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ソアリン×ストームライダー二次創作「空の上の物語」12.ここは観光客の来るところじゃないぞ

「ところで、カメリア。あんたって、お化けとか大丈夫なのか?」

「何よ、今さら。ここはそもそも聖なる場所だし、お化けとは関係ないでしょ?」

「いや、念のため確認しておこっかなー、と思って」

 El río perdidoにかかる橋を渡り切ったデイビスとカメリアは、密林と絡み合いながら聳える、石を積み上げて階段式となっている古代神殿を仰いでいた。

 まさにジャングル——毒々しいマメやら、鮮やかな熱帯の花やら、食虫植物やら、蘇鉄や羊歯など、様々な植生が一体化して放埒に伸び切っている。それらの大自然——といえば聞こえが良いが、要は整備されていないのだ——に抱かれた遺跡群は、ぞくりとするような威厳がある。壁には素晴らしいレリーフが刻まれており、丸やバツなど、細かい単直な図形を組み合わせて、大きな神らしき顔面の図画を素描し、その他隙間なく埋め込まれている直線的な装飾は、その神殿自体がおどろおどろしい霊力を漲らせて生きているようで、見事の一言に尽きる。即席の梯子がかかっていることから、この彫刻の調査も進められているようだが、いったいどのような謎が秘められているというのか?

 地面には、ハリケーンで崩壊したのか、貴重な石像も転がっていた。巨大な蛇を模したものだろうか、ゆうに大人の身長を超すその神の像は、鋭い歯を上下に兼ね備え、人を丸呑みできるほどに口を開いていた。その石の隙間に落ちた種が、大きく枝葉を張り根をくぐらせて、次第に石組みを底から持ちあげて成長し、ふたたび新たな種を落として、その神聖な場所を侵食してゆく。その執拗な征服は、あたかも侵入者を拒むかのような凄みを帯びていた。

 絶え間なく聞こえるのは、樹々の合間に潜むホエザルの声。異様に鳴き声の殷々として響く入り口には、あかあかと燃える松明が焚かれ、そこから舗装された一本道が続いている。恐らくは現地の調査隊の築いたものだろう——これがなければ、とても密林の奥へと足を踏み込めそうになかった。

 無関心を装ったデイビスの言葉に、カメリアは高笑いを響かせた。

「おほほほほ、可愛らしいのね、デイビスったら。そんなものを子どもみたいに怖がるなんて」

「お、俺だって怖くねえよ! ただ、もっと苦手な物があるから」

「何よ?」

「……………………………………………ゴ、」

「ああ。なるほど」

 と、その頭文字だけで、カメリアは彼の言いたいことを正確に汲み取ったようだった。

「どうかなー。ここは熱帯だし、森の奥だし。環境的には最適な生息地だから、神殿内の壁にはびっしりと……」

「うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 デイビスは、ゾワリ、と粟だった肌を撫でながら奇声をあげた。

「そんなモノが一匹でも出てきたら、俺、この小説の主人公やめるぞ」

「デイビスったら。大丈夫だよ、毒性はない生き物だもの」

「そういう問題じゃねーんだよ、あいつらはよー。動きも、形も、色も、何もかも気持ち悪すぎるだろ」

 ブルブルと涙目でひっついてくるデイビスに、カメリアは呆れ返って首を振った。

「問題は、見た目じゃないのよ。マラリアを持つ蚊に、感染病を媒介するコウモリ、ブヨ、マダニ。その他、毒を持つ蠍、蜘蛛、ムカデ、ヤスデ。ここら辺の方が、怖いと思うけどねー」

「いやなレパートリーだよな、本当に」

 改めて、故郷であるポート・ディスカバリーは生活環境に恵まれていたのだ、と溜め息をつく。こんな虫事情のことは考える必要はなく、毎日を呑気に過ごしていればそれでよかったのだから。

「というわけで、カメリアさんは数日間、自宅に引きこもり、完成させました」

「あ、それでしばらくポート・ディスカバリーに来なかったんだ。何を作ったんだ?」

「秘密兵器! 毒には毒で対抗するわよ☆特製・虫除けスプレー!」

 ちゃぷん、と彼女の取り出した霧吹きの中には、うっすらと黄色がかった透明な液体が入っていた。正直、見ているだけでは凄いのか凄くないのか、まったく分からない。デイビスは目の高さまで持ちあげて、軽く中の液体を振ってみる。

「毒って言っても、私たち人間にとっては無害なものばかりなの。レモンユーカリと、ラベンダー、ゼラニウム、シトロネラの精油、緑茶。それにアルコールなんかだね」

「あ、自然に優しい」

「香りだって最高なんだから。シュッと一拭きすると、ほら」

 ふわ、と柑橘系の爽やかな匂いが漂って、まるで香水のように辺りに立ち込めた。心洗われる香りに酔い痴れていると、ちょうど宙を彷徨っていた小さな羽虫も、ふい、と明後日の方向へ逃げていってしまう。

「おおおお、凄え! カメリア、あんた偉大すぎるぜ!」

「うっふっふ、褒めなさい讃えなさい。どんな虫も接近不可能、最大八時間持続。リラックス効果つきよ」

「では、失礼して」

 二人は頭上からハーブの霧を浴びて、すっかり癒された気分に浸り切り、調査隊の作ってくれた、くねくねと曲がる舗装路を通りつつ、意気揚々として、神殿の最初の部屋に踏み込んだ。ひやりと流れ込む屋内の空気に、数度体温が下がったような気がする。わぁ、涼しいねー、と思わず声をあげるカメリア。

 その瞬間、ずざざざざざざざざざざざざざ、と夥しい黒い群れが一斉に部屋の壁を動いて、彼らから遠のいてゆく。

「…………あう」

「効果覿面、ってのは分かったけど……ものすげーもん見ちまったな」

 間違いなく何かを口にしていたら吐いていたであろうその光景に、二人とも、うっぷ、と顔色を青くする。

 非常に空闊と開けた広間だった。恐らくはここが、外から見えていた階段式ピラミッドの直下なのだろう。高い天井は、悠に通常の建築の五、六階までは届きそうな吹き抜けとなっており、その空中に、調査隊による足場が組み上げられ、そして意外にも電線まで引かれていて、足場の曲がり角ごとに設置された傘の下の裸電球には、名も知れぬ羽虫がたかっていた。電圧によって僅かに点滅し、心細いばかりの明るさをそそぐその電灯たちは、辛うじて足下に光と影を纏わせて、誤って足場から落ちないための光源を提供する。しかし、この神殿に古くから巣食ってきた闇と、奇々怪々な雰囲気を払うには、到底足りない。天井からはぼろぼろの蔦が垂れ下がり、足場の底は水浸しになっていて、地下水か雨水なのか、大きく跳ねる音をとともに垂れ落ちる水滴が、その広間中に孤独に響いていた。よく見ると、その水に浸かった幾つもの人骨が、心細い照明の下に、自らの運命の結末を露わにしている。

「おう……」

 カメリアが妙な声を出して狼狽える。初っ端から、このレベルか。奥に踏み込むに従って、この無気味さは増してゆくばかりなのだろうと考えると、さすがに気が引けてしまうのは止むを得まい。

 保存状態がよほど良かったのか、周囲の壁は奇蹟的にも、ほとんどが崩落を免れていた。その四面が水色——マヤ・ブルーと呼ばれる染料を塗られていて、ターコイズをそのまま溶かしたかのような鮮やかさが特徴である。そしてそこには、ジャガーの皮を纏った神の頭や、供物を捧げる人間の姿、倒れる人々、戦士の死、泉の力で若返った老人などが描かれている。一際目を引くのは、その眼窩から凄まじい光線を出して人間たちを焼き切る水晶髑髏の絵画で、まるで一種の警告のような恐怖を与える。この先、これがいるんだよなあと思うと、カメリアもデイビスもげんなりと落ち込んでしまう。今はまだ、それなりに光源が保たれているから良いものの、徐々に暗黒に閉ざされてきた暁には、探検を続ける勇気を、果たして奮い起こせるものかどうか。そして、壁画に刻みつけられた神々から、音もなく見つめられているような感覚。肌を這ってゆく緊迫に呑まれ、二人は徐々に、最初の度胸が挫けてゆくのを感じた。

「あ、アレッタ……」

 とその時、軽い羽音を立ててアレッタはカメリアの肩から舞いあがり、ある足場の手すりに降り立つと、凜然とした様子で前方を見た。

 天井に備わる、生贄を放り込むための穴からそそぐ僅かな光——そして、静かに跳ね返る地下水の滴りを浴びて聳え立つのは、世にも恐ろしい石像であった。これを怪物的、と称するのは、果たして神に対する冒瀆なのだろうか。大きな鉤爪のある二本足で台座を踏み縛ったそれは、間違いなく、その広い空洞に君臨する主人であり、この神をこそ宥めるためにこそ、周囲に散らばる白骨も、鮮やかなブルーの壁画も、捧げられたに違いなかった。

 その神の首には、苦痛に満ちた夥しい人間の髑髏が、宝飾品の如く巻かれ、もの凄まじい超自然的な残虐さに苛まれて、累々と無言の叫び声をあげながら、その虚しい眼窩と顎を黒洞々と開いている。さらに周囲には、生きたまま抜かれたらしい、鼓動する心臓や、切り落とされた手足や、剥がれた顔の皮や、鱗をのたくらせる蛇のとぐろ等、業を感じさせるありとあらゆるものが渦巻き、彫り込まれ、切り刻まれている。あたかも、これまでに貪り喰った生贄の苦しみをその肉体に生かし続け、自らの愉悦とするかのようであった。地獄絵図の中央には、一際大きく口を開いた骸骨の喉の奥から、威圧と瞑想に満ちた、巨大な淑女の顔が突き出ている。これが生贄を喰らう神の本体なのだろうか。おぞましさに満ちた彫刻と比較して、静謐さを極めたその女人の表情は、寧ろ恐怖と畏怖を増し、この穏やかな顔貌がどのようにして肉を食らうのだろう、ととても想像がつかぬほど、無気味に沈黙している。

 アレッタは、この残酷な神の像にじっと見入り、不思議な興味を示したかのようだった。その小さな体は、阿鼻叫喚を求める巨大な女神と向き合い、小宇宙の如き黒い眼を張って、上から下までを仔細に眺めていた。

「あ、アレッタ〜、行こうよぉ……」

とカメリアが控えめに促すが、アレッタはやはり微動だにしない。ようやく主人の元へと帰ってきたのは、アレッタがその神を見つめて、十分以上も経ってからだった。

 無理やり壁をぶち抜いたらしい通り道を抜けると、見えてくるのは、暗闇に浮かびあがる、台座の上に据えられた一枚の鏡。天井に備えつけられた小窓から射し込む外光を、その鏡に反射させ、その光線は周囲の壁画を照らし出している。暗くて見えにくいが、その絵柄は、泉の水によって若返った人々が、水晶髑髏の光線を浴びているように思えた。なるほど、若さの泉の伝説は、この神殿の全体に渡って支配しているようである。

「この鏡は、なんだろ?」

「鏡の反射の照らす方向が、若さの泉なんじゃないか?」

「んー。でもこれ、時間とともに動くわよね?」

 恐々と鏡の中を覗き込みながらも、カメリアは首を傾げた。

「若さの泉を示すなら、一点を示し続けるように、うまく反射を設置して操りそうなものなんだけど。わざと撹乱させるようにしているのかなあ?」

 天然の洞窟と一体化した回廊をさらに進んでゆくと、現れるのは、急激に狭くなった通路。その両側には、左右対象に、透かし彫りとなった顔面をびっしりと並べた柱が、背後に燃え盛る炎より、血塗られたような赤光に照らし出され、薄気味悪く浮かびあがっていた。まるで切断した人の頭をそのまま装飾として積みあげたかのようで、そのくり抜かれたがらんどうの眼差しは、この通路を渡り歩く命知らずの愚者へと、ひたすらに炯々としてそそがれている。

「ひん」

「もー、ヤダぁ。なんで行く先々、こんなに怪しいのよう」

 涙目になって悲鳴をあげる二人。ここを通れと言われて、どう考えても愉快な気分になる人間は皆無であろう。よく見ると、壁には炎の焦げついたような気配さえある。これほどの威力の火炎が燃え盛れば、たちまち全身の肉を焼き、骨を焦がすに違いない。

「カメリア、落ち着け、これは血湧き肉躍る冒険なんだぞ。危険を顧みず前に進めば、きっと目も眩むようなお宝が——」

「どーせみんな呪われてるわよ、ここにあるお宝なんて! 若さの泉だって、まだ二十代の私たちにはどうでもいいもん」

 至極もっともな回答を返すカメリアに、デイビスも雄々しく唾を飲むと、覚悟を決めた。

「よーし、分かった。俺が先に行く」

「……」

 慎重に足を踏み出すデイビスを見ながら、彼も怖いだろうに、それを我慢させて先陣を切らせることに罪悪感が湧いたのか、

「や、やっぱり、一緒に行こう」

とカメリアも彼のシャツに縋りついて、二人同時に、回廊を渡り終えた。

「あ、人の痕跡が」

「やったー!」

 その赤い光に閉ざされた回廊を過ぎ去ったところで、ようやく、人間の営みを感じさせるような部屋が垣間見えてきた。もちろん、今まで同様、神殿の片隅に造られたという点は同じなのだが、冷え冷えとした石壁に囲まれているその部屋には、倉庫のように雑多な生活物品が積まれていた。支援物資らしい木箱、樽、電球、書き込みのなされた黒板。そして何よりも、その部屋全体に、か細いとはいえしっかりと電線が引いてあり、照明がついている事実は、彼らの精神を大いに安堵させた。例え実際に人間はいなかろうが、そこに人の気配が残っているというだけでも、孤独を慰められるものである。とかく神々や怪奇の眼差しにのみ触れ続けていた彼らには、その部屋は、数少ない避難所に駆け込んだようなものだったのだ。

「わーん、ずっとここにいたい。魔宮の中のオアシスだー」

「ええい、犬か、あんたは」

 ぱたぱたと架空の尻尾を振りながら、部屋の中の樽に頬擦りするカメリア。デイビスはそれを無理やりひっぺがすと、部屋の奥に設えられている、簡易な研究用のスペースをチェックした。同じ部屋内に簡単に区切りを設け、そこにデスクを運び込んだだけのもので、現場ですぐに調査や研究ができるようにと手配されたものだったろう。

 どうやらその研究スペースの利用主は、あまり片付けが得意ではなかったようで、デスクの上に乱雑に置かれているのは、タイプライターやら、ラジオやらの隙間に、眼鏡、ルーペ、本、多くのメモ書き、それに研究中の石像がいくつかと、古びた新聞。デイビスはそれに目を止めて、ざらついた紙面に軽く目を通す。
 何カ国語も重ねて置かれている新聞は、いずれも発行日が去年の晩夏であり、相当前のものとなっている……が、デスクの上の塵の具合を見る限り、そこまでの長期間に渡って放置された状態とも見えず、せいぜいが一、二週間といったところ。水晶髑髏の怒り招くべからず、と書かれた掲題の記事には、魔宮に決して近づいてはならぬ、との文章も見えて、デイビスは溜め息をつきながら、その新聞を元の場所へと投げ出した。
 恐らくこの新聞は、単に溜め込んでいた過去のものを引っ張り出しただけなのだろう。例え失踪したのが二週間前とした場合、最悪、魔宮で迷い込んでいたとしても、水と塩さえあれば、まだ生存できている可能性はある。ま、念のため、と死体遺棄などされていないか辺りをチェックしたが、教授の姿も、血痕などの不吉な形跡も、まったく見当たらなかった。とにかく、ここで事件が起こったわけではない。何かあったとすれば、さらに神殿を進んだ先においてだ。

 その間にカメリアは、デスクの前に設置されている黒板に描かれた、数々の遺跡装飾のスケッチと、それに対する考察に読み耽っていた。

「骸骨の目からは、プラズマが出るのかー」

「あー? それは単なる壁画だろ?」

「でも、本当だったらどうしよう? あのウインドライダーに乗る時に使った、ゴーグルを持ってくれば良かったね」

 おずおずと語る彼女は、やはり少し脅えているのだろうか。小動物のように小刻みに震えながら、不安そうに黒板から目を離さずにいた。しかしデイビスは平然として、ぺしぺしと彼女の頭を叩いた。

「だーいじょうぶだよ。あんた、殺しても死ななそうだし」

「デイビスったらー! 二人なら安心さ✨とか、あんたは必ず俺が守るから🌹とか、ちょっとくらい言ってくれたって良いでしょ!」

「分かった分かった、あんたは絶対に死なねえよ。心配しなくたって平気だ」

「どうしてよ?」

「あんたに、シリアスなシーンは似合わないから」

「…………」

 カメリアは何も言わなかったが、心ひそかに、この男、時が来たら絶対に見限ってやるわ、と胸に復讐を誓っていた。

 倉庫となっているそのスペースを抜けて、映写室と思われる部屋を潜り、さらに階段を下りてゆくと、ようやく広々とした自動車の発着場が現れた。パコは恐らく、ここからツアーを開始させていたのだろう。急拵えではあるが、整列させるための手すりや、安全のためのラインテープ、さらには発掘品を収める木箱など、一通りの設備が揃っている。しかし哀れかな、彼が拘留されてから後は、何者もここに踏み込んではいないと見え、密林用に造られた頑丈なオフロード車は、タイヤを宙に浮かせたまま横転していて、もはや誰も乗せることなく、朽ちた文明の一部と成り果てていた。そしてこの先の道は、いかなる整備の様子も見えない。発掘隊による調査はここまで、ということだろう。ツアー用の車やガソリンが打ち捨てられていることもあり、ここから先は未知のエリアですぜ、近づいてはいけませんぜ、と見知らぬ誰かに言われているような雰囲気が、静寂とともにビンビン伝わってくる。

「ここから神殿の奥深くかあ。うう、やっぱりちょっと怖いなぁ」

「仕方ねーよな、この無気味さだし」

 冒頭の勇ましさはどこへやら、二人は若干身震いしながら、真っ暗な行き先を見つめていた。ここからは、神々の住まいである異次元を探検するようなものである。ひょっとしたら、もう二度と日の目を見られることはないのかもしれない——そんな予感が胸を過ぎって、絶え間なく心臓を駆り立てるものは、ただただ不安しかなかった。

「ねえデイビス、魔宮探検のためにどのくらい備えてきた?」

「なめるなよ。キャプテン・デイビス様だって、これでも最新の装備を揃えてきたんだぜ?」

 ふふん、と鼻を伸ばして、デイビスは得意げにスーツケースを開くと、その中に詰め込まれているひとつひとつを、行商人の如く披露してみせる。

「懐中電灯、手回し発電機、ポータブルシャワーに、浄水器に、トゥモローランドの宇宙食十日分。あとお菓子」

「わーい。お菓子!」

「後でチョコ・クランチ食べようぜー」

 まるで修学旅行に出かけた小学生が、互いの持ち物を見せ合うかのような和気藹々感である。若干、場の空気もほぐれ、前に進めそうな希望が射してくる。

「よし。じゃ、行くか」

 慎重に懐中電灯を点けると、彼らは発着場から下の地面へと飛び降り、大きなタイヤの刻みつけた轍の上を進んでゆく。自動車が安全、と言う気はないが、やはり容易には逃げ切れないという点で、徒歩の方がより一層の不気味さを増す。しとり、しとり、と響く、地下水の滴る音。最大限の警戒を払いつつ、未知の暗闇の曲がり角を曲がると、彼らはその懐中電灯の光を、素早く新しい空間へと彷徨わせた。

 薄暗ぁ。

 と思わず心の中で呟きたくなる深部。
 遠くから聞こえてくる、ひしめく蝙蝠たちの鳴き声の反響とともに、何やら重圧を感じる、慟哭のような風洞の呻き。底冷えのする空気のさなかを支配していたのは、異次元へと誘い込むような、延々と続く波紋の反射であった。中央の通路を残して、大きく左右に開けてゆくのは、地下湖の上に無数の柱を建設したらしい、すべてが水で浸された、異様に寒気のする広間。せせらぎのように頻りに響くのは、その柱に取り付けられている、蛇を模した石像の口より、潺々と流れ落ちる清らかな地下水が、湖のうちへそそぎ込む音である。そしてそれ以外、無限柱の間には石ひとつ転がる音すらせず、永遠とも思われる静寂の間は、薄青く不気味な光に満たされ、柱や天井に休みなく波紋の揺らぎを蠢かせていた。

「凄いわ、古代のお風呂ね」

 粛然として広がる湖の縁に屈み込むと、ほんの指先だけ、ぴちょんと水に浸して引っ込めながら、カメリアは感心したように呟いた。

「何か泳いでるか?」

「ううん。何ひとつ生息していないみたい」

 デイビスは、カメリアの背後から注意深く覗き込んだが、不可解にも、その水の上には虫の死骸一匹浮いてはいない。光源の少ない中で見ても、驚くほどの透明度で、それほど深くはない底の石材が、克明に透けて見て取れる。生き物も塵もない、異様に透き通ったガラスとしか見えないそれは、自然界から採取された水であるにも関わらず、いかなる不純物も溶かし込んではいないように見えた。

「水質調査だけさせてちょうだい。飲み水に使えるのかな?」

「見た目はクリアしているっぽいけど、どんなバクテリアがいるか分かったもんじゃねえからなあ」

 試験管を取り出して、軽く水と薬剤を混ぜ込み、濁りをチェックしようとするカメリア。そこへいきなり、アレッタが湖に飛び込んだかと思うと、濡れそぼった体のまま這いあがって、勢いよく羽を振るった。そのせいで水飛沫が飛び散り、二人の服が瞬く間に濡れてゆく。

「ちょ、ちょ、ちょっとアレッタ!」

 彼らは慌てて腕で防御しようとしたが、大量の雫はとてもそれだけでは防ぎようがなかった。それどころかアレッタは、ふたたび潜っては大きく羽ばたくように羽を打ち震わせ、さらなる水を撒き散らす。それを真正面から引っ被って、彼らは上から下まで、すっかり水浸しの状態になった。

「もー。びしょ濡れ」

「なんなんだよ、いったい」

 ぽたぽたと髪から水滴をしたたらせながら、ようやっとのことで、カメリアは水気を吸ったアレッタを捕まえた。とはいえ、アレッタには砂糖より甘い彼女のことだ、ぴんと人差し指を立てて、

「悪戯っ子ね!」

と叱るだけに留める。アレッタは丸い黒目を向けたまま、少し首を傾げて、主人を見あげていた。

「ま、いいか。ジャングルで掻いた汗は流せたし」

「そうね、とりあえず、このまま奥に進もっか」

 濡れたシャツに鼻を近づけ、くんくんと匂いを嗅ぐデイビスを連れて、その湖畔を通り過ぎ、押し開かれた門の向こうへと身を躍らせた。やや登り坂となったその回廊には、左右に艶美な姿態をさらした女人の石像が立ち並び、それらの肩に担いでいる水甕からは、やはり先ほどと同様、絶え間なく水がしたたり落ちていた。崩落した天井からは、紫がかった群青色の熱帯の夜空に、眩いばかりのきらめく星々が見え、瞳の中へと降りかかるかのように輝いている。

「綺麗だねー。こんなにたくさんの星が、神殿の中からでも見えるなんて、ロマンチック。そう、まるで新婚旅行のように……」

「————今って、夜だったか?」

「え?」

 虚ろな声で訊ねるデイビスに気圧され、カメリアは舌が干からびたように答える力を失った。返事をしようと思ったのに、頭が真っ白になって、少しも声を出せない。
 瞬間、デイビスは弾かれたように袖をめくり、自身のパイロット・ウォッチを確認した。先ほどまで正常に進んでいたはずの時計盤は、昼の二時過ぎを指したまま、時を止めていた。秒針は、次の一秒を刻み込もうとする動きを見せてはいるが、それも延々と叶わぬように、虚しく震えている。

 けれども頭上から覗いているのは、天井画などではない、本物の夜空である。遙か深淵へと連なる夜闇に、燦々と星々は点滅して、美しい虫の鳴き声までもが、遠くから転がるように聞こえてくる。これは何なのか。今までいた本来の世界は、どこへ消えてしまったのか。

 急速に、不穏な耳鳴りが轟くような寒気が通り過ぎて、彼らは言葉を喪失した。立っている地盤がぐにゃりとねじ曲がってゆくのにも似た、漠然とした違和感が、冷たく背筋を伝い落ちてゆく。いつのまにか、背後の門は閉ざされていて、何もなかったかの如く、石造の甕から流れ落ちる水の音だけが、密やかに反響していた。

 まるで人間の頼れるものの一切が消え果て、世界そのものがすり替わり、その完璧性で彼らを騙そうとするような。
 静かに舐め回すような風の感覚と、清洌な水の匂いが、彼らの足元から這いあがってくる。どんな常識も歪みのうちに狂い始める異次元へと投げ出され、彼らはまさに、自分たちが神々の前に差し出された、瑣末な貢ぎ物でしかないことを悟るよりほかになかった。

「……ちょ、ちょっと、もう少しだけ寄り添おうか」

「そうね、ここはなんだか、肌寒いし」

 つつつ、と互いに近寄るデイビスとカメリア。そして二人揃って、震える足取りで坂道を登ってゆくと、徐々にその坂の先に迫りあがるように見えてくるのは、入り口の壁に描かれていた、まさにあの水晶髑髏。それがぼんやりと魂を吸うような燐光を放ったまま、その底無しにがらんどうの眼窩で、彼らを無言のうちに見下ろしている。ヒィィ、と二人は身の毛をよだたせた。

「どーする!?」

「どーしよう!?」

「とりあえず、挨拶でもしておくべきかな!?」

「それって、どっちが挨拶するんだよ!?」

 という訳で、公平にじゃんけんで負けたカメリアが、デイビスにずるずると押し出されて水晶髑髏へと近づいてゆく。嫌だ嫌だと首を振るカメリアの足元は、最後の抵抗を示すように、靴底の削れた跡が残っていたが、それとて虚しい悪足掻きに過ぎない。とぐろを巻く大蛇を模した台座の上で、その骸骨は妖しいまでに煌々とした橙黄色の光を宿し、食い縛るような歯根や、盛り上がった鼻骨までが、暗闇の奥底に浮かびあがって見える。カメリアは電流の走ったように縮みあがり、不安そうに後ろを見た。

「こ、こんにちはかな? こんばんはかな? どっちかな、デイビス?」

「どっちでもいーよ、そんなもん!」

 ぷるぷると彼女の背中を支えるデイビスも、腕が限界を迎えていた。眉を思いっきりハの字に下げたカメリアは、ようやく覚悟を決めて、その面妖な髑髏の前に歩み寄ると、ぺこ、と頭を下げる。

「こんばんは。カメリア・ファルコといいます」

《いらっしゃい》

「!?」

 驚愕するデイビス。散々恐怖心を煽ってきたにも関わらず、思ったよりフレンドリーな対応だった。

《前の部屋で、ちゃんと身ぃ清めてきた?》

「あ、ええと、水浴び程度なら。一応」

《よろしい、それでは若さの泉を求める者たちに、最初の試練を授けてやるとしよう。第一問》

「あ、いきなり始まるんだね」

「一呼吸くらい、間がほしいよな」

 有無を言わさぬ調子で幕を開ける試練に戸惑いながらも、二人は気を引き締めて、クリスタル・スカルの出す問題に聞き入った。

《ひとつの声を持ちながら、朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足になる生き物、なーんだ?》

「割とフランクな口調でクイズを出してくるんだな」

「まあ、メキシコは死者との距離が近いって言うからなあ」

 カメリアはちょっと首を傾げて、脳内のデータベースから、目的の情報を拾ってくる。

「これはギリシャ神話に出てくる、有名なスフィンクスの謎かけね。王子オイディプスが、テーバイの街を災いから解放するために挑んだ試練よ。謎を解かれたスフィンクスは、面目を失い、谷に身を投げて死んだんだって」

 不穏極まりない最後の一行に、僅かに身(頭部しかないが)を震わせる水晶髑髏。都合の良いことに、目の前には谷を思わせるような下り坂が広がっていた。

「フーーーーーン、元ネタを他所からパクってきたってことは、その後の顛末についても、きっちりと見習う覚悟があるんだよなあ?」

「これが試練というなら、案外簡単なもんね。ちなみに答えは——」

《そう「人間」だ。ここまではほんの前座。次の問題からが本番である》

「…………」

 沈黙するデイビスとカメリア。若干の気まずさが二人と髑髏の合間を吹き抜けたが、それには構わず、問題は次へと移ってゆく。

《第二問。
 江月照し松風吹く。永夜清宵何の所為ぞ》

「う」

「なんだなんだ。今度はどこからパクってきたんだ?」

 まさか、こんなタイプの問いも出してくるとは。カメリアは口惜しげに唇を噛む。

「これは唐の永嘉玄覚が綴った長詩、『証道歌』の中の二句ね。禅の本義が凝縮されたものとして、『雨月物語』の中の『青頭巾』にも引かれているわ」

「あんた、何でも詳しいなあ。それで答えは?」

「ない」

「えっ。ないの?」

「だって、禅問答なんだもん。極めて最小限の言葉で表された難解な問いを、自身の中で繰り返し深めることによって、ついに悟ることこそが本来の目的。つまり、言葉上の解答は目的ではないから、言ってしまえば何だって良いの。謎かけにして謎かけにあらず。無心となって考え抜くこと、これが修行になるわけなんだから」

 二人は、ちょっと顔を見合わせた。

「なるほど。つまりこいつは、答えられない問題を出したってことでいいのか?」

「というより、安易に答えを得ようとする姿勢それ自体が浅ましい、と言った方がいいのかなー」

「ええ、こいつ、仮にも一応神様なのに?」

 口に出さずとも如実に物語ってくる、彼らの北極のように白けた目線に耐えられなくなったのか、クリスタル・スカルは数秒間の沈黙を守り続けた後で、出し抜けに、カッ、と眼窩から光線を放出し、デイビスもカメリアも、ついでにアレッタも、眩しさに目を閉じた。しかし光線は、神殿に描かれた壁画のように彼らを焼くことはなく、一筋の道しるべのように左手側に伸びてゆく。

《通って、良し》

「はぁ。どうも」

 こんなんで良いのか。若干の消化不良のまま、水晶髑髏の光線の後を追うと、通り過ぎざまに、ちらと怪しげな揺らめきの光が反射しているのが気にかかったカメリアは、改めてクリスタル・スカルに問いかける。

「ねえ。道は、あっちじゃないの?」

《そっちは、だめ》

「なんで?」

《波紋は、罠だから》

「あ、そう」

 本当かなー。あっさり吐露してくれるクリスタル・スカルに、手を振って別れを告げ、次の間へと足を踏み入れるデイビスとカメリア。

「わーお」

 新たに広がってくるのは、崩壊しかかった地面と壁。そこに至るまでにも、目につく大抵のものは荒んでいたのだが、ここはとりわけ、荒廃の跡が凄まじかった。石造りの道も壁も凸凹と隆起し、まるで何か細長いものが、地面の下を這い潜り、神速で駆け抜けていったかのようである。地下水を排出する役割を担うのだろう、蛇頭の雨樋が頭上に立ち並ぶ先には、向かい合って笑う二つの骸骨という、またしても不気味な模様が刻みつけられている黒い門。もはやこの神殿内に、グロテスクでないものは皆無なのかもしれない。察するに、何かがこの封じられていた門の隙間から逃げ去ったのだろうが、その正体が明示されているわけでもなく、要するに、地獄の始まり感が物凄い。ここからが本番ということか。

「♪ちゃ〜ちゃらっちゃ〜〜〜、ちゃ〜ちゃら〜〜〜」

「いきなりどうした?」

「ここ、実際のアトラクションだとレイダース・マーチが流れるんだよね。超カッコイイ」

「なあ、どうして今回はメタ発言が多いんだ?」

「だってそうでもしないと、足がすくむのよ。嫌じゃないの。怖いじゃないの」

 かくかく、と震えながらも徒歩の速度を落とさず、懸命に前に進もうとする気概を示すカメリアは、いつもより若干、口数が多いのも、その恐怖を紛らわせるためなのだろう。デイビスも、まさかこれほど肝試しじみた神殿徒歩ツアーになるとは思ってもおらず、道連れにしてしまったという事実にに、わずかな良心がちくちくと痛む。できればさっさと教授を見つけて脱出し、トルティーヤのひとつやふたつ、さくっと食べて、ポート・ディスカバリーに帰りたい。

「失踪した教授の名前、なんだったっけ?」

「インディ・ジョーンズ」

「了解。ジョーンズさーーーーーーーん」

 さーん、さーん、さーん……とエコーを残して消え果てた後、一層のこと濃密に肌に貼りついてくる無気味さに、もう二度と呼びかけることはやめようとカメリアは後悔した。

「まったく、こーんな魔宮に、よく一人で入れるよな。まともな神経じゃ、正気でいられねえよ」

「変態よ、変態。指折りの不審者に違いないわ」

 胸に渦巻くやるせない恐怖をどうすることもできず、本人がいないのを良いことに、思うがままに悪態をつく二人。その後も、ミイラの間やら、虫の間やら、確実にトラウマをしこたま植え付けようとしてきたに違いない悪趣味な部屋が続き、二人はよろよろと脱出した挙句、魂の泉へと辿り着く。

 それはちょうど、神殿の心臓部にあたる広間で、最初の生贄の間に匹敵する広さである。何百年前に渡したものだろう、ほとんど落ちてしまいそうなほどボロボロの吊り橋がかかり、そこを通る人間は必ず、そばに控えている超巨大な隻眼のクリスタル・スカル(とはいえ、実体は岩だ)が聳え立っているのを意識しなければならない。その恐ろしい骸骨の前に引き出されれば、蛇に睨まれた蛙のようなもので、どのような罪も問われるままに、勝手に自白してしまうに違いない。そして、その髑髏の隻眼が見つめているのは、吊り橋というよりも、むしろその奥の地の底にある、円盤の上に造られた人工の泉ではなかろうか。

 泉といえど、水盆にはあらず。それは、竜巻、のようなものなのだろうか。竜胆色に輝くその盆の淵から、細く細く鳴き声を立てつつ、泉に揺らめく波紋や、宝物をも巻きあげてゆくその颶風は、遠く暗がる天井の洞穴にまで吸い込まれて、その彼方は、もはや暗黒のさなかに一筋も見えない。まるで、この神殿の歯牙にかかった人間の魂が渦巻き、引き裂かれ、阿鼻叫喚をあげているような。そんな永遠に苛まれる魂の牢獄と化した地獄の風は、ただ水晶髑髏の望むままに、死の舞踏を続けるより他にない。

「わあ、見て見てデイビス、凄いわよ。ある意味、絶景」

 揺れる吊り橋の上を、なんとかロープに掴まって歩みながら、カメリアは溜め息をついた。明らかな超常現象に驚きがあっても良いはずだが、デイビスからは何の反応も得られない。返事がないな、と不思議に思って、振り返ってみると。

「…………」

「……よっぽど、虫が嫌だったんだね」

 先ほどの虫の間に張っていた蜘蛛の巣を全身にくっつけ、生まれたての小鹿のように震えるデイビスの頭をぽんぽんと撫でながら、カメリアは哀れみの目をそそいでやった。

「あれが、この神殿のメインディッシュか。なんだか、ストームみたいだなぁ」

「教授……もしかして、あの泉の中に魂を吸われてしまったんじゃ」

「そ、そんなの、もう救助不可能だろ」

 何気なく口にしたカメリアの推察に、デイビスはぎょっとして彼女を振り向いた。

「行けども行けども、何の手掛かりもないし。そろそろ、痕跡くらいあったって良いのに」

「おい、待てってば、そう焦るなよ。まだ教授が死んだって証拠はねえだろ?」

「い、生きてるって証拠もないんだもん。彼の死体を虫が食べちゃったら、もう生死の判別すらつかないじゃない」

 様々な重圧に耐え切れなくなったのか、ポロポロと涙をこぼしながら語るカメリア。とうとう、わーん、と泣き出したその肩を宥めるように叩きながら、内心、デイビスも激しい不安に襲われつつあった。最悪、教授が見つからなかったとしても、ここで自分たちもまた共倒れになれば、死ぬに死にきれないものがある。

「わ、分かった、分かったよ。めんどくせえ奴だな、いったん落ち着けって」

「ひく、せめて、無事でいるかどうかだけでも分かったら」

「ジョーンズさん! 聞こえたら返事してください!」

 デイビスが大声で叫び、幽霊の発するようなエコーが大広間中を轟かせたその瞬間、吊り橋の反対側から投げかけられた鋭い光芒が、暗闇に慣れた彼らの目を射った。

「何者だ!?」

 誰何する声は、低い、厳しさに満ちた声色。皓々たるランプの光が、彫りの深い顔に陰翳を刻みつけ、蜘蛛の巣のように複雑な表情を露わにしている。その一方で、右手は、用心深く腰元の拳銃に触れていた。

 デイビスも、カメリアも、目を丸くしてそち、を見た。カーキ色のフェドーラ帽を被ったその下は、浅黒く張りのある肌、鋭くも精悍な目つき。長らくの探検で無精髭が生えており、眉は皮肉げに歪んでいるが、しかしその顔貌は非常に端正で、着古したらしいレザージャケットがよく似合う。襟元が大きく開かれているからか、そこから覗く首は汗に濡れ、逞しい喉仏と鎖骨を浮かばせていた。
 ちょうど中年に差し掛かった——といったところだろうか。すでに人間としての地盤は完成されていて、後はそれを極めるばかりだという、有無を言わさぬ哲理の力強さがあった。しばしば軽薄に見られがちなデイビスの美貌とは、根本的に方向性が異なる。そこには味があり、渋みがあり、重みがある。そして、デイビスと同じくらいの、背の高く、鍛えあげられた肉体からは、ずしりと詰まった赤銅のように燃え盛る、猛々しい潜熱を感じられた。

 しばらくランプを蠢かせて闖入者の様子を探っていた男は、思ったよりも若い男女の連れ添いだという事実に驚いたのか、リボルバー拳銃から手を離して、素早く吊り橋を渡り、足早に彼らの元へと向かっていった。

「君たちも遊び半分で神殿に迷い込んだ類いかね? ここは観光客のくるところじゃないぞ!」

「ぐすん。デイビス、この人なのかな?」

「どう見ても……そうだな」

 と、『レイダース/失われたアーク』の映画ポスターを広げるデイビス(画:ドリュー・ストルーザン)。観客サービスのつもりなのか、無駄に胸元がはだけて描かれているが、鞭を振り回す姿と爽やかな笑顔——その白い歯まで輝く端正な顔立ちは、確かに、目の前に立っているこの人物に違いない。

「ジョーンズさん。俺たちは観光客じゃないし、遊び半分でここに来たわけでもありません」

「私たちの目的は、あなただったんです。インディ・ジョーンズ博士」

「どういうことだ?」

 訝しむ顔で彼らを睥睨する男に、デイビスは簡潔に語った。

「世間では、あなたが失踪したと話題になっているんです。それで関係者の一人が、失踪に関する容疑をかけられて」

 デイビスとカメリアは、薄暗い神殿の中で、ここに至るまでの経緯を、かくかくしかじかと辛抱強く説明した。男は、事情を知るにつれて、その厳格な表情も和らげてゆくようだった。

「なに。ツアーの主催は、パコが?」

「ええ。恐らく今頃は、あなたの誘拐の容疑で拘置所に。そのせいで魔宮ツアーは、当分再開されなさそうですけど」

 デイビスの言葉を耳にして、男は、渋みの乗った孔雀色が混じるブルーの瞳を細め、傷のある顎を撫でた。

「彼には、たっぷりチップを弾んだはずだったんだが。やはり、もっと支払うべきだったか」

「いやー、どうですかね。ますます、カモと思われそうですよ」

 息子のペコがあの調子だからなぁ、とデイビスは遠い目をした。彼は、デイビスの財布事情を紙幣の枚数に至るまで把握していて、せびる上限として、絶妙なほどギリギリのところを攻めてくる。商売人の父の血の影響だ、と嘯いていただけに、元凶となった親のがめつさとくれば、かき氷のシロップなみの濃さであろう。

「君たちには迷惑をかけてしまったな。改めて、すまなかった」

「いいえ。無事が確認できて、何よりでした」

「自己紹介といこう。私が、君たちの捜していたインディアナ・ジョーンズだ。大学教授として、教壇で考古学を教えることもあるが……しかし、良き考古学者になるには、図書館から脱出することだ」

 思った以上に真人間な様子の教授に、二人は、先ほどさんざん悪態をついた事実をすこぶる反省した。

「カメリア・ファルコです。どうぞよろしく」

「カメリア・ファルコ? どこかで聞いたことのある名だな。ファルコ、ファルコ……」

 と、不意に焦点を外して考え込み始めるジョーンズに、デイビスは覚えず期待を膨らませる。


 ひょっとして、カメリアがどんな人生を送ったのかが分かる?


 これまで、ほとんど彼と分かち合おうとしなかったカメリアの半生。その仔細について、彼女に直接訊ねるのは気が引けるだけに、まさか目の前の人物の口から語られるのではないかと、デイビスの胸は色めき立った。
 図らずも鼓動を脈打たせているデイビスの眼前で、しばらく思索に耽っていたジョーンズが、そうだ、思い出したぞ、と舌に乗せた内容は、しかしまったく彼の予想外のことであった。

「もしかすると君は、チェッリーノ・ファルコの血縁者かね?」

「おと……チェッリーノを、ご存知なんですか?」

「ああ、考古学者の中では有名な古物商だ。私の研究分野からすれば、やや専門外なんだが、それでも彼の蒐集品の価値は、少しも疑いようがない」

 そう言うと、ジョーンズは脳内の記憶を掘り起こすように遠くに目をやり、丁重な口調で呟いた。

「ミスター・ファルコのコレクションは素晴らしい。現地を回って集めたと思われるが——図書館の奥で埃を被っている藝術品とはまるで違う。生き生きとして、保存状態もいい。何より、非常に広範に渡って分野を横断している」

「わあ、ルッカを訪れてくださいましたの?」

「いや、ニューヨークに貸し出された展示品を見ただけだ。そうだな、メディテレーニアン・ハーバーに収蔵されているのだったか——いつかそこにも、足を運んでみたい」

 恐らくそれは、ジョーンズなりの社交辞令だったのだろうが、カメリアは感激して、懐から紙のチケットを取り出した。

「ぜひ。これ、クーポン券です」

「ん? ……ああ、ありがとう」

 カメリアにしっかりとそれを握らされるジョーンズ。期限日切れについては、何も言わないことにしたらしい。

「キャプテン・デイビスです。ポート・ディスカバリーから来ました」

「ほう、ポート・ディスカバリーか、良い故郷だな。しかし、遙々とよくここまで来てくれた」

と、手を握り交わしながら、デイビスの肩を叩く。ジョーンズの指は硬く、太く、力強かった。

「連絡は、取ろう取ろうと思っていたのだが、この神殿の奥深くでは無線が通じなくてね。せっかくここまで来たのに、戻るのも勿体ないと、ついつい引き伸ばしにしてしまったんだ」

「あ、多分この無線機なら大丈夫ですよ。原理は良く分かりませんが、シス調のさなかですら通じるので」

と、デイビスはポケットから漁ったそれを、ジョーンズに手渡した。その裏側に貼られたシールを注意深く観察しながら、特にその生産国を確認しているようで、やがて満足のいったように、重々しく呟く。

「ポート・ディスカバリー製の機器は信用に値する。さもなくば、マツシタデンキが良い」

「はあ、スポンサーの圧力を感じさせる台詞ですね」

「それでは、有り難くお借りしよう」

 ジョーンズは、無線機のチャンネルを回しては耳に当て、回しては耳に当てを繰り返していたが、ようやく目的の帯域に辿り着いたのか、

「ハロー? こちらインディアナ。ドナルド、君に頼みたいことがあって、連絡したんだ」

 すると無線機の向こうからは、まるでヘリウムガスを吸ったように舌足らずな濁声が聞こえてきた。

《さりゅーどす、あみーご、じょーんじゅはかしぇ。いきてぃぇいてゃなんておぼわなきゃってゃよ。おでょりょいてゃにゃあ(訳、Saludos, amigo、ジョーンズ博士。生きていたなんて思わなかったよ。驚いたなあ)》

「無線機が通じなくなってしまってね。親切な若者に借りて、ようやく外部との連絡が取れたよ」

《しょりぇで、びょくににゃんのよーお?(訳、それで、僕に何の用?)》

「君のところに、商売人がくるだろう。その人脈を辿って、警察と掛け合ってほしいんだが」

 と、これ以降もかくかくしかじかと、舌足らずな声との会話が数分続き、ようやく無線が打ち切られた。

「これで大丈夫だ。あとは彼が、良きに計らってくれるだろう」

「パコさんは、これで解放されますかね?」

「ああ。警察には賄賂を渡して、なんとかする。私も一度、神殿の外に出て、大学の調査隊やアメリカ大使館と連絡を取るとしよう」

「それじゃ、一緒に脱出しましょう。よかった、これで百人力ね」

 カメリアは満足げに胸を撫で下ろした。とにかく、この大広間は今までの中でも最上級の気味悪さだし、何より巨大なクリスタル・スカルの大岩が、三人の話している現場をじっとその隻眼で見つめてくるのは、たまったものではない。

「この神殿は、一方通行でね。 "誘惑の間"に入った時から、もう背後の扉は閉ざされてしまっただろう?」

「ええ。出口は、あそこしか用意されていないのでしょうか?」

「そんなことはないだろう、実際、パコの魔宮ツアーから脱出した観光客たちもいる。かくなる上は、新たな道を探すしかないな」

 ジョーンズは、素早く広間全体に目を走らせると、

「来なさい。こっちだ」

と手を翻して合図した。

 おおお、なんとも心強い。最高のSPを雇ったような安心感に、やはりプロの冒険家は違うな、と感動するデイビスとカメリア。そこでしばらくは浮き浮きとしてジョーンズの後を追っていたのだが、吊り橋を渡り終え、カーブしてゆく通路の奥を進むにつれて、何やら地響きのような低い轟きが、周囲を取り巻いていることに気づいた。

「嫌な予感がするな……」

 と不吉な台詞を呟いたジョーンズは、フェドーラ帽を被り直すと、素早く辺りに目を走らせながら、警告を発した。洞窟の壁面には、鬼火にも似た青い燐光がその凹凸を浮き彫りにしており、周囲の壁に倒れ込む骸骨たちは、その朽ちた顎を、幻怪に笑ませたままでいる。

「君たち、足元に注意しなさい。多くの場合、罠は触れなければ発動させずに済む」

「それじゃ、特殊な場合は?」

「そうだな——例えば、光、とか」

 ジョーンズがそう言い切る前に、デイビスの何気なくあげた懐中電灯の光線が、祭壇に設置された鏡に反射して、ほとんどちぎれそうになっていた壁の綱を熱で焼き切った。

 その途端、凄まじい勢いで百の槍ぶすまが地面を突き破ってきて、すざっと三人は身を引く。ガチン、とある一点で上昇を止めたその仕掛けは、大人の身長をゆうに超える針山と見え、何人かはあえなくその謀計の餌食となり、僅かな頭髪を引きつつ、異臭を漂わせる骸骨と成り果てていた。

 ぜはーっ、ぜはーっ、と蒼白な顔のまま、荒い息を押し留められずにいる二人。ところがジョーンズは涼しい顔で、

「懐中電灯の動きには気をつけたまえ。どこに罠がめぐらされているのか、分からないのでね」

「き、気をつけろって。何をどうすれば……」

「それに、大きな物音で動作するものも」

 言うが早いか、カメリアが地下水に滑って転び、びたん、と大きな音を響かせた。その虚しい反響が、殷々として魔宮に消え果てる前に、周囲のおびただしい石がやおら震え始めたかと思うと、まるで地震が発生したかのように、その微動は神殿中へと及び始めた。そしてだしぬけに、轟音を立てて壁の一部が打ち砕かれ、突然、巨大な丸い大岩が、彼らに向けて転がってくる。

「逃げろーッ!!」

 神殿をびりびりと震わせるほどの声で指示を飛ばすジョーンズの声を合図に、ジョーンズ自身もデイビスも、一斉に前へと駆け出した。凄まじい勢いで迫ってくる大岩。すべてをその超重量の下に押し潰そうとするそれは、とても人間の疾駆の速度では間に合いそうにない。ましてや、通路の真ん中で転倒していたカメリアは、立ちあがって回避する暇など寸毫も与えられなかった。プチッ、という何かが潰れる音を背後に聞いた気がして、デイビスは胸を引き裂かれるような思いがした。それを行えば速度を落とすことに繋がるにも関わらず、彼は懸命に後ろを振り返ろうとする。

「か、カメリア!」

「だめだ、デイビス君、振り向いてはならない!」

「離せっ、カメリアが! カメリアがーッ!!」

 しかし振り返ったデイビスの視界に入ってくる光景は、予想の斜め上を行く悲惨さであった。彼女はごろんごろんと転がる岩に貼りつき、両手をあげたままペラペラの薄さになっていた。

「かっ、カメリアがっ、巨大岩に巻き込まれて大変なことになっているッ!!」

「なぜ彼女はあれで生きているんだ?」

「知らねえよっ!!」

 走りゆく道はさらにカーブを描き、途中で二又に進路を断ち割った。ジョーンズは持てる力のすべてを片腕に込めて、デイビスの背中を押し出すと、自らも地を蹴って、寸前で左手の通路に倒れ込んだ。瞬間、背後のシャツを掠める感覚とともに、耳元の空気を、凄まじい圧を放つ岩が勢いよく刮げ取ってゆく気配が過ぎ去り、ゾッと肌を粟立たせる。

 やがて勢いに乗った大岩は、そのまま轟音を立てて反対側の壁に突き当たり、小石の落ちる気配とともに鈍い回転を止めた。しん、とした静寂が落ちる。カメリアを見捨てたために、一羽だけ難を逃れたアレッタは、落ちているポップコーンでも見つけたかのような眼差しで、押し花となっている主人の姿を見守っている。ジョーンズもデイビスも、ゴクリと息を飲んで、その光景を見つめていた。

 壁に突き当たって止まった大岩から、ぺらりと剥がれ落ちてくる一枚の紙。それはしばらく、観衆たちの沈黙に包まれながら地面に伏せっていたが、やがてゾンビの如くおもむろに起きあがると、風に煽られるような頼りない音を立てて、彼らの元へと近づいてくる。

「ふう、生還したわ」

「あんた、本当に俺と同じ人間か?」

 疑いの眼を向けるデイビス。若干、歩くたびペラペラと空気抵抗で揺らいでいる気がするが、それは良いのだろうか。

「凄いな。これは……生命の神秘だ」

「いや、こいつの人外の生態を珍しがらないでください。ジョーンズさん」

 呼吸にも揺れるカメリアの薄さに、虫眼鏡を取り出して観察するジョーンズと、それを制するデイビス。

 アレッタは、すっかり厚みの消滅したカメリアの姿を見て、自らの羽を休ませるところがないと判断したのか、側の祭壇に祀られていた水晶髑髏のミニチュアに留まり、軽い溜め息をつきながらその脚を下ろした。そして、その隼のわずかな重みにより、頭蓋骨に埋められていた隠しボタンが押し込まれ、ポチリ、と音を立てて作動する。

 古典的な——至極間抜けにも思える落とし穴だったが、その効果は抜群だった。がくん、と急激なGの変動とともに、完全に足場を失ったカメリアの髪が、空中に大きく弧を描いて揺れる。呆気に取られた顔で振り返るデイビスを残像として、彼女はスローモーションのようにゆっくりと、五感が伝えてくる情報を脳内にめぐらせた。慣性の従うままに、その肉体は傾いで、底無しの穴に落ちてゆく。いや——底のないはずがない。横目に映った落とし穴の奥で、ジョーンズの掲げているランプの光を照り返し、深淵に敷き詰められているらしい残酷な刃が、ぎら、と反射を投げかけていた。

 え、あ、嘘、今度こそ私の人生終わり? 最後まで雑な扱いをされるキャラだったけど、一度くらい、好きな人に愛されてみたかったわ。

 と、走馬灯もない中で思い浮かぶのは、煩悩に満ちた虚しい欲望。まるで届かぬ星に触れようとするかのように、彼女は無意識のうちに手を伸ばした。その腕を、間一髪、デイビスが倒れ込みながらも掴んだことで、彼女の即死は紙一重で免れた。けれども、最悪の事態に首まで浸かっていることには変わりない。ぎり、と二の腕の筋肉が攣りそうなほど力が込められる。落とし穴の中で宙吊りとなったカメリアと、地上にいるデイビスを繋ぐものは、汗で滑る互いの掌だけである。

「カメリアー! 死んでも俺の手を離すんじゃねえぞ!」

「で、デイビス……」

 暗闇に響き渡る声で彼女を勇気づけるデイビスに、カメリアは切実さに満ちた眼で彼を見あげた。丸く頭上にくり抜かれた、落とし穴の出口。暗がって見えにくいが、デイビスが歯を食い縛るようにして、腕一本で彼女の体重を支えているのが分かる。彼もまた、必死なのだろう。ぽた、と冷や汗を垂らしながらカメリアの目を見つめているのが、この絶体絶命の状況であれば、その格好良さも十割増である。な、なんて輝いて見えるのかしら。この人と結婚しよう。そうして、意図せずオーラを解き放つ彼と一緒に並んでいるのは、罪のない表情で見下ろしてくる、小さな影。

「あ、アレッター! 裏切ったわねー!」

 大声で非難するカメリアをよそに、アレッタは自らが主人を窮地に追いやる戦犯となったことを理解しているのかいないのか、筒状に空いている落とし穴の上から、彼女の姿を興味深そうに覗き込んでいる。もはや何が敵で何が味方なのか、さっぱり分からない。

「貸しなさい。ファルコ嬢、もう片方の手を私に預けられるかね?」

 ジョーンズは、膝をついて穴の上に屈み込むと、自らの腕を伸ばして、カメリアの方へと差し伸べた。彼女は少し恐怖していたようだが、やがて、それまで壁の突起を掴んでいた片腕を、震えながらジョーンズに差し出した。その白い手をしっかりと掴むと、ジョーンズは冷静沈着な、ベルベットのように低い声で囁いた。

「それで良い。呼吸を落ち着けて、深く吐きなさい。力を抜いて、私たちにすべてを任せたまえ」

 パニックに陥りかねないその状況の中、彼の言葉は、精神安定剤のようにカメリアの胸に染み込んでゆく。逞しい腕に力を込めたジョーンズは、一気に彼女の体を引っ張り、ついに地上へと引きずりあげた。いつもは彼女を粗雑に扱うデイビスも、心配そうに顔を覗き込んでくる。カメリアは、うるうる、と目を潤ませて、安心感に耐え切れずに両腕でその首元に縋りつき、大声で泣き叫んだ。

「わーん、デイビス、ありがとう。命の恩人ー」

「カメリア。抱きつくのは良いけど、俺はこっちだぞ」

 彼女がひし、と抱きついているのは、罠にかかって白骨化したらしい骸骨である。こんな時までボケをかまして、一体彼女は何の笑いの神に取り憑かれているのか。

「ふう、ここは危険だな。それにこう言っては悪いが、君たち二人は、遺跡の罠にかけてはほとんど素人と見える」

「普通の人間は慣れていないですよ、こんなところ」

 むしろプロの人間が、この世に何人存在するというのか、と冷静に突っ込みをかますデイビス。

「そう……君たちをここまで連れてきてしまったのは、私の責任だからな。私には、君たちを無事に神殿の外まで送り届ける義務がある」

「お願いします、ジョーンズさん」

 二連続で罠に引っかかり、しょんぼりとしているカメリア。その頬から、先ほどの騒動で貼りついてしまったらしい蜘蛛の巣を取り除き、ジョーンズは魅力的な柔らかさで微笑んだ。

「安心しなさい。君は必ず、私が守るから」

 その台詞とともに、それまで厳しく掴んでいた顔貌の精悍さが緩み、なんとも趣深い、甘いマスクに変わった。さすがのカメリアも、映画俳優のようなその顔の整い具合にあてられたのか、ぱっと頬を染めて、気まずそうに視線を外す。そして、それを見ているデイビスといえば、いつになく顳顬に青筋を立て、憤懣を滾らせていた。

 ふーーーんへーーーえほーーーお。
 大学教授とか言いながら、随分と若い女性の扱いに手慣れていることで。

「あ、ありがとうございます、ジョーンズさん。ごめんなさい、私ったらすぐに罠に引っかかってしまって」

「一般人なら仕方のないことさ。それにお礼を言うなら、彼に言いたまえ。君の命を繋いだのは、デイビス君なのだからね」

 きら、と白い歯を輝かせつつ、はっはっはっ、と渋い笑い声を放つ様は、なるほど、とりわけ女性らがたやすく道を誤りそうな風貌ではある。畜生、ついでみたいな形で株をあげられたって、ちっとも嬉しくねえぞ、とデイビスは苛々としてジョーンズを睨めつけた。

「君たちには災難だったろうが、これほど罠が多く仕掛けられているということは、その先に道のある可能性が高いということだ。意味もなく大量のカラクリを仕掛ける道理はあるまい」

「で、その終着点が、ここ、と」

 ランプを片手にしたジョーンズを先頭に、三人はその場で立ち止まる。目の前に広がる光景は、今までの荒々しい洞窟の中とは、また少し違った趣がある。
 きちんと平らに整備されているのが、却って薄気味悪さを増大させるその回廊の壁には、ジャガーの牙の合間に顔を覗かせる戦士たちの像が、両面におびただしく立ち並ぶ。ご丁寧にも、その顔はぼんやりと妖しい光源に照らし出され、そしてその口のいずれにも、細い筒の先端が突き出ていることから、ああ、ここから何か飛び出してくるんだろうな、ということが想像できてげんなりした。しかし、向こう側までの道のりは非常に遠く、ランプの覚束ない光も、ほとんど届かないほどである。

「どう考えてもトラップだろうな。しかし、他に道はないぞ」

「どうしましょうか?」

「まあ、やれるだけのことはやるべきだろう」

 ジョーンズはフェドーラ帽を手に取ると、慎重に構え、勢いよく帽子を回転させるように投げ飛ばした。長らく宙を切り裂いてから空気抵抗で失速し、ぽたり、と回廊の端の地面に落ちたそれは、罠の餌食となって蜂の巣になることもなく、その中折れの形状を保ったままでいる。

「ふむ。影が引き金になるわけではないようだ」

 ジョーンズは軽く手を叩いて埃を払うと、腕まくりをして、身軽に体を翻せるよう、準備を整えた。

「私が先に行こう。その後、順に一人ずつ来たまえ」

「は、はい」

「それともう一つ。もしも私が途中で罠に倒れても、けして歩みを止めてはならない。君たちだけでも、必ず、ここから脱出するんだよ」

「…………」

「分かったね?」

 柔らかい口調とは裏腹に、その声色には、有無を言わさぬ凄みがあった。僅かに、悲劇の前兆のような空気が漂う。死ぬほど嫌ですう、とでも言いたげに自分のことを見あげているカメリアの肩を、ジョーンズは軽く叩いて、

「そんな顔をするな、私は必ず生還する。最後まで、君たちのボディガード役を務めねばならないのでね」

「わ、私たちのためじゃなく、みんなで生きて帰りましょう。命あっての物種ですもの」

「そうだな、みんな生還することが何よりだ。ここを無事に出たら三人で、スパイシースモークチキンレッグを片手に、キリンイチバンシボリでも傾けようじゃないか。はっはっはっはっ」

 そしてお馴染み、暗闇の中できら、と輝くホワイトな歯列と笑み。こ、この男、TDSで一番旨いものを熟知していやがる、とデイビスは歯噛みした。その渋さにも関わらず、意外にここのページでも熱心に覗いているのかもしれない。

 緊張をほぐす冗談もそこそこに、ジョーンズは険しく眉を引き絞ると、自らの運命をその足取りに乗せて、毅然として足を踏み出した。彼の後方では、観衆よろしく、デイビスは固唾を飲んで見守っているし、カメリアは目を瞑って、必死に神に祈りを捧げる始末。まさに緊張の一瞬である。ハラハラ、と胸騒ぎを感じつつ、その命を賭けた一歩が、ゆっくりと地面に踏み出されるたびに、あっという間に凶器に串刺しにされ、ジョーンズが血を噴き出して倒れてしまったらどうしよう、と動悸で胸がはち切れそうになる。しかし暗闇は彼の足音をひっそりと吸い込むばかりで、やがて永遠の如く繰り返されていたその音も、回廊の奥深くで止んだ今となっては、しん、と静まり返っている。

 デイビスもカメリアも、祈りのポーズを解いて、遠い前方にいる人影を見つめた。

「……何ともない、ですね?」

「いや、用心したまえ。罠は、すぐに動作するとは限らない。体重や踏んだ回数を引き金として、動き出すものもあるからな」

 ジョーンズは遠くからやや声を張って、デイビスの声に応答すると、自らの相棒たるフェドーラ帽を地面から拾いあげて、勿体ぶった素振りでそれを頭に被った。

「君たちも、道の中央をゆっくり通っておいで。くれぐれも、注意を怠ってはならない」

 カメリアとデイビスは、互いに顔を見合わせた。

「どっちから行こうか?」

「先でも後でも、危険度は同じなんじゃない」

「じゃ、カメリアが先に行けよ。一人でここに残るのも怖いだろ。俺が後ろで、見守っていてやるから」

 カメリアはじ〜ん、と感動に胸を波打たせ、ハンカチを濡らしながら、デイビスの手をしっかと握り締める。

「さようなら、ダーリン、マイハニー、愛しい人。私のこと、けして忘れないでね」

「忘れるも何も、顔もあげりゃすぐそこにいるだろ」

 茶番は良いからさっさと行け、と急き立てるデイビスに、カメリアも兜の緒を締めるような面持ちで、回廊の果てへと向かって歩き出した。

 こつり、こつり、と地獄に響き返るような靴音。周囲の悪魔のような眼差しを一心に受けながら、彼女は運命の道を歩んでゆく。徐々に遠ざかり始めるカメリアの背中を見つめながら、もう少し憂慮するべきだったのかな、とデイビスはふと思った。もしもあれが最期の言葉になったら——いや、そんなことは考えてはならない、と慌ててデイビスは自分を戒めた。あいつは大岩に轢かれても死なないようなギャグ要員だぞ、絶対にピンピンとして生還するに決まってる。
 そう自分に言い聞かせるデイビスの不安を落ち着かせるかのように、カメリアは回廊の奥に向かって、声をかけた。

「よかったー、大丈夫です、ジョーンズさん。今のところは、なんとも——」

 言いかけて、周囲に刻みつけられた彫刻の眼が、不自然に赤く輝き始めたのに気づき、彼女は、はっ、と顔をあげる。

「ファルコ嬢、危ない!」

「かっ、カメリアああああああああああ!!」

 前後から叫ばれた呼びかけとともに、おぞましい空気の鳴動が響き渡り、無数の彫刻の口から何かが放たれる。吹き矢! ——それを目視する前に、デイビスは弾かれたように動き出していた。

 ハリウッド映画よろしく、大きく手を伸ばしながら、彼はカメリアの方へと力強く一歩を踏み出す。青春の風を浴びるデイビス。すべてがスローテンポで駆け抜けてゆく。俺、今、最高にカッコいいな。靡く髪、飛び散る汗とともに、デイビスは確信した。こここそが、俺の最大の見せ場なのだと。

 ところが彼女はといえば、その場にヒョイと屈み込むと、あっさりと罠を回避した。そして解き放たれた吹き矢の大群は、呆気なく彼女の上を通り過ぎ、その背後に駆け寄ろうとしていた彼へと向かって、真っ直ぐに襲いかかってくる。あ、やば、とデイビスは蒼ざめた。彼女のことばかりで、自分の身を守ることをすっかり頭になかったのである。要するに、無防備一色。しかしそれに第六感で気づいたカメリアの反射神経は、さらに彼の絶望を上回る超人的な速度であった。

 カメリアはロングドレスを翻すと、剥き出しになった脚を鞭のようにしならせ、一瞬でデイビスに足払いを仕掛けた。えっ、と思う間もなく、爪先が地面から浮きあがり、自然、思いっきり仰向けにのけぞるようにして、大量の吹き矢を避けることになるデイビス。風切音が、背後の壁へと次々と残酷な音を立てて突き刺さってゆく。いや、いったい何のワイヤーアクションだよ、これ。そして、何の支えもない彼の頭が、そのまま地面に叩きつけられる直前で、電光石火の所業で床を蹴り飛ばすと、彼女は腕を伸ばして彼の全身を抱き留め、そのまま地面に倒れ込んだ。柔らかい感触に包み込まれた一瞬後に、ザリザリ、と砂が皮膚を抉る耳触りな音が響いたが、それは彼の肌に喰い入ったものではない。朦々と立ち込める土埃の中に、僅かな小石の粒を剥がれ落としながら、彼を抱き締めている両腕が、ゆっくりとその力を緩めていった。

「デイビス、大丈夫?」

 上から降ってくる声は優しいものだったが、今しがた目の前で起きた、謎のカンフー映画ばりの行動に、デイビスはほとんど言葉を失いつつも、あまりの互いの顔の近さに、バクバクと心臓が高鳴った。何とか、乾き切った喉を動かして、声を出す。

「あ、ああ。大丈夫だ」

 それを聞いて心底安心したように、よかったー、とへらへら破顔するカメリア。彼を受け止めた衝撃で、あちこちが小石で擦り剥けていたが、そんな自身の擦り傷など何の気にも留めずにつと立ちあがると、無言で彼の手を引っ張った。暗闇の中、どこか、罠から庇うようにして彼を導く姿に気圧され、なかなか声がかけられない。

「お、おい、カメリア。俺は良いから、あんたの傷の手当てを——」

「ジョーンズさん。ご心配をおかけしました」

「よかった、いやあ、肝が冷えたな。おや……君は、血が出ているじゃないか」

「あれ?」

「来なさい。膏薬を塗ってあげよう」

と、ジョーンズは彼女を部屋の隅へと導き、瓦礫の上に座らせ、擦り剥いた腕や頬やらにぺたぺたと薬を塗り始めた。

 デイビスはギリギリと奥歯を噛み締めた。こんなろー、人命救助の名誉をかっさらいやがって、とダダ漏れの心の声が、握り締める拳に宿る。先にカメリアを助けようとしたのは、この俺だぞ。そりゃ、結局は彼女に助けられたわけだけど、それを後からしゃしゃり出てきて、自分の功績にしやがって。

「おい、アレッタ。あいつのこと、どー思う」

 立ち込める膏薬の臭いを嫌がり、ぱたぱたと彼の頭に止まった隼に、デイビスは仏頂面で問いかけた。アレッタはクエエ、と鳴き声をひとつ残し、どこ吹く風といった様子で羽繕いを始めた。

「あんたのご主人、あのオッサンに籠絡されかかっているだろ。良いのかよ、黙って指を咥えて見てて」

 そう話しかけるデイビスの鼻先を、ハラハラと、抜け落ちた羽毛が掠めてゆく。こ、この野郎、カケラも聞いていやしねえ。

「お前、初対面の時には俺には威嚇しまくったくせに、なんであの教授には何もしないんだよ? なんだ? 歳か? 顔か? 人徳の差か?」

 アレッタは首を傾げて、無邪気にデイビスの顔を見下ろしていたが、カメリアの処置が終わったのを見るなり、地面に糞を落としながら飛び去っていった。ぺちり、という虚しい音とともに、デイビスの足元に白いそれが飛び散る。こ、こんにゃろー、馬鹿にしやがって。いよいよ言い難い怒りに震える彼に向かって、遠くから、行くよー、とカメリアが声をかけてきた。この神殿では、なぜか異様に不愉快なことが多い。

「それにしてもジョーンズさんは、吹き矢も怖くはないんですね」

「はっはっはっ。冒険家は、危険を顧みずに前に進まなければ。それに、これより何倍も恐ろしいことにも遭遇したことがあるからな」

「あれ、ジョーンズさんのような方でも、怖いものなんてあるんですか?」

「誰にだって、怖いものはあるだろう? 私の場合は——」

 言いかけたその時、彼は突然にぴたりと静止し、沈黙した。その姿を疑問に思って、カメリアもデイビスも、点線を描くように彼の眼差しを辿ってゆく。ジョーンズの視線の先にあるもの。それはまるで人間の腕のように太く、手足を欠いたままに、ぬめり、照り返し、緩慢にその表面を伸縮させながら、皮の下に張り巡らされた筋肉を使って鎌首をもたげ、舌をちらつかせつつ彼らを睥睨していた。

「蛇!」

 とジョーンズは大声をあげて、それまでいかなる蛇の石像にもたじろいだことがなかったにも関わらず、その時ばかりは全身に鳥肌を立たせて、そばに立つカメリアに抱きついた。その隣から流れてくる、シラーッとしたデイビスの目線を感じたカメリアは、遠慮がちにジョーンズの腕を外しながら、

「えーっと……蛇が怖いんですか?」

「蛇は嫌いだ! 大っ嫌いなんだ!」

 じりじりと蛇から距離を取るために、まるで人質を盾にする強盗犯の如く、カメリアの陰に隠れつつ、震える握り拳を固めて、別人となったかのような濁声で怒鳴るジョーンズ。私、やっぱり雑な扱いだなぁ、とカメリアはがっちりヘッドロックで首を絞められながら、自分を大切にしてくれない世界に呪いの念を送った。日焼けしたジョーンズの赤ら顔には、びっしりと汗の玉が浮いていて、言っては悪いが、あまり見たくない姿ではある。

「あ、そっか。虫除けが効かないのか」

「うん、蛇は無理なの。仕方ないよね、昆虫ではないわけだし」

 ぽん、と手を打ち鳴らすデイビスに、お手あげ、というポーズを取るカメリア。その間にも、何とかしてくれと言わんばかりに、ジョーンズはぐいぐいと彼女の背中を押した。

 仕方なしに、カメリアは遠回りして蛇の背後から接近し、神殿の底を這うその尻尾をヒョイと掴むと、遠くの瓦礫の上に置いてやり、また戻ってきた。

「はい。遠くに行きましたよ」

「カメリア。……そんな、当然の如く」

 毎度のことながら、彼女の心臓に毛の生えた度胸には呆れるほかない。ジョーンズはその一部始終を見届けると、愛用のフェドーラ帽を脱ぎ、それを扇いで、火照った体を冷ました。

「いや、すまなかったね。蛇のこととなると、どうしても平常心ではいられなくて、……」

「それなら、アレッタを貸してあげますよ。この子は蛇も捕食しますから、向こうから勝手に逃げてくれるでしょう」

「えっ。蛇も食うのか?」

「うん。何日も迷い込んでしまった時は、最悪、アレッタの捕ってくれた蛇を料理して、食い繋ごうと思っていたんだもの。ほら、行きなさい」

 カメリアが促すと、アレッタは素直にジョーンズの肩に舞い降り、身を擦りつけるようにして、彼の頬に甘え始めた。ア、アレッター、お前、本当に日和見な奴だな、とデイビスは拳をわななかせるしかない。

「これはこれは。聡明な鳥だな。それに、人間によく慣れている」

「この子がこれほど甘えるなんて、珍しいですね」

「心強い相棒だな、アレッタか。よし、私と一緒に、しっかり目の前を見張っていてくれよ」

 はっはっはっ、と快活な声がまぶしく、そしてデイビスは相変わらず噛み締めたハンカチを引きちぎりそうになりながら、アレッタのいなくなったせいで、少し肩の軽くなったカメリアを見ていた。

「では行きましょう。ジョーンズさん、蛇が苦手でいらっしゃるなら、この先は私が先頭を歩きますわ」

 ジョーンズからランプを受け取ると、カメリアは颯爽と振り向いて、道を進んでゆく。その勇姿に大変に感心したように、ジョーンズは深く頷くと、そばにいるデイビスの耳に、軽く口を寄せた。

「いや、ファルコ嬢は実に勇敢な女性だ。そうは思わないかい」

「まー、基本的に、図太い奴ではあります」

「私も、時にはパートナーとともに冒険することもあるがね、なかなか、ああまで堂に入った姿はあるまいよ」

 口笛でも吹きそうな様子で顎をさするジョーンズを、きっ、とデイビスは睨みつけた。うるせー、お前が登場する前は、カメリアがガキみてえに泣き喚いていたのを、俺が慰めてやったんだ。そう心の中で反駁しそうになって、デイビスははたと気づいた。それって、もしかして、俺が頼りなくって、教授に会ってようやく安心できたってことか? 俺はちっとも、信頼されてはいないのか?

 そう考えると、彼の自信は呆気なく、風船のように萎み始めた。あれ。俺って、もしかしてこの魔宮探検にいらない? フラフラと貧血気味になるデイビスに目もくれず、ジョーンズは深い思索に耽りながら、ぽつりと自身の哲学を語る。

「勇敢な人間は、二種類に分かれる。ひとつは、様々な理由で、恐怖心を麻痺させている場合。大きな使命感に燃えていたり、無知による思考停止や、恐怖それ自体への関心も、ここに入る」

「それじゃ、もうひとつの場合は、何ですか?」

 デイビスは悄然としながら、彼に問い返した。

 ジョーンズは、目の潰れるほどに暗闇に閉ざされた道を、手元の頼りないランプで照らして歩いてゆくカメリアの後ろ姿を見つめ続ける。

「あるいは、心の中で、もっと怖いものと対峙しているか。その、どちらかだろうな」





……

「今夜はここで宿営をしようか」

 結局、神殿の出口はその日のうちには見つからず、外への通路が見つかっても、その先を深い密林に塞がれていたり、どう見ても罠が仕掛けられていたりと、なかなか脱出には至らない生殺しの状態が続いた。

 簡単な出口は、おおよそあてにしてはならない、とジョーンズは注意した。最初に清めの間を通って、正当な入り口を通ったからには、やはり何かしらの禊を経て、正しい出口に辿り着くべきだろう。そういう意味では、この神殿は、侵入者に対するひとつらなりの試練を与えてくるものなのだ、と。

 酸欠に陥る心配のない、広めの部屋の片隅を宿営地に選んだジョーンズは、マッチで固形燃料に素早く火を点じ、小さな焚き火台を利用して、すぐに調理の支度を進めた。とはいえ、その内容は持参してきた缶を煮立たせる程度のものである。デイビスの持参したポータブルシャワーを借りて、洗い立ての髪を片側にまとめたカメリアは、タオルで叩いてしっとりと水分を吸わせていた。心なしか、頬もつやつやと潤って見える。そんな彼女の後ろで、デイビスがシャワールームのうちから顔だけをひょっこり覗かせ、

「カメリアー。俺のシャンプーどこやった?」

「右下ー」

「あ、あったわ」

 もはや恥もときめきすらも消え果てた二人の関係とは対照的に、ジョーンズは缶の汁が煮え立つのを待ったまま、緊張感を漲らせた眼で、手記にスケッチした古代文字を見つめていた。カメリアはアレッタの世話を焼いて、羽やら筋肉の付き方をチェックし、餌を与えているようだ。それを横目に収めて、デイビスもまた、即席のシャワールームの入り口を閉じる。

 どことなく腫れぼったい、嫌な気持ちが胸に込みあげ、それを振り払うように頭から水を浴びた。大量の滴とともに、汗や汚れが流れ去ってゆき、肉体は生き返るようにさっぱりとしてゆくのに、なぜか気分は晴れなかった。

 カメリアと、ジョーンズと、自分の三人。歩いている間はよいにしても、宿営においては膝と膝を突き合わせることになるわけで、この後、寝るまでにどんな会話を交わさねばならないのだろうと考えると、気が滅入る。

 デイビスは栓をひねって水を止め、タオルで乱暴に髪を拭った。

 ま、そんなのどうでもいいか。俺もカメリアも、コーコガクは専門外で、飛行にだけしか興味はねえし。一方のオッサンはといえば、完全に考古学一直線みたいだし。
 どーせオッサン一人、今日の調査結果でも振り返ってて、俺たち二人だけ、適当に菓子でも食いながらくっちゃべっているだけだろ。

 身支度を整え終わったデイビスは、濡れた髪に薄手のタオルを引っかけ、鼻唄を歌いながらシャワールームの入り口を開けた。

「ほう、飛行の研究か。さすがはファルコ家の一族だ」

「ええ、気球のほかに、新しい飛行機なども開発しています。子どもの頃から、空を飛びたかったものですから」

「懐かしいな。私も昔は飼い犬を気球で飛ばしてやろうと、とんでもない実験を繰り返したものだったよ」

「まあ、うふふ。わんちゃんも災難ですわね」

 ——と、それまでのデイビスの予想はあっさり裏切られ、二人が飛行について和気藹々と会話をしている内容が聞こえてくる。

 なぜだなぜだ?
 飛行に関しては、俺の領分だろ?
 どうしてカメリアは、フライヤーのことまで、あっさりと喋ってしまっているんだ?

「あ、デイビス」

 カメリアは彼の姿を見つけると、嬉しそうに呼びかけた。

「ジョーンズさんも、飛行機の免許を持っているそうよ。あなたと話が弾むんじゃない?」

「ここへは、私の所有している小型飛行機で飛んできてね。廃業寸前のピラニア航空から買い叩いた安物だが、悪くない買い物だったよ」

 じ、自家用機。万年すかんぴんのデイビスとはエライ違いである。しかも飛行機の操縦もできるというだけに、唯一のジョーンズへのアドバンテージも失ってしまった。
 それだけに、一層落ち込んでゆくデイビスの様子にも気づいていないのか、ジョーンズは親切心から、焚き火に近い良い位置を譲ってやった。

「デイビス君、ファルコ嬢から色々と聞いたよ。君はその年齢で、パイロットに着任しているそうじゃないか。大したもんだよ、まったく」

 勧められた通りに火の周辺に座ると、そばにいるカメリアが、その話題に触れるのを待っていたかの如く、

「そうなんです。デイビスは凄いんですよ!」

と、鼻白んだジョーンズにも構わず、彼の手を凄まじい勢いでがしぃっと握り、鼻息も荒く広告代理店張りのPRに徹する。

「沸き立つような冒険心と、深い愛郷心と、夢見る心を持っているんです。人類の宝でしてよ! 歴史上のどんな人間だって、彼の真っ直ぐな空への情熱には、誰も追いつけはいたしません!
 飛行技術だって、素晴らしいんです。私のフライヤーだってそうですし、もっともっと操縦が複雑なウインドライダーも、ストームライダーも——」

「ストームライダー?」

 立て板に水の如く目をキラキラとさせて語るカメリアに、一気に頬が熱くなった気がするが、そのうちのひとつの単語を拾いあげて、ジョーンズは微かに目を見開いた。

「なるほど、ポート・ディスカバリーには若き天才パイロットがいて、ストームの消滅に成功したとの報道がされていたが——君のことだったのか」

「いえ、それは、俺の上官のキャプテン・スコットのことですね。俺はまだ、見習いみたいなもので」

 デイビスは、ジョーンズの言葉を否定すると、背後に置いていた自分のスーツケースを開き、二人に予備の食糧を投げて寄越した。

「彼は天才です。技術も、人望もあります。ポート・ディスカバリーの住人全員が、彼を尊敬しています。無論、俺も例外なく」

 そう締め括ると、彼自身も自分の分のチューブ食を手に取って、静かに焚き火のそばに座った。そして、思えば正式パイロットに選抜された時も、こんな風に色々と騒がれたな、と数年前を振り返る。

 同僚たちは、なぜお前なんかが、と口々に嘲笑する一方で、他方、知り合う女性たちといえば、みな口々に彼の偉大さを語った。それは、まだ訓練生だった時代に、彼が周囲から受けた仕打ちとは正反対の扱いだ。どうせ、パイロットになんかなれるわけない、と胸中で笑われるのも、パイロットになった瞬間、目の色を変えて近寄ってこられるのも、どちらも嫌だった。

 チューブ食の蓋を回し、中身を胃に流し込むデイビス。カメリアは、平然と嘘を口にする彼の言動に少し戸惑っていたが、あえてそれを訊ね返すことはしなかった。その代わり、

「偉大な職業です。まさに、人類のために働いているんですから」

と言葉少なに、口元を綻ばせる。その無邪気な様子に、頼むから、これ以上この話題に触れてくれるな、とデイビスは鬱憤を募らせたが、少し時間が経ってから、それは自らの功績を否定した彼の自尊心を、幾らか慰めようとして口にされたものなのだと、ふと気づいた。

「ストームライダー。嵐に向かって飛び立つ英雄。自然災害を防止する、夢の飛行機……か。素晴らしい喧伝文句だが、果たしてそのすべてが真実なのかな」

「どういうことです?」

「いや、気を悪くしないでくれたまえ、君たちの仕事は高潔で意義のあるものだ、私も大変敬意を払っている。つまりだな、これは君たち個人の問題というよりも、もっとマクロな視点で見た場合の、些末な疑問なのだよ。……君、タイフーン・ラグーンというエリアを知っているかい」

 デイビスは、聞いたこともないエリア名に片眉を上げ、首を振った。

「南太平洋に浮かぶ孤島で、ある日、巨大な台風(注、ざっくりいうと、北西太平洋〜南シナ海に発生する熱帯低気圧を台風、中米付近で発生する熱帯低気圧をハリケーンと呼びます。その他、東経や風速など、細かい定義あり)に襲われたんだが、あそこは実に逞しい土地でね。火山の山頂にまで乗りあげてしまった難破船をシンボルに仕立てあげ、大きく傾いたレストランや、散乱した救命ボート、それに美しい洞窟や珊瑚礁を生かして、ウォーターリゾートとして復活したんだ。
 まったく、その商魂には恐れ入るが、彼らは自然災害との共存を図ったわけだよ。無論、これから先も被害は出続けるだろうが、彼らにとっては目先の台風のことよりも、地球全体の気候変動の方が、よっぽど恐ろしいのだ」

 焚き火の赤い照り返しを日焼けした顔で受けながら、ジョーンズはゆっくりと、言葉を続けた。

「無論、人命は何より重要だ。特に我々は、人権という概念の拡張を推し進めてきた国で生まれた者たちだ。人間の生存の権利をこの世に育んだその功績は、人類史に誇るべき栄光だよ。しかしそれは、本当に自然と調和するのだろうか。我々は、あまりに厳しい二者択一のうちの、たった一つを選び取っただけではないだろうか」

「ポート・ディスカバリーは、自然と人間との関わり合いを第一として構想された街です」

「そう、貴重な動植物の保護や研究など、すでに多大な貢献をしている街だ。その試みは素晴らしい。しかし……」

と、ジョーンズは言葉を選びながらも、そっとその整った眉を潜めた。

「自然との関わり合いに、正解はないからね。その中で、ポート・ディスカバリーがストームに対して、"破壊"という道を採択したのは、極めて欧米的な解決の仕方だと、私はそう感じた訳だよ」

 そう言いかけて、ジョーンズはぐつぐつと沸騰し始めた缶をタオルで包み、フォークとともに手渡した。

「食べたまえ。コーノスケ・マツシタの送ってくれた、支援物資だ」

「何でしょうか、これ?」

「サバノミソニとかいうやつだ。私のお気に入りでね、いつもこれを食べている」

 なるほど、魚を甘辛い汁で煮込むのは慣れていなかったが、味も香りも食欲をそそるものである。何より、温かいものを嚥下すると、このような神殿のさなかでも、自宅にいるかのようにほっとした。カメリアはその横で、むにぃ〜と宇宙食を練り出しながら食べていた。チューブ式のチョコレートケーキ味で、結構おいしい。

「古代より人間は、自然とどう対峙したら良いのかと、そればかりを考えてきましたからね。宗教の多くは、その最たるものです。この土地の様々な神々も、自然への讃仰から生まれたものですわ」

「そう。特にこの神殿は、地母神コアトリクエ(注、蛇のスカートを履く者、の意)を祀ってあるね。最初の広間で、天井の穴から多くの生贄が捧げられている、あの見事な石像の姿を、君たちも目にしたはずだ。コアトリクエは元々、アステカ文明の生と死を司る神だから、El río perdido における交易のうちで、異なる文明が交じり合ったのだろう。
 多くの者がクリスタル・スカルの存在に気を取られているがね、この神殿の支配者は、コアトリクエだ。だから正しくは、『蛇神の魔宮』と呼ぶべきなのだ。恐らくはみな、水晶という宝石に踊らされているのだろうな。しかし、レリーフや壁画、彫刻など、この神殿中の装飾を見れば、真の信仰の対象は一目瞭然だよ」

「蛇を祀るのには、考古学的に、どのような意味があるんですか?」

「それに答える前に、君たちはここの神殿の周囲を見たかい。そこに、幾つかヒントが隠されているんだ」

 デイビスとカメリアは、ここに至るまでの光景をそれぞれ頭の中に思い描こうとした。そして、脳裏に浮かべるまでもなく、いやまあ、密林しかなかったよな。後はせいぜい、蝶々とか、食中植物とか、ホエザルとか。ヒントと言われても、考古学者でない彼らには、どれが何の鍵なのかすらもわからない。仕方なしに、その問いをジョーンズ自身が引き取って、

「この神殿のすぐそばに、ホッパーカー(注、貨車のこと)のレールの通った、大きな遺跡群があったろう。あそこにはかつて、火と水を司る二つの古代神が祀られていたんだ。火の神はイクチュラコアトル、水の神はアクトゥリクトゥリと呼ばれる。そして面白いことに、アクトゥリクトゥリはだね、鶏冠の生えた、蛇の姿をしているのだよ。この古代神たちは、けして向かい合わせてはならぬという言い伝えがあるのだ」

「ははあ」

「それに、この神殿の外壁にも手掛かりがあるね。神殿の祭壇に向かって右手側に進むと、外壁の装飾には、象のように大きく反り返った鼻と、鋭い牙の並んだ雨と嵐の神、チャークを再現しているところが見えるはずだ」

「水を司る蛇の神、共存不可能な火の神、そして雨の神の装飾。つまりこの神殿を建立した意図は、雨乞い、ということですか?」

「その通り。蛇とは、湿地を好み、また穀物を荒らす鼠を狩る姿から、雨乞い、および豊穣の大切なシンボルだったのだ。同じユカタン半島にある、チチェン・イッツァの遺跡に酷似しているね。あれも羽毛を持った蛇、ククルカンを祀り、チャークの信託を受けるため、多くの生贄を捧げたのだ。
 しかしロストリバー・デルタには一点だけ、大きく異なる特徴がある。それは、この地にはもともと川が流れている、ということだよ。マヤ文明においては水源が枯渇しており、雨水は大切な水資源だったから、雨乞いが重要な意味を持っていることは容易に理解できる。しかし、同様に雨乞いを行うにしても、この水源豊かな魔宮においての祈願は、チチェン・イッツァのそれとは、意味の違ったものになるだろう」

「それでは、若さの泉の伝説は、その雨乞いとも関係があるのでしょうか?」

 デイビスが口にした問いに、ジョーンズはふーっと大きく長い息をついて、自らの頭の中に渦巻く考えや推測を、何とか整理して伝えようと試みているようだった。

「若さの泉かね。あれは、大した仕掛けだよ」

「というと?」

「君たちも感じていたことだろうが、この魔宮内には、あまりに白骨の数が多すぎるとは思わないか。命知らずの探検家の骨にしては、この数は異常すぎるほどだ」

 ジョーンズは、自身の鯖の味噌煮を軽く口の中に掻き込むと、静かに咀嚼する中から、長い魚の鰭を取り出して、神殿の床に吐き捨てた。

「むしろ、恒常的にこの魔宮に人が送り込まれていたと考える方が自然ではないかね。神殿内で命を落とすこと自体が、この地における生活の地盤に組み込まれていたのではないか、と。
 私が言いたいのは、こうだ。つまりね、若さの泉を守護するために、これだけ巨大な神殿を造ったのではない。寧ろその逆で、人間たちを魔宮に誘い込み、生贄に捧げることこそが、若さの泉の伝説の、真の目的だったのではないかと」

 ぽかん、と二人とも口を開けたまま、ジョーンズの唱える説を聞いていた。するとクリスタル・スカルが、波紋は罠だから、と彼らに語っていたのはガチだったのか。今さらながら、おどろおどろしい外見には見合わないその正直っぷりに感心する。

「えーとつまり、若さの泉ははったりで、この神殿自体が、巨大な生贄ホイホイって理解でいいですかね?」

「カメリア。もうちょい言い方を……」

 分かりやすくはあるが、身も蓋もない表現の仕方をしてみせるカメリアに、デイビスは呆れ返った。

「換言すれば、そういうことだな。君たちはまだ若いのにも関わらず、実に容易に私のところまで辿り着いたようだ。しかし発想を逆転させてみよう。若いからこそ・・・・・・、この魔宮の中を進めたのだとしたら? 現に君たちは、私を見つけることしか考えず、若さの泉には目もくれなかっただろう? 邪欲をその身に滾らせることのなかった君たちに対して、クリスタル・スカルは、魔宮の中を探検することを認め、怒りでもって襲い掛かることはなかったのだ」

「はーあ」

「反対に、若さの泉に惹かれた人々は全員、神殿の生贄となるわけですねー。ではその生贄は、雨乞いのためにクリスタル・スカルに捧げられたと?」

「ああ、それこそが、この神殿の根幹に迫る問いだよ。他の神々と比較しても、クリスタル・スカルは明らかに異質の存在だ。髑髏は死者を表す。それは生贄そのものであり、どちらかと言えば神というよりも、人間に近い位置づけなのだよ。ところが、罠のたっぷり仕掛けられた神殿の深部にまで至ると、コアトリクエに代わって、この水晶髑髏が前面に出てくるのだ。それは神殿を支配する神とは別の役割を負わされた、裁定者としか言いようのない何かだな。

 そう、今までに話したことのすべては、ひとつの物語で繋がっているんだ。生と死を司るコアトリクエへの信仰、雨の神チャークの装飾、クリスタル・スカルの存在意義、持続的な生贄、この地の気候、特徴的な地形。そしてロストリバー・デルタにおける最大の謎。……何によって、この文明は滅びたのか?」

 ジョーンズは、ゆっくりとフェドーラ帽を脱いで、その汗に濡れた髪を掻きあげ、鋭いブルーの目を焚き火にそそぎ続けた。爆ぜる音を立てて固形燃料を溶かしてゆく、眼球を干上がらせるような炎は、彼の毅然とした横顔に、神秘的な明かりをちらつかせていた。

「ハリケーンだろう。すべての鍵は、この自然現象が握っている。生贄の間のコアトリクエも、神殿の外壁にいるチャークも、それに遺跡に祀られたアクトゥリクトゥリも、そのすべての神々が、ハリケーンを呼び起こすために信仰を捧げられたものなのさ。

 私にマツシタデンキを紹介してくれた、さる極東の教授が教えてくれたことだが、一見してみれば災害としか思えないような、凄まじい自然現象にも、必ずどこかに利点が潜んでいる。ハリケーンによって膨大な雨をもたらされたEl río perdidoは、洪水による氾濫によって、大地に栄養素を運び、周囲の土地は作物の栽培にふさわしい土壌に富む。古代エジプト文明と同じ繁栄の仕方さ。しかし、ナイル川流域の穏やかな氾濫と違って、ここの洪水は激しく、被害も多い。かつてのここの住民は、ハリケーンの恩恵と表裏一体にある過酷さを、身をもって知り尽くしていたのだろう。それゆえに彼らは、コアトリクエを祀る神殿を建立し、嵐が過剰な猛威を振るうことも、あるいは干魃に陥ることもなく、生きるに足るだけの勢力のハリケーンを授けるようにと、熱烈な崇拝を捧げたのだ。

 願いを叶えてもらうためには、生贄が必要だ。そこで、ハリケーンや洪水から逃げ切れぬと判断された者、とりわけ足の遅い老人や病に伏せった者に白羽の矢を立て、祭壇の上で心臓を抉り出した後、その遺体を持って階段を登り、神殿の頂点から突き落として、女神コアトリクエへの生贄とするに至る。しかし、自らの死の運命に目を背け、残酷な老いから逃れようと試みた者は、若さの泉を求めて、この魔宮の奥深くに踏み込む。そして今度は、死者と生贄の王たるクリスタル・スカルの裁きが下され、哀れな餌食となる訳だよ。

 いずれにせよ、この土地に生きる者は、生贄となる定めから逃れられない。そういった意味では、神の授けた嵐に見舞われるのも、人身供儀として神に捧げられるのも、究極的には神との合一と同じことであった訳だ。彼らはむしろ、その運命を誇りにしていたのだろう。神とともに生き、そして死ぬ。それが彼らの生命観であり、この世界に生まれた意義だったのさ」

 ジョーンズは一息つくと、自らの傷のついた顎を撫でさすり、鈍いブルーの瞳を光らせて呟いた。

「神秘に満ちた伝説に惑わされてはならない。そこには野望や陰謀、裏の目的、その他さまざまな意図が隠されている可能性がある。

 少なくとも若さの泉が、欲望を刺激するような伝説とともに、人々の間に敷衍していったことは確かだね。しかしそれを真実だと信じる前に、考古学者は注意深くその正当性を検討しなければならない。

 若さの泉とは、強欲な者をこの土地からあぶり出すための、目くらましにしか過ぎぬ伝承だ。真の若さの泉とは、生命の死を呑み込んでは繰り返し生を育む、El río perdidoそのものとは考えられないだろうか。その川の恩恵から目を逸らし、生死の連環から外れた邪欲を抱いた者のみが、この魔宮の深部に踏み込み、骨となって永久に彷徨う。この神殿は、そうした者を罰して地上を浄化する、言わばこの文明の最も残酷な暗部を担うわけだね。そのようにして魔宮は、永遠に生きたいという人間たちの私利私欲から、神聖な川を守ってきたのだ」

 そこで言葉を切ったジョーンズは、突然、懐から取り出した手記に素早くペンを走らせると、デイビスとカメリアに向かって、その簡易に描いた地図を披露した。

「分かるかい? これが、ロストリバー・デルタの全景だ。密林が繁ってしまって、なかなかこのように俯瞰するのは難しいがね、川は実際、このように流れている。私はこれを確認するために、わざわざ船ではなく、自家用機を飛ばした」

「ああ——」

とデイビスは、打たれたように呟いた。

「蛇のスカート、だ」

 ジョーンズは彼に向かって、重々しく頷いた。

「その通り。内陸を流れるEl río perdidoは真っ直ぐに伸びてゆき、三角州デルタを境目として二又に分かれ、最後には海にそそぐ。あたかも、一匹の蛇が分裂して、その裾を広げてゆくかのように。それは、蛇のスカートを履く地母神コアトリクエとの姿と、不思議に一致している。そしてこの三角州の中央に、蛇の魔宮が聳えている。女神は生贄を喰らい、死を生むと同時に、豊穣を授け、生命を育む。この三角州は、絶え間ない生と死の繰り返しに挟まれた、ちっぽけな私たちの存在そのものだ。

 死と再生。この切り離しがたい連環について、人々は生成滅々の苛酷さを受け入れることによって、賛美しようとした訳だ。この弱肉強食の密林においては、自分だけが生命の輪から逃げ出し、永遠の命に与るということはあり得ない。命は死ぬ。しかし、目を背けたくなるようなその恐ろしい事実を受け入れることによって、初めて神の意思が理解でき、自身の命を感受できる」

 ジョーンズが語り終えると、暗闇に閉ざされた辺りには、ただ、炎のぱちぱちと弾ける音だけが、虚ろに響き返った。孤独に燃え盛る炎。それにも関わらず、その響きには何か、そのほかのすべての自然現象に通じる、神秘の律動Mystic rythmeが湛えられているように思われた。

 デイビスの新緑の眼は、その炎に照らされて、まるで蛇の舌の如くちらついて見えた。やがて、ゆっくりと自分の顎をなぞると、鋭い目つきのままに問いを投げかけた。

「先ほど、この文明の滅亡は、ハリケーンが理由ではないか、とおっしゃいましたね」

「ああ、そうだな」

「一体、彼らはなぜ、避難しなかったのでしょう? 例えば、石造りであるこの巨大な神殿の中に逃げ込めば、それだけで何人かは助かったはずでしょう。にも関わらず、滅亡するがままに任せたのは、なせですか?」

「その答えは簡単だ。彼らは、ハリケーンとともに死ぬことを欲していたからさ」

 独り言のように呟いたジョーンズは、目の前にいるデイビスが、それを聞き逃す事態を恐れるかのように、もう一度、微笑を携えてゆっくりと言い直した。

「ハリケーンによる破滅を望んでいたからだよ、デイビス君。彼らは、嵐で死なないように祈るんじゃない。嵐で死ねるようにと、神々に祈願していたのさ」

 繰り返されたその内容は、デイビスの理性が容易に受け入れられるものではなかった。
 それは、ケープコッドの住民たちとは正反対で。明日の光を見たいがために、嵐がくるたびに祈る、という彼らの健気な思いは察することができても、ともに滅亡したい、と願うこの土地の先人たちの感情は、にわかには信じ難かったのである。

「面白いだろう? まだ研究中だから、断言はできないがね。しかし、嵐の破壊を使命とするストームライダーのパイロットである君からしたら、こんな説はさぞかし、突拍子もないものと聞こえるだろうな」

「でも——それでは、数多くの生贄を捧げてまで繁栄を望み、文明の存続を求めていた今までの行為とは、矛盾するのではないでしょうか?」

「そうさ、事情が変わったんだよ。それまで、ここの生態系は閉じた円環であり、すべてはメソアメリカ内で完結していた。しかし1519年2月、悪魔のような人物がユカタン半島にやってくる。誰だと思う?」

「————エルナン・コルテス」

 それまで沈黙していたカメリアが、低く、静かに呟いた。いつになく凍りついたような目を張って、その眼差しは、深い智識の海の中を彷徨っているかに思われた。

「非常に面白い説です。どうぞ、先を続けてください」

「アステカ帝国の伝統や宗教を完膚なきまでに破壊した征服者であり、悪名高きスペイン人、エルナン・コルテス・デ・モンロイ・イ・ピサロについては、今さら君たちに詳しく語る必要もあるまいね。

 当初、カリブ海側からユカタン半島に上陸したコルテスは、海沿いに北上しながら征服路を描き、やがて黄金郷を求めて内陸へと侵攻する。そのうちのひとつに、この三角州も含まれていたのだろう。しかし実際には、そのような伝承は、どんな文献にも残されていない。恐らくは敵も味方も、ハリケーンで壊滅したからだ。

 コルテスはそもそも、生贄文化の残虐さを恐れた兵士らの逃亡を防ぐために、スペイン艦隊の船まで沈めた男だ。ハリケーンにより壊滅したのだと知られれば、ますます兵士の間で生贄文化の信憑性は強まり、恐怖はいや増してゆくだろう。そこで徹底的な口封じを試み、すべての証拠を隠滅した——と考えても不思議はない。が、これは征服者側から見た歴史だね。

 この神殿を崇拝していた人々から見れば、話はこうだ。神とともに生死を繰り返すこの故郷に、突如として侵攻し、略奪、強姦、虐殺を繰り返したスペイン軍。破滅の淵に陥っても、これらの征服者たちが絶滅する姿を見て、復讐心を晴らしたかった。あるいは、征服者たちの手に渡る前に、誇り高い神の手によって、神聖なままにこの文明を滅ぼしてしまいたかった。

 そこで、この土地の生き残りを次々に生贄として神に捧げ、ハリケーンを呼び、すべてを嵐の底に呑み込んで、文明ごと滅亡させようとしたのだ。そして偶然か必然か、自然は彼らの祈りに応え、裁きの鉄槌をくだし、そしてこの地球上で、ひとつの歴史が息絶えた。後に残されたのは、崩れかかった遺跡と、潺々と流れ続けるEl río perdidoだけ。……私は、そのように考えている」

 三人が身を寄せていたその魔宮の片隅は、そこで厳粛な沈黙に閉ざされた。死の底としか思えないこの神殿の中の沈黙も、かつてこの地に朽ち果てていった者の狂気じみた怨讐が、しかし切ないまでの愛郷心とともに、辺りを覆い尽くす暗闇にとぐろを巻くかに思われた。

「自らの文明の滅亡をも良しとするほどの憎悪か、それとも愛か。……いずれにしても、私たち現代人には、容易には理解し難い信仰心だな。

 しかし、みな、どの時代のどの文明の人間も、同じことを考えているはずがない。同じ人の皮を被っていても、中身はまったく別の生き物だと思って良い。我々は実に刹那的で流動的に過ぎる内面を、文化や文明という形で露わにしながら、生の痕跡を刻みつけてきたのだ。そのような昔年の魂に触れ、かつてこの世にいた人々の意思を汲み取って生きるのは、私たち生者の義務だよ。

 そしてそれこそが、この世に考古学たる学問の存在する意味なんだ。理解できないことを調査し続けるという行為は、まさに、人類の孕んでいる無限の可能性を押し広げるものだ。そうして先人たちの繰り広げてきた未知を思い知りながら、我々は、我々の生きてきたこの悠久の歴史に対して、無言の敬意を捧げるのさ」




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