在るもの

人はどうしても(完全には)不自由ではいられない。もしくは、人は自由を失うことができない。僕は少なくとも演劇や映画を見るときには無意識のうちにこのことを前提として見てしまっている、あるいは見るようになってしまったことに最近気づいた。
なぜこのように感じるのかはわからないが、おそらく虚構の中で生きる身体には普段は見えにくくなっている自由が表出しやすいからではないかと考えている。基本的に演劇や映画において、役者は演じる際に日常と比べて一定の不自由を強いられている。その程度は作品や演技体によって異なるが、不自由であればあるほど、そこには失われることができなかった自由が浮き彫りになって見られる。それは人間の不完全さでもあると同時に、人間にしか表すことができない、また、見出すことのできないものであると信じているし、そのことに一定の価値を感じている。
この前提を以て演劇や映画を見ていると、なにもかもを失っても失われないものがあるように感じられるときがある。それは少なくとも僕が僕である限り確かに存在するものであり、それこそが自分という存在がここにいることを意味づける根拠になり得るのではないかという希望を与えてくれる。


文:殿垣内隼

劇団ケッペキ
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