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30代からのイギリス大学院留学:修士論文を提出して帰国しました

こんにちは、gegegenta_です。春学期の終了に合わせて記事を書きたかったのですが、気づいたら修士課程の1年間が終了してしまいました!
そして今は日本に帰国しています。
1年間はあっという間に過ぎてしまったのですが、大学院に進学する前とはいろいろな意味で違う場所に到達できたなとも感じます。

今回の内容は1~3月の春学期と、それ以降の修士論文執筆期間についての振り返り、そして今後についてです。

春学期の授業や活動

1~3月の春学期は4つのモジュールを履修しました。
先学期に続き必修の「Theory and Practice of Human Rights」では主に人権と他領域(社会学や国際関係、平和構築など)との関係について、「Gender, Race, Identity and Human Rights」では女性の権利や少数民族、障害者などマイノリティの権利に焦点を当てて学びました。
「Human Rights and Arts」では演劇・詩・ダンス・文学・建築などさまざまなアートと人権の関わりを扱い、人権保護といえば法が中心の世界の中で、ほかのアプローチを探るのは個人的には意義深く感じました。「Human Rights Clinic」では人権保護にかかわる人の実践的な知識や技術、例えばSNS上の写真・動画の検証方法や戦略的なアドボカシーのプランニング、メディア対応などを学びました。

先学期に引き続き大量のリーディング課題があったのですが、徐々にコツをつかんできて、頭から全部読むというよりはAbstract(要約)と結論を読むなどして先学期より1つの授業にかける予習時間は減りました(手抜きともいうが…)。

もう一つリーディングにかける時間が減ったのは、リサーチプロジェクトやカンファレンスの準備で忙しく過ごしていたというのもあります。

リサーチプロジェクトは5つのテーマにそれぞれ3,4名の学生が取り組むもので、私はGI-ESCRという社会的な権利に取り組むNGOのもと、エネルギーの利用や再生可能エネルギーへの転換におけるジェンダー分析というテーマで、国連が「エネルギー」と女性・女児の権利に関する過去の発信・勧告の分析やあるべき状態とのギャップをレポートをまとめるプロジェクトに参加しました。
膨大な国連の勧告から関連するものをエクセルにまとめたり、研究者へのインタビューを行うなど作業量はわりと多く、同級生と会うといつもプロジェクトが大変だという話になっていました。当初の締め切りの5月を超えて結局6月ぐらいまでかかったのですが、なんとか無事にレポートを提出し、NGOのウェブサイトで出版されました。 

カンファレンス企画は、アジアのPost colonialism(ポスト植民地主義)というテーマのもと、アジア各国でNGO職員やアクティビストとして活躍する4名の方を招聘し、各地で新旧の植民地主義に基づく人権侵害が続いていることや、それに対抗する取り組みを紹介しました。

個人的には、政治的事情などにより取り上げづらいウイグル自治区での迫害(言語の禁止や強制不妊等)、そして沖縄における米軍・日本政府による沖縄の人々の自己決定権等のさまざまな権利の侵害についてお話いただけた点で非常に意義深かったと感じます。ほかにもスリランカの内戦を扱ったドキュメンタリーの上映会も行い、どちらもたくさんの方に参加いただきました。

Zoomでアジア在住のスピーカーに参加いただきました。
カンファレンスの企画メンバーと。

春学期の頃はずっとどんよりした天気が続いていたのと、業務委託のお仕事で朝7時からミーティングがあったりして体力的にはややしんどい時期でした笑。
生活にも慣れて体調を崩すということはなかったのですが、部屋でだらだらしてしまう時間が増えたのもこの時期で、自分のフィジカル・メンタルを保つためには必要だったと思いつつもう少しうまくスケジュールを組んで授業をもっと聴講したりすればよかったなというのが唯一心残りです。

またすべての講義が3月で終了したのですが、やはり非常に短く感じました。勉強はそれなりにしたものの、修士に相応しい知識量や体系化が自分の中でなされている自信はまだありません。正直1年の修士課程にはビジネス的な側面も強く感じたので、短時間で修士号を取って次のステップにつなげるための手段だと割り切り、本当にもっと勉強・研究したければほかの修士課程や博士課程に進むことを考えるのが良いのかもしれません。

修士論文の執筆


修士論文は、3月頃にテーマ案の提出、5月にリサーチプロポーザル提出と指導教官のアサイン、
それ以降は指導教官と毎月1回のミーティングを経て9月中旬に提出というスケジュールでした。
私のコースでは12000ワードが上限でしたが、周りのコースや他校の友人も大体そのぐらいでした。
余談ですが私の周りではけっこうな数の友人がExtension(延長)をもらって10月に提出していました。仕事や病気など理由があればそういった対応も可能なようです。

私は台湾におけるLGBTQの権利、特に同性婚成立後の家族・生殖にかかわる権利の進展と、それらの「国としての家族像」への影響を考察するというテーマにしました。
アジアでLGBTQの権利が進んでいるといわれている台湾だがその内実はどうなのか?誰がどのように動いたことで今の状況が実現したのか?こういった権利の進展がかえって結婚至上主義や人種・階級の問題、異性愛規範的な「家族像」の固定化を助長していないか?というようなお題に答えようとしています。

修士論文はとにかくテーマを狭めるようにアドバイスされていたものの、最初の方はやはり知識が足りないのでテーマを狭めることも難しいです。ただ、しっかり勉強してからテーマを決めようとしても飽きるし終わりが見えないので、私はある程度注力領域を決めたら、ドラフトをどんどん書いてしまい、先生のアドバイスに合わせて議論のフォーカスを効かせ、考察を深めていくことを意識しました。結果的に3回ぐらい大きく書き直したものの、なんとか期限内に提出することができました。

人によるとは思うのですが、修論作成期間は毎日忙しかったかわけではなく、毎月のミーティングと最終提出前以外は割と時間に余裕がありました。ヨーロッパのあちこちに旅行に行ったり、コースメイトとパブでビールを飲んだり色々な所に行ったりして仲を深めることができたのもこの期間の収穫でした。

まだ結果が返ってきていなくて卒業も確定していないのですが、自分なりに力を注いで作成したので望む結果が得られたら嬉しいです。結果がわかったら改めて振り返りができればと思います。


短い夏にはよくキャンパスのレイクサイドでコースメイトたちとビールを飲んでいました。


ケンブリッジ大学ではパレスチナでの虐殺行為に反対する学生のプロテクトが行われていました。


あちこち旅行してどこも魅力的だったのですが、中でもドブロブニクは街並み、自然、食、いずれも素敵な場所でした。


帰国&これからのこと


冒頭でも書いた通り、修士論文を提出して9月末に日本に帰国しました。

イギリスの大学院では卒業後Graduation Visaというフルタイムの就労が可能になるビザを申請できるのですが、その権利は行使しないことにしました。
運良く、次のステップにも繋がりそうなフルタイムのポジションを日本で得られたのが最大の理由です。たった1年でイギリスを去るのは心残りではあるのですが、今後も海外に住んで働いたり、海外の大学院で学ぶ可能性は十分にあると考えてこの選択をしました。

ちなみに新しいお仕事は内閣府男女共同参画局の任期付職員です。ITベンチャーから国家公務員への華麗な(?)転身です。これまでとは全く違う職場環境に軽めのカルチャーショックを受けています(とはいえマジか…よりはやはり…が多くはあります)。まずはそんな新しいお仕事に励みつつ、今後もジェンダー平等・女性の権利、LGBTQの権利といった分野に関わっていけるように様々な機会を模索したいところです。

最後に、大学院で学んでいたこの1年の間でもパレスチナ・ガザ地区へのジェノサイドは止まっていません。またこの件に関する大学側の矛盾した態度にも大いに疑問を持ちました。他にも様々な人権問題が世界中で噴出しています。一方でタイで同性婚が認められたり、バングラデシュでは学生デモが政権転覆をもたらすなど希望も見えました。私自身、今後の仕事や各種活動を通じて、こうした悲しい出来事を終わらせ喜ばしい出来事を増やすことに貢献したいし、どんなに小さくても行動する人が増えることを願っています。



大学院への出願や現地での生活、授業や課題についてなどなにかご質問があればお気軽にコメントやDMでどうぞ!
また今年は最高で1ポンド205〜206円台の歴史的な円安で、予定より多く貯蓄を崩したり業務委託のお仕事を増やしたりせざるを得なかったのですが、皆様のご支援があったことでコーヒーを買って修論の執筆に集中することができました。ご支援くださった皆様、誠にありがとうございました!

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