見出し画像

「石榴」閉幕しました。そのさん。〜脚本編〜

どうも、劇団HEN/SHIN主宰のA-ta.です。

前回までは役者の事後紹介を全2回にわたってお届けしました。

気がついたら、もう10月です。終わろうとまでしてます。
もう少し早く書き上げる予定だったんですが…おかしいですね。
時間は残酷すぎます。

さて今回からは、もう2ヶ月も前のことになりますが、8月に行われました旗揚げ公演「石榴」にまつわる裏話、明かすつもりもなかった話を部署ごとに大放出していこうかなと思います。

まずはやはり、はじまりのはじまりである脚本ついて、自分の備忘録がてら書いていくことにします。

今まであまりこういった機会がなかったので、読みにくい文章になることは間違いありません。
それでも興味がある方のみ、引き続きご覧ください。



⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️これより先は本編の内容を含みます。⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️



脚本について


事の始まり

そもそもなぜ旗揚げ公演にこの「石榴」という作品を選んだのかというところから始めねばなりません。
まずぶっちゃけます、旗揚げには全く違う作品を上演するつもりでした。
そして、「石榴」として完成させるつもりもありませんでした。

この期に及んでコイツ、何言ってやがる…?

と思われたかもしれません。
でも隠しても何の意味もないのでここでぶっちゃけました。

実はこの「石榴」、もっともっと大きな物語のごく一部なんです。
つまり、元々考えていた脚本があり、そこから千佳子と聡一郎の話にフォーカスした別の脚本を生み出したというわけです。
アンケートにも「続きがあるのかも、違う世界線に話が続いてそう」という風に書いて下さった方がおり、そこまで感じ取っていただけて私はもう大喜びです。
なぜわざわざそういったことをしたのかと言いますと、全ては名前のない演劇祭白に参加するためでした。

少し自分語りをしますが、元々私は大学時代からずっと劇団を立ち上げるのが夢でした。なんなら卒業後就職せず劇団を立ち上げて演劇を続ける気満々でした。
しかし、世の中はコロナという未曽有の事態に狂っていました。
そして私は思いました。今じゃない、と。

だから一度就職するに至ったんですが、まあ演劇熱は冷めることを知らず。
ず~~~~~~っと胸の中で青い炎が燃え続けている。
演劇やりたい演劇やりたいと心の中でずっと思っていました。

そうはいっても社会人になりたての頃は日々を生きることに精一杯で疲れてしまって、やりたいけれども気力も体力も付いては来ないという状態でした。
そして時は経ち3年目、やっと安定してきて少し心の余裕が出て来たちょうどその頃です。
Xで名前のない演劇祭白のポストをたまたま目にしました。

それを見てまた一気に演劇やりたい欲が心の奥底から湧き出しました。
ちょうど時を同じくして現劇団員のモトミヤと、照明を担当してくれました伊佐間と飲む機会がありまして。
ぽっと口から出てしまってたんです。

私、また演劇やりたいんです。

と。それでポストを2人に共有しました。
白状します。最初は完全にノリでした。
でも2人はやろうやろうと言ってくれたんです。
最低でも脚本演出役者、音響、照明がいれば出来るじゃん、と。
2人も最初はノリだったかもしれません笑
ですが、本気になった私はすぐに現劇団員の安永に声を掛けました。
すると彼女も、ふたつ返事でやりたい!と言ってくれました。

それで、手続き等の関係で色んな情報が必要だったので、じゃあもう劇団立ち上げちゃうか!と思い立ったわけです。
そこで安永が一緒に立ち上げてくれて、今に至るんですね。

そんなこんなで、生まれたばかりの赤子は未知の小劇場の世界に足を踏み入れたわけでした。
それでいざやってみようとなると、演劇祭なので当然色々と出来ることが限られていて。
例えば装置を組めなかったり、照明を1からは作れなかったり、60分劇だったりと。
なのでやりたかった本は中々厳しいな〜と思い、過去の脚本を漁ってみたんです。

そうして、「石榴」の大元の物語にたどり着いたんです。
実はその物語は、大学時代に案として書き溜めていたものでした。
ですがその物語も60分に収めるには難しい。じゃあどうしようと思って考えついたのが、その物語に登場する千佳子という女性にフォーカスした作品を書こうということでした。
さらに彼女にフォーカスするにあたって、必然的に夫である聡一郎にもフォーカスすることになりました。

これが、全ての始まりでした。


本の意図

正直、観た人の解釈を狭めるのではないかと思うのであまり書きたくない部分です笑
なのでこれは見ない方がいいなと思った方は飛ばしてください。




構成としては物語全体を通して、芥川龍之介の「藪の中」を意識して書きました。真実は藪の中、の語源にもなっている作品ですね。
私は昔から「藪の中」が大好きで、同じように誰が真実を口にしているのか分からない作品に出来たらなあ、と思いました。
なので真実の所在はあえて最後まで明らかにせず、見た方が見た方なりの解釈をしてくれればいいと思い、こういった作品が生まれました。
(果たして成功していたかは神のみぞ知る)

なので、観に来てくださった方の解釈で、感性で、いいんです
もちろん、書く段階で意図したことやこういう解釈も出来たら面白いよね、と意識したことはそれはもうたくさんあります。
でもそんなのは所詮作り手のエゴに過ぎないので、この物語のように、何が正解で何が間違いかなんてことは示したくなかったんです。

あらすじにも、

正義は常に歪められ、虚と真が翻る。

と書いたんですが、これがこの物語の大きなテーマのひとつかなと思います。
つまり、各々が己の正義のために語っていて、それによって虚(うそ)と真(ほんと)は常に翻り、言わば表裏一体になります。
その時、果たして真実はどこにあるのか、真実とは何なのかという壁にぶち当たります。
この物語では、その判断を観客の皆様に委ねたということになります。
例えば千佳子に共感し彼女を信じれば、聡一郎という男が恐ろしく、憎く映るでしょう。
しかし例えば、聡一郎に共感し彼を信じれば、千佳子という女が狡猾で、とてつもない不信感を覚えるでしょう。
そしてどちらも真実でないと思えば、この重苦しい物語の中で彷徨い続けるかもしれません。
そのために、金成という絶対的な真実を物語のど真ん中に据えたのです。
彼だけが、この物語の真実でした。


「石榴」のタイトルに込めた意味

実は、演劇祭の公式ホームページにはこんなあらすじを載せていました。

 昔昔、あるところに、訶梨帝母という女がいました。彼女はたくさんの子を持っていましたが、同時にたくさんの人の子供を攫っては食べていました。お釈迦様はそんな彼女を戒めようと、子供の1人を隠しました。彼女は狂ったように我が子を探すも見つからず、初めて攫った子供の母の気持ちが分かったのです…  

 お釈迦様は改心した彼女に、「人の子を食べたくなったなら、この石榴を食べるように」と仰ったのでした――  これは誰も救われない物語であり、人間の「エゴ」の物語。

名前のない演劇祭白 公式ホームページより

これが全てです。笑
私、元々タイトルを付けるのがまぁヘタクソでして。
今回もタイトルどうしようかなどうしようかなとものすごく悩んでいたんです。
なんとなく二文字乃至一単語がいいなというのは思っていて。
そこで石榴の人肉の味がするというトンデモな逸話を思い出し、調べて行った先にこんなにもぴったりな逸話が芋づる式に出てきたという訳です。

そういうわけで、本当に本当の第一稿、まだ誰にも公開する前のラストの2人の対話はこんな感じでした。

第一稿の2人の対話。聡一郎が明らかにイカれてます。

もうね、怖いですよね。色んな意味で。
このまま行ってたら石榴は完全にコメディになってました。
迷シーンでしかありません。
思い返すと本当に、よくぞ立て直したなと、よくぞここからあそこまで持って行けたな自分という気持ちです。
ここでひっそり供養します。合掌。


キャラクター像について 小野 千佳子

実は、千佳子には明確なモデルがいます。
それは私が今まで出会った人々であったり、はたまた私自身の一部であったり。
とにかく色んな要素を詰め込んだのが千佳子という女性です。
一体どれが本当の千佳子なの?って話ですが、全部本当の千佳子です。

みんな誰しも生きる上では、環境によって色んな仮面を付けては替えて生きていると思うんです。少なくとも私はそうです笑
家族といる時の自分、職場での自分、好きな人といる時の自分、1人の時の自分。
様々ありますが結局それは自分以外の何ものでもないわけで。
だから千佳子はそれを少し演劇的に、大袈裟に表現したキャラクターなだけです。
どこか人間離れした遠い存在に感じるかもしれませんが意外にも身近といいますか。
もし彼女に共感してくださった方がいたとすれば、きっとそれは千佳子の根底にある人間臭さのなせるわざであろうなと思います。

役者の川合もインタビューで言っていましたが、本当に哀れで惨めで救えねえんですよね、彼女。
でも、私もそこが大好きです。たまらなく愛おしい。
私はこの世に完璧な人間なんて存在しないと思っていますし、むしろどこか「おかしい」方が人間としての面白みを感じてしまうので笑

色んな意味で、やっぱり一番思い入れのあるキャラクターです。


キャラクター像について 伊東 聡一郎

先述した通り、大元の物語では聡一郎という人物を深堀りする予定は全くありませんでした。
だから最初、私の中で具体的なイメージがあまりありませんでした。
本を書くのも全然納得のいく形にならず…。
第一稿のラストもそれはそれはひどいもんでしたしね()

苦悩の跡は、端々に見えます。

第一稿の決別シーン。

いやさすがにサイコパスすぎねえか?????
おそらくこの後修正したのは、聡一郎が白か黒かハッキリさせると物語が破綻するよなあと思ったからですね。
あまりにも酷い奴すぎてこれを見つけた時思わず笑っちまいました。

そしてやっと掴んだ!と思ってなんとか納得のいく本になったはいいものの、聡一郎という人物が一体全体どんなか、生み出した私が分かりきっていませんでした。
初めてのことです。
いつもは生み出したキャラクターのことは大体隅から隅まで語れるんですが、断片的にしか語ることができませんでした。それくらい得体の知れない、怖いキャラクターでした。見ていてもそうだったかもしれません笑

ありがたいことに、役者の狩集がひとつの正解を導き出してくれたことで、私の中で聡一郎というキャラクターが鮮明になっていきました。
なので聡一郎は、私が土台を考え、役者が肉付けしてくれたことで完成したキャラクターだと言えるでしょう。

聡一郎嫌いだわと思った方、不快になった方、誠に申し訳ございませんでした
でもふと視点を変えてみれば、彼だってただの被害者かもしれないんです。
どこまでも面白いキャラクターだなと心から思うので、私は千佳子も聡一郎も大好きです。
…だから作り手としては、こんな奴受け付けないぜ!と突っぱねず、少しだけ理解を示してくれると嬉しいなぁと思います。


キャラクター像について 金成 芳雄

金成というキャラクター、実は第一稿には存在していませんでした。幻の男。
それもそのはず、元々は千佳子の1人語りで全編進めていくつもりだったからです。
しかし、書いていくうちに先述したような考えがまとまってきて、いくら藪の中を意識したとはいえ、これは観てるお客さん安心出来なさすぎるぞと思いました。
そのために、ある一定の真実がこの物語には必要だと思ったんです。
そこで、千佳子と刑事を対話させることを思いつきました。

彼はこの物語おいて唯一観客に近い存在です。いえ、もっと言ってしまえば彼は観客の代弁者です。
それってどういうこと?おかしくない?辻褄会わないよ、何でそうなった?いいから早く真実を教えてくれよ、と。
なのではじまりはものすごくプレーンなキャラクターで、そこに役者の増田が徐々に肉付けしていった感じです。
そして出来上がったのは、あくまで仕事に熱心で冷たくも見えるけど実はものすごく人間臭い男でした。

前述の通り、私は当初もっともっとプレーンな金成をイメージしていました。
彼はこの物語においてナレーター的な役割も果たしているので、あんまり金成のキャラクターが前に出てくると観ている人の集中が切れるかなと思ったんです。
ですがいざやってみると、金成のキャラクターが前に出てくることで千佳子や聡一郎の感情が際立つと言いますか、相互作用で説得力のあるシーンになったと言いますか。
結果的に、この物語において最も重要な役割を果たす存在になりました。


キャラクター像について 小野 菜穂子/伊東 香里

母2人に関しても、書くにあたって参考にした人たちはいます。
この2人に共通してることって、平たく言えば毒親であることだと思います。

菜穂子に関しては、ざっくり言うと娘の人生を自分のものにしてしまう系の母親です。
娘の人生には自分だけが存在していればいい。子は親に奉仕して生きるものだと思っている。
いわば共依存的関係です。
娘の相手だって、自分が決めたい、下手な男には預けられない。だから、千佳子と聡一郎をものすごく後押しします。
元々はそんな母親にするつもりなかったのですが、安永が演じているのを見て、菜穂子って実はこうかもしれないというのが浮かんできまして。
それで、最終的に登場シーンが短い割には爪痕を残すキャラクターになりました。

香里に関しては、とにかく聡一郎のことが大好きな母親です。まぁ、逆もまた然りなのですが。
今思い返すと、こっちの親子も共依存的かもしれません笑
夫に絶望し、息子を理想の恋人のように育て上げていってしまう。だから千佳子にも遠回しに強く当たっていきます。
一見ただのやばい女のように見えるかもしれませんが、実は色んな過程があってああなってしまったんだと少しでも思っていただければ幸いです。

総じてこの物語、やべえ奴がいっぱい出てくるなぁと思ったかもしれませんが、私はただやべえ奴を描きたかった訳では決してなく、何故そうなってしまったのか?何がその人を突き動かすのか?を描きたかったんです。
先述した通り、私は完璧な人間なんてこの世に存在しないと思っています。
単にやべえ奴、と一括りにして嫌煙するのは簡単なことです。というか、そうやってほとんどの人間は自己の安寧を保っていると思います。

ですが、大抵はそこまでに至った過程があるものです。
今回は60分の制約があり、その中で全てを描き切ることは出来ませんでしたが、役者たちの中には確かに存在していました。
それがこの物語に説得力を与えていたと言っても過言ではありません。


キャラクター像について 橋本 早紀/小林 弘子

来ました、私が大好きな総菜コンビ
これを書くにあたって度々登場しております幻の第一稿を見返したところ、驚くべきことに一言一句最終稿まで変わっていませんでした
それぐらい私が1番初めに書いた、かつこだわっていた2人になります。
物語の中で重要な役割を果たしているかと聞かれればそうではないんですが()、千佳子の多面性を表すのに必要不可欠な存在でした。
皆様が覚えているかは分かりませんが、後の物語で結構重要なキーワードが何気ない会話の中にぼこぼこ出てくるんです。
なのでかっこよく言えば、伏線担当でもあったということになります。

この2人は誰しも生きていて一度は人生で出会うであろう人々を描きました。
途中、2人のシーンに限らずですが病気など強い言葉を使うシーンがあり、不快になった方もいたかもしれません。そう思った方がいましたら申し訳ありません。
しかしなぜ私があえてそういった表現を残したかと言いますと。
ひとつはこの年代の人々が悪気なくそういった言葉を使ってしまうことへの風刺と言いますか……あなた達はこう映ってるんですよという。
もうひとつはこの物語が、病気等の強い言葉を使い何でもかんでも一括りにしようとする人たちへ向けた物語でもあるからです。

まぁそれも、すべては役者の2人がリアルに演じてくれたおかげなのですが笑


キャラクター像について 伊東 健児/店長/二宮/立会人

色々ありますが…やはりまずは健児ですかね。
健児、ああ見えて実は明かしきれていない細かい設定がいくつもあります。
彼がなぜああなってしまったのか、その理由もきちんとあるのですが、劇中では明かしていません。
でもその辺は役者の堀越が上手く演技に乗せてくれていたなぁと思いました。
元からそうじゃなくて、そうならざるを得なかったんだろうなと。
暴れん坊ですから、悪い奴ですよ、絶対的に笑
だけどただそれだけで片付けたくなかったといいますか。
同情して欲しいとか、決してそういうんではないですが、この劇では誰も見放したくなかったんです。
何より、聡一郎の人格形成に多大なる影響を与えたのは間違いありません。
それがどの部分なのかは、観た方のご想像にお任せします。

残り3人は登場時間は短いものの、意外にもキャラクター像がちゃんとあります。
店長に関しては、脚本を書いた時点であ〜いるいる、こういう管理職と思ってもらいたくて書きましたが笑
その後の肉付け、またあとの2人のキャラ付けも、基本的に全部堀越が考えてくれました。
だからものすごく言い方悪いですが楽でした笑
役者の仕事をちゃんとしてくれたといいますか。

ちなみに二宮は劇中で名前こそ出てきませんでしたが、金成の部下で、千佳子を介抱していた刑事です。
立会人は、最後の千佳子と聡一郎のシーンでずっと後ろで監視していたあの彼です。
違う人なんですよ、一応。
ほんとに、よくよく見ると全員服装が少しずつ違います。
細けえ〜と思われたかもしれませんが笑
もしも観に来てくださった方の中になんか違うぞと思われた方がいれば、堀越は役者冥利に尽きるということでしょう。





さて、長々と書いてまいりましたが脚本編も、とうとうおしまいです。
…いや〜すみません、ほんとに長いですね。今回も気付いたら長くなってしまいました。

次回は、演出編かなぁと思っています。
あまりにもスローペースでしか進めないことに気がついたので、年内に書き切る事を目標にします()

これを読んで、少しでも皆様の見方が広がれば幸いです。
さすがに全ての解釈を拾いきれないので、これってこういうことだったの?!あれは結局どうなの?!等色々モヤっとする部分もあるかもしれませんが、ぜひ胸の中に留めつつ、堂々巡りしていただければなと思います笑
真実は藪の中ということで。

ではまた!次回お会いしましょう。




いいなと思ったら応援しよう!