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転生したらミッキーだった件

 いらっしゃい。
 蒸気船ウィリーへようこそ。ずいぶんでっかい荷物だねえ、お客さん、どちらまで? ……アナハイムのトゥーンタウン、ホットドッグヒルズ? いいじゃねえか、あそこらへんは風光明媚で、いいところだよ。年がら年中、花火工場が爆発したり、プロペラが納屋に突っ込んだりして、マジうっせーけどな。りょーかいりょーかい。辿り着けるけどさ、それなりに、時間はかかると思うよ。ま、到着するまで、のんびりくつろいでてくれよ。今、なんか飲みもん持ってくるわ。

 (コーラの栓を抜きながら)で、何しに行くの? ……へえ。ミッキーに会いに? ああ、もちろん知ってるぜ、世界で一番有名なネズミだからな。日本から来たって——へええ〜、そりゃまた遠くから、めちゃくちゃ楽しみにしてたんだなあ。え、なになに? 写真、千枚は撮る? ハッハッハッ、お客さん大したミキオタだねえ、そんなに好きなの? ハッハッハッハッ、ハハッ、ハハッ、ハハハハハッ! っつーか、茶番はいらねえって、いるだろーが、目の前に。俺の頭に生えてるでっけー耳、ちゃーんと見えてんだろ? よお、俺、ミッキー。ブロマイド、三ドルだけど、いる? 顔つきボールペン買ってくれたら、サインもおまけしてやるよ。

 詐欺じゃねーよ! いやはや、こんなに愛らしいアイドルに向かって、とんでもねーことを抜かすオタクだな。素の性格が違くて幻滅? そんなの面と向かって言わないでくれよ、俺、こう見えて結構、傷つきやすいネズミなんだからさあ。……おいやめろ、そこは敏感なんだ、そんな風に尻尾を引っ張んな! 中の人なんかいねーって、勘弁してくれよー!(引っ張られて)……ヂュー!

 やべ。
 変な声出ちまった。おーい、サウンドトラックくん、今の声、録音しちゃった? あ〜あ、どうすんだよ、またウォルトにキレられたらあんたのせいだぞ。……え? ああ、へーきへーき、毎日泡風呂に入って、アルコール除菌もしてる。ガキが俺の体をぺったぺた触りまくるからな、衛生面には気を遣えって、お上の方々から言われてんだよ。うんうん、ノミもシラミもいねーって、ちゃんと毎月、定期検査に行ってっから、そこんとこは安心してください。

 おっ。やっぱ写真撮るの? オーケーオーケー。いやいや、ファンサを最優先で大事にするのが、本物のスーパースタアってもんですよ。じゃ、ここに並んで。(ニカッと歯を見せる)ハイ、ミッキー。





©︎Disney





 おっと。

 わりィわりィ、写真に気を取られて、うっかり舵を切り損なうとこだったよ。ちーっとばかり、間近でフラッシュを焚かれるのは苦手でね。なあ、煙草吸っていい? あ、ダメ? イメージ壊れるって? あ、そう。チッ、ウォルトにでもなった気分だな。

 (結局、マッチを擦り、一服して)
 ……ふう。
 で、何の話だっけ?

 ああ、そうだそうだ。お客さん、ディズニーランドに行くの? いいじゃねーか、その調子で、ウォルト・ディズニー・カンパニーにちゃりんと金を落としてくれよ。いっつも金に困ってるんだからよ。つーかあのおっさん、もっと金回りのこと考えてくれよ、俺が稼いでも稼いでも、みるみる擦り減ってくばっかじゃねーか。ハア、ま、何もあの社長に限った話じゃねーけど。思春期と厨二病真っ盛りのミニーも、金を見ちゃヨダレ垂らして走り回ってるピートも、俺の周りの奴はみーんなイカレてて、まともな奴が一人もいないんだよな。誰か助けてくれよ。なんであんなに常識が通じないんだよ。だから俺はこうしてときどき、蒸気船に乗っては、宇宙人どもから身を引き剥がして、ガス抜きしてるってワケ。そうでもしないと、だんだんあいつらの脳天、機関銃でかち割りたくなってくるからな。

 ……ああ、ありがとう。リポビタンDか、昔よく飲んでたな、懐かしい。あんた、俺の尻尾引っ張ったりはしたが、意外に良い人そうじゃないか。いやー、このご時世、エナジードリンクがないと、やってらんないねえ。(蓋を開けて飲む)……げふっ。おっと、失敬。サンキュー、日頃の疲れがだいぶ吹っ飛んだ気がするよ。

 ……え? 俺の身の上の話なんか興味あんの? それは第一の人生と第二の人生、どっちについてなんだ? ……まあ、訊くまでもないよな。ご推察通り、俺は動かざること山の如し、どっこも飛び抜けたことのない人生を送ってきたさ。平々凡々を人型にした男、それが転生前の俺ってわけだ。



 だが——この姿になってからは、違う。どこに行ったって注目を浴びっぱなしの、この業界トップに君臨するスタアだからな。



 ここにいたるまで、そりゃあもう大変だったよ。スポットライトやらシャンデリアやら、目ん玉の飛び出るほど眩しい社会で、俺は生まれて初めてのものを見た。頭のおかしな人間、おかしなキャラクター、血も汗も涙も、救いようのない馬鹿も、たっくさん出会ってきたぜ。そうしてめくるめく光の中で、オタオタしながら突き進んでゆくうちにさ、いつのまにか、目に映る何もかもが、すっかり魔法みたいに様変わりしちまったんだ。

 え。羨ましい? オーイオイ、よーく冷静になって考えてみてくれよ、そりゃあハリウッドっつうのは、札束舞う華やかな世界だけど、それと引き換えに、あんた、ほんっとーに、ミッキー・マウスになりたいと思うか? つーか、成人男性がこんな姿に転生するなんて、もはやホラーだろ。ケツから鼻毛みたいなシッポ垂らして、半裸に半ズボン穿いて、ホニョホニョした鼻声なんだぜ。ハタから見てたら「かわい〜」ってワイワイ騒げるけど、本当に、そいつ自身として生きられんのかよ?

 むっ。俺が可愛いのは事実? いやはや、それほどでも……や、やっぱ可愛いよな、俺って。(背中を叩いてくる)ヘッヘッヘッ、なあお客さん、ブロマイド、いる? ……あ、そう、いらないんだ……。

 ……いやいやいや、俺が言いたいのは、外から見てるのと、実際に中から体験するのは、天と地ほども違うって話。うん、まあ別に、語ってもいい。語ってもいいが、ひとつだけ約束してくれるか、俺が見舞われた運命に同情してくれるって? ……ああ、どーも。いやあ、どんなにマジメに訴えても、鼻ちょうちん膨らましてゲラゲラ笑われるばっかだったからさ、ちょっとばかし気が楽になった。うんうん、やっぱりあんた、良い奴だよ。

 そんじゃま、ディズニーランドまでの船旅の気晴らしに、語るとするかな。言っとくが、くれぐれも腹抱えて笑うんじゃねーぞ。真剣な顔して聞いてくれ。


 ———これはな、ある日、俺が目を覚ましたら、ミッキー・マウスになっていた件についてのお話なんだ。







 ……







 ……笑うんじゃねえっつってんだろーがッッッッ!!!!!!!!!




 そいつが起こったのは、この世に生を享けて二十八年、自分の限界も、社会的立場ってのもあらかた見えてきちまって、今は焼き肉食いてえなあ、と思っていた十一月、木枯らし吹きすさぶ秋のこと。俺は目の前を歩く猫と一緒にアクビをしつつ、とぼとぼと路上を彷徨い歩いていたところだった。セブンイレブンで肉まん買って、名前も知らない河川敷にたたずんで、適当に仕事をサボりながら齧ると、ホッカイロのような熱さが広がった。口の中だけだけどな。身も心も寒くなってきたこのご時世、やっぱり食いモンだけじゃ、人の全部が満たされるわけねーよな。もっとこう……全身を包み込んでくれるような温もりがほしいってこった。

「恋人、ほっしーなぁ……」

 切実。すっげー切実に。あー、隣でこういう夕焼けを、一緒に肉まん喰いながら見てくれる恋人がほしー。夢がないかもしれないけど、俺の夢見る愛は、夕陽の中の肉まん、断じてそのたったひとつに詰まってる。札束じゃない、美人でもない、わがままでもいい、ただ俺のそばにいて、俺と同じもんを食って、けらけら笑ってくれる人がほしかった。一人っていうのは、ホント、こういう時にめちゃくちゃさみしくなっちゃって、だからこの時期は、なんだか苦手なんだよな。風に揺れる葦の葉が一面、きれいな橙色に照りつけられる中、またぶらぶらと散歩して、大通りに差し掛かり、ちょうどその時だった、俺のそれまでのちっぽけな運命が、くるりと風向きを変えたのは。

「おーおー、小学生か。元気にやってんなあ」

 下校時間なんだろう、道路の向こうには、ばらばらとガキどもが散らばっていて、黄色い学帽をちょこんと乗っけて、ちまちまとまとまって小股で歩いてて、ああ、俺にもあんな時期があったっけな〜って、なんとなくほのぼのと目を細めてた。で、そういうところには、必ずあるだろ? 飛び出し注意の、黄色い看板が。ああいうのがあるってことは、それなりに交通量があるってことも、察せられるよな。でもって、お決まりのアレ。なんていうか、知ってるか? そう、暴走トラックっていうんだ。そんなワンパターンな、って思うだろうけど、ま、この作品、異世界転生モノの二番煎じパロディだから、お約束の展開は全部踏んでゆくんだよ。で、子どもってのはアホだから、車道を走って渡る友だちがいたら、例え遅れてたって、ついていっちまうんだ。そういう偶然が重なった挙句に、事故ってのは発生するもんなんだよな。

 でな、まあもちろん、誰が交通事故に遭うのも嫌なんだが。でもなんでかな、俺は一瞬のうちに、あっ、て小さく口を開いた子どもの、本来なら数十年先まで続くはずの真っ白な未来が、凄まじい重量で粉々にされるのを予感した。そしてその予感っつうのが、その時の俺を突き動かす、ただひとつの後押しとなったわけだ。見ず知らずのガキのために死ぬ? くだらないね、そんなのまっぴらだ。でもその時だけはなぜか、体が、理屈を超えちまったんだよ。ま、俺の根っこの気質が、そりゃもうどうしようもなくお人好しだった、と言ってもいいんだろう。

 走ったね! 僅かコンマ一秒で、危険を察した俺は、飛び出し注意の看板を無視して、ガードレールを飛び越え、車道へと飛び出した。迫りくるヒノノニトンに硬直している小学生を突き飛ばすのと同時、骨の粉々になるような衝撃が襲ってきて、……詳細な描写はパスさせてもらうが、えーっと、トラックに跳ね飛ばされたわけだし、なかなかグロい結末だったんじゃねえかと思う。まーそういう時って大抵、頭は真っ白で、脳汁ドバドバ出てるからなんだろうな、もー、一秒の経つが遅いのなんのって、どこまでもどこまでも永遠に引き延ばされた感じがして、全部感覚がなくなって、何も聞こえなくなって、目に残るのは、ゆっくりと遠ざかってゆくランドセル(最近のはホント色とりどりになったよな)の横に、見覚えのある横顔のくっついたキーホルダーが、夕陽を反射して、俺の目にやけに眩しく輝いたこと、それだけだったんだ。







ああ……



そうか……





 唐突に話は変わるが、俺は昔っからディズニーが嫌いで、もっと言うなら、ディズニーランドっつー場所が大っ嫌いで、理由は簡単、この時期、あそこにはカップルがゴミのようにあふれ返ってくるからなんだが、あー、なんつうか、独り身にとっちゃイライラしてこねえか? ごめんな、カップルで遊びにきてる、そこの君。だけどな、「彼氏と行ってきたのー」って、中学でも高校でも大学でも、何十回とチョコクランチを配られてきた身なんだ、そりゃちょっとくらい、むしゃくしゃするような感情を抱いたりするだろ。(あ、チョコクランチは美味かったぜ。ありがとな)だけども、特にクリスマスが近づいてきた頃には、仲良しこよしのカップルがイチャつくためのディズニー特集番組なんかは、断じて、見たくなぞねえんだよ、本当に。ディズニーランドなんて、俺は中学の修学旅行の仲良くもねえ班メンバーと行ったっきりで、その後はバイト先の奴らに誘われたりなんかしても、意地を張って、断固として突っぱねてきたんだ。分かってる、へそ曲がりのかわいくねー奴だろ。でも不思議なことに、そのキーホルダーの妙に耳のでかい横顔がきらっと光った時、ああ、そういえばあそこは元々ファミリー向けの場所だった、ってことはだ、俺はこうして東京の片隅で死にかけているわけだが、どっかの遊園地では、今もこの夕暮れの光線と流れる音楽の中で、たくさんのしあわせな家族が、笑い声を響かせて遊んでいるのかなあ、なんてことを、ふっと、想像しちゃったりしたんだよな。俺が死んだら、母さん、泣くのかな。そう考えると、なんだかしみじみ切なくなってきて、もっと親孝行すればよかったなーという気分になり、まあそのあたりだな、ようやく死の実感ができてきたのは。タイミング的には相当遅いというか、そりゃもう血がだくだく道路に流れているはずなんだが、貧血のせいだろう、目の前が真っ白に霞んじまって、ほんの赤のひとつも見えやしねーや。ああ、ちくしょー。小学生のキーホルダーなんかぼーっと見てるんじゃなくて、さっさと、この世の最期の景色を見納めしておけばよかったかなー。ま、ぐだぐだ言っても仕方ねーし、これで終わりだっていうなら腹を括って、せめても、挨拶だけでもしておこうかな。今までありがとう、まあまあ満足してるぜ。さようなら、さようなら、この世界。


【何を言っている……? 貴様の人生、ここからが本番……

 そう! 始まる……! オンステージ……!
 スポットライトを浴びて……!

 変えろ! ハリウッドを!

 映画に出たなら……君はスター……!】

 ん?

 頭に響いてくるんだが、誰の声だろ、これ。なんかドコドコとドラムとか聞こえてくるし。葬式の音楽か? あーっと、もうそろそろ死のうと思うんだが、この俺になんか用?

【失礼ながら……これまでの貴様の人生……こちらの次元から、早送りで見させてもらった……

 一言でいわせてもらえば……ザコ……! 鼻息で吹き飛ぶ……ミジンコのように冴えない生涯……

 とどのつまりは……そう……! いい人止まり……! いい人とは、けして善人のことではない……! ただのみみっちい小市民……!】


 さっ、さっきから、言いたい放題言いやがって、なんだコイツ。温厚な俺でも、さすがにイライラしてきたんだが?


【この死に際にいたっても……くだらんことばかりペラペラと喋って……体面を取り繕うのに必死……本当の欲望すら口にしない……! 

 素直になれ……! 己れ自身に……! 本心をごまかすな……! そう……なぜ言わないのだ……!

 世界中に、恋人がほしいと……!
 なんなら、大量のファンに追っかけられてみたいと……!


 街を歩いては……カップルに歯軋りをし……テレビを見ては……髪を掻きむしり……都合のいい妄想にふけっては……布団の中でニヤニヤしていたはず……!

 それこそが本当の自分……! お前のアメリカン・ドリーム……! 隠せるはずがない! その真の欲望を……!!】

「だああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!」


 俺は暗闇の中でがばと起きあがって、人生稀に見る大声で叫び散らした。

「ほしーよっ!! 恋人、喉から手が出るほどほしかったよっ!! 人混み嫌いだけど、望まれるならディズニーランド行って、たっけーポップコーン買って、アホみてーなネズミの耳をつけるくらいのことはしたよっ!! なのに! なんで! この俺が! モテねーんだよッ!? 一緒に行ってくれるような奴、この世に一人もいやしなかったじゃねーかッッ!! なんでことごとく見る目のねえ連中なんだよ、この世界の人間はよッッッ!!!!」

 怒濤の如くぶちまけた本音に気づき、頭を抱える俺。ああ〜〜〜、ここにきて未練タラタラのこと言わせやがってー、俺の潔い最期が台なしだよ。……あー、でも、ただ見苦しい欲望を喚き散らしただけの気もするけど、ちょっとだけ、スッキリしたことはしたわ。


【ククク……安心しろ……子どもを救ってくれた礼に、その酷く低俗な願い、特別に叶えてやる……!

 さあ! 存分に作れ!
 ファンを! マニアを! 狂信者たちを!

 世界中で、お前の恋人が待っている……!】


「ハァ?」

【決定! 映画デビュー……! 今度こそ、光あふれる世界をひた走り……転生者たちを導く星となれ……! おめでとう……おめでとう……!】


 俺は思いっきり眉毛をしかめて、唾を撒き散らしながら幻聴に向かって喚いた。

「何、意味のわかんねえこと言ってんだよ。つーか、いったい誰なんだよ、てめーは!?」


【ま……会おう、ミッ…………次、……会う、……は……年、後……】


 切れ切れになってゆく声と入れ替わりに、徐々にボリュームアップしてくるBGM。あー、ところでDオタのお客さん、世の中にこんな曲があるのをご存じ? 俺にはサッパリわからねえんだけど、まあ、往生際に流れるには、……シュールだよな。


 ♪Hoolay for Hollywood!
 ♪映画の都ハ〜リウッド〜
 ♪どこの誰でもな〜れるっさ〜 大スタ〜
 ♪顔っが〜よければ〜


 凄まじい勢いで切られるシャッター音、そしてオタクたちの熱狂的な歓声が聞こえてきて、頭の中をくるくると眩しいダンサーが回転した。ンンンンン、ちょっと待て、昇天って、こういう儀式なの? 俺の中のホーリーなイメージとは違うんだけど。抵抗できるはずもなく、俺の意識は、徐々にその激しい光に呑まれ、真っ白な空虚と、星のように絶え間なく輝くテープのサラサラとした音、そして、脳をかち割るほどに大音量の奇妙なコーラスに、丸ごと乗っ取られていったのだ。



♪ほんも〜のの Entertainer!
何で〜も〜 で〜きる〜
君は〜 い〜つ〜も ヒーロー
かわい〜 ミニー・マウスも 夢〜中〜

歌い〜 踊り〜 誘い〜かける〜
夢の〜 世ッ 界ッ へ〜〜〜





ミ ッ キー ・ マウ ス !

ミ ッ キー ・ マウ ス !


世 ッ 界 ッッ の ッ

恋 ッ 人 〜〜〜 ッッッ





©︎Disney




パシャパシャパシャパシャパシャッ———


——————
————
……



「うー。なんだったんだ、今のフラッシュの嵐は……」

 やがて緩やかに水が引いてゆくように、最高潮まで高まった光と音が止み、ゆったりとした足元の揺れに収まっていって、あ、今ちょっとだけ、ハリウッド・スターになった気分だった。割と気持ちいいもんだな。ふんふんふん、とステップを踏み、陽気に腰を振る。それはやがて、鼻を突き抜け、口笛となって出ていったのだ。

 ♪ピ~ピピ↑~ピ~ピ ピピピピピピ~⤴︎
 ♪ピピ↑~ピ↓~ ピピピ↑ピピピ~⤵︎
 ♪ピピ~ピ~ピ~ピ ピピピピピピ~⤴︎
 ♪ピピピピ⤴︎ピピピピ⤵︎ピピピピ~⤵︎


 そして俺は、はたと気づいた。あれ? 俺って、口笛吹けたっけ。今、口笛吹いてなかったか? つーかなんだ、このやたら細っこい手足とと、巨大すぎるドタ靴は。

 そこで俺は、この状況を認識する。そーいえば、こんな光景、どっかで見たことあったっけな? と首を傾げた途端に、脳内にふわ〜んとした映像が流れてきて、断言するが、例えこの先何が起こっても、この時こそ、俺の生涯で意味不明な瞬間ナンバーワンだ。



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 あー、画像の読み込み不備を疑ったお客様、お使いのスマホは正常でございます。人生のどっかで見たような走馬灯が、うっすら浮かびあがってきた? それはまさしく、俺の脳内の追体験な訳だよ。





———気づいたら俺は、 

流れゆく川の上で、
トントンとリズムを踏みながら、
どっかで見た光景とまったく同じように、



扇風機の如く、蒸気船の操舵輪を高速回転させていたのだった。





「はあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ〜〜〜〜っっっ!?!?!?」


 俺の絶叫に、バタバタと小鳥が岸辺の枝から飛び立ち、船はぽっ、ぽっ、ぽひー、とふざけた音とともに、大中小の煙突から蒸気をあげる。めっ、目に映る何もかもがモノクロだ。さっきまで見えていた色はどこ行ったんだ!? 俺は急いで、船の下をどんぶらこと流れゆく河に、自分の姿を映してみた。揺れ動く水面の向こう側に、おぼろげながら、俺の顔が見えてくる。

 そこにいるのは、まだ義務教育レベルのちっさな生き物。丸くてでっけー耳、くりっとしたつぶらな黒目、それにどうやって尻から出てるんだかわからない、チョロチョロした尻尾も。身につけているのは、半ズボンと、ドタ靴と、帽子だけだ。え、上半身は裸なの!? 乳首丸出し!? 河風を浴びて先端がひりひりするんですけど!? つーか、こうしてまじまじ見ると、結構可愛いな。っていやいやいや、そんなこと言ってる場合じゃねーだろーが! はあああああああああああ!? 俺はこんなネズミじゃなくて、人間だったはずだろ!?

「オイッ、ふざけんなっ!! 返せー! 俺の二十八年間見続けてきた、あのつまんねー顔を返せー!!」

 どう考えてもあの幻聴の仕業だったが、哀しいかな、コイツは肝心な時に限って出てきてくれやしねえ。それよりも、こっ、この顔って。いくら俺でも、さすがに思い当たる節があるぞ。

 まさか……

 ぼっ……

 僕らの世界のリーダーっ……



「ミッキー・マウスッッ!!!!」



 どやしつけられるような大声に、俺はぎょっとして振り返らざるを得ない。なんだ、このモサモサとした、デカいインクの塊は? 優に俺の二倍はありそうなガタイの良さで、どう見てもサイズの合わないオーバーオールを穿いて、のしり、のしりとこっちへ近づいてきた。

「よお、目が覚めたか、蹴飛ばして起こそうかと思ってた。ヘッヘッ、主役がいねえと、この映画はいつまで経っても封切りができねえぜ」

「え? え? 誰だよ、お前!」

「ピートっていうんだ。安心していいぜ、オレもお前と同じ、異世界からの転生者だからな。ちなみに前世の職業は、コソ泥だ!」

「なんだって?」


「まっ、ここに生まれ変わったからには、ディズニーをドル箱に押しあげるっつー、新たな夢ができてきたけどよ。へっへっ、今はちっせえ貧乏スタジオだが、この短編さえ無事に公開されりゃ、あとはご存知の通り。資本主義社会をのしあがり、現実に疲れ切った労働者どもから搾取しまくって、オレたちで目指そうぜ、合法的世界征服!」

 重たい手で俺の肩を叩きながら、ぱっちん、と気持ち悪いウインクを飛ばしてくるピートに、俺はクラクラと眩暈がした。そいつは高々と拳を突きあげ、天いっぱいにやかましい汽笛を響かせて、奇妙な決めポーズをとりながら叫ぶのだった。



「ゆくゆくはオレたちが、巨大資本を牛耳る、ウォルト・ディズニー・カンパニーの支配者だッッッ!!!!」



 始まりとしては、まあ、こんなとこ。今思い出しても頭がクラクラするけど、まだまだ序の口。クレイジー・サイコパスな奴らに囲まれて、俺の本当の災難は、ここから幕をあげるってこった。


 ちょっと、水を飲んでもいいか? 一息つきたい。……あー、この後の展開も語るの、気が重いな。ま、お客さんと約束したんだ、どうせだから最後まで語るよ。



 ああ、そうそう———言い忘れていたな。



 これは、特別顔がよかったわけじゃない、飛び抜けた個性があるわけでもないこの俺が———

 黄金期を迎える映画の都ハリウッドで、栄光の階段を駆けのぼり———





 【ミッキー・マウス】という、世界に名を轟かせる大スターになるまでの物語だ。







* 画像出典・一部加工

  • "Panda-monium" - "Mickey Mouse" The Walt Disney Company, 2013

  • The Opening Cut from "The Band Concert" The Walt Disney Company, 1935

  • "Steamboat Willie" The Walt Disney Company, 1928

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