてその本を読んだ。夜が更けて親に「もう寝ろ」と言われても、翌朝珍しく早起きをして、夢中になって最後まで読み切った。コメディタッチで読みやすく、それでいて心の奥底を激しく揺さぶるような深みと優しく包み込むような暖かな読後感があった。感動した、なんて言葉では生ぬるい。「こんな小説があるんだ」と、狭い視界が一気に広がる感覚だった。この本以上に私を熱中させる小説にはまだ出会っていない。
 同著者の作品を全て買い揃えるのに一年とかからなかった。そして、三冊目を読み終わる頃には、やたら渦巻きの多い迷路を書いたきり引き出しの奥に放置していた自由帳を引っ張り出し、下手な字で物語を書き始めた。
 漠然と生きていた自分に、初めて将来の夢ができた。「彼のような小説家になりたい」と。
 二番煎じのストーリーに、身近な人物をそのまま当てはめただけの稚拙な小説に始まった私の創作活動。中高では部活を利用して三万字程度の作品を書くようになり、今では十万字規模の小説を書き上げることもできるようになった。はやみね作品とは比較するのも烏滸がましいほどの拙作には違いないが、それでも小説新人賞の一次選考を通過できるほどには腕を磨いてきた。飽き性の私が十年近くずっと続けている唯一の活動が小説執筆であり、その原点にあるのが、この一冊の小説である。大学生になった今でも色褪せない大切なことを教えてくれた私の愛読書、私の愛するものである。
 演劇経験のほとんどない私が生意気にも「脚本を書きたい」と言い続けている元を辿れば、この本に行き着くのである__と無理やり話を演劇に絡めたところで、長苦しいこのコラムを終えようと思う。

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