因果漫画とは

以前キュビズム展を見た際、「漫画ってキュビズムなんじゃないか」と考えた事があった。多層的な時間軸や視点を一つのページに持ち込み構成されている漫画は、キュビズムでは無いにせよ、ホックニーのフォトコラージュなんかにも通じる点があるのではないかとその時は思った。横山裕一は「時間」を描く漫画家として知られているが彼の作品には顕著に表れている。彼の漫画では流れていく時間が一つのページに、冊子にまとめられ鑑賞者が自分の脳内で時間を再構築し映像として再生される。キュビズムやホックニーの写真芸術を鑑賞した際も、同じ様な回路を辿り鑑賞者は映像なり空間を再構成する。しかし、漫画がキュビズムだとは言えない一つの問題点がある。それはキャンバスが幾つも存在するという点である。ページというキャンバスが。コマ割りというキャンバスが。一つのキャンバスを見て時間の流れや空間を知覚できるキュビズム作品とは異なり、漫画はコマという複数のキャンバスを決められた流れに沿って見る行為を経て時間や空間を知覚する。鑑賞者の視点が制限されることで時間を認知する事が出来るのだ。
私は漫画をよりキュビズム化するために「因果漫画」を提案したい。この漫画は主に(原因)と(結果)だけで構成されており、コマは配置されているが読み順は無く、それぞれのコマ同士が互いに影響し合い様々な現象を起こす事で一つのページに漫画の様なものが生み出されるというものである。このコマで〇〇が起きたからあのコマで××が起こった。あのコマで××が起きたからあそこのコマで△△が起こった。あのコマで△△が起きたから、、、、などという様にコマを横断するように影響を起こし合い現象が生まれる。鑑賞者の視点は原因結果を探す様に動き、原因から結果へ順を追う者もいれば結果から原因へ遡る者もいるだろう。とにかく様々な読み解き方がある。が、最終的に再構成される時間の流れはどんな読み方をしても同じになる。遡れば全体の現象を引き起こしたトリガー的な原因は一つに絞られるからである(そのトリガーを引き起こした原因は?と考えると哲学的な議論になってしまうが)。コマを一つの時間軸を枠組みに収め、はみ出ない様に固定する道具として捉えるのでは無く、影響を受け現象を起こす物質として捉えることで漫画を拡張していくという試みをしていきたい。
規格化された流れの中にコマを配置する時代は終わった。縦横無尽に配置されたコマを鑑賞者の視点で動かし続け、その軌跡が一つの現象として現れた最終再構成物が漫画である。

作品がしょぼいのはまだ自分でも分かってないから

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