その先生は、中学の社会科の先生の中では非常に人気のある先生であった。顎髭や口髭が濃くて、剃り痕がいつも青々としていた。
どうして人気があったのかというと授業が面白いからだった。
今でもそうかもしれないが、社会科の、特に歴史の授業なんて、年号と出来事を暗記するだけで実につまらないのだ。
ところがその先生の歴史の授業は違っていた。教科書の内容からよく脱線しては、色々な歴史のエピソードをドラマのように話すのだ。だから生徒たちは話に引き込まれて登場人物に感情移入さえして聞き入った。話にはタマに笑いが織り交ぜられたりもしたものだから、もう極上のエンターテイメントなのだった。
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さて、中学生活も3年目の秋を迎えた時に、待ちに待った〈修学旅行〉に行く日がやってきた。行き先は九州である。
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2泊3日の〈修学旅行〉はヤッパリ楽しかった。〈太宰府天満宮〉〈由布院〉〈別府温泉〉〈阿蘇山〉〈長崎五島列島〉・・・もう帰りたくなくなったのは僕だけではなかったはずだ。
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〈修学旅行〉のスケジュールも無事に消化されて、さて明日はいよいよ帰らなければならないという夜である。部屋では生徒たちが最後の夜を楽しんでいた。
僕達の班の部屋には、内緒で別の班の女子生徒が数人遊びに来ていて大いに盛り上がっていた。
消灯の時間が迫ってきたので女子生徒達がそろそろ部屋に帰ろうとしていたところへ、運悪く先生が見廻りにやってきた。
部屋に入ってきたのは、あの社会科の先生だった。
女子生徒を部屋に入れていたので、もう叱られることを覚悟した。
ところが先生は上機嫌でこう言ったのだ。
「お~っ!皆んな楽しんどるかぁ?」
なんと叱られなかったのだ。僕たちは胸を撫で下ろした。
そして、お疲れ会でもしたのだろう、少しお酒が入っているのか、先生はおどけながら続けた。
「女子は早う部屋に返んなさいよ~っ❗️」
と言うや、すこしだけ股を拡げて、着ている〈浴衣〉の裾の前を開け、垂れ下がった〈褌〉の両端を指で摘まんでピッピッ!っと上下に動かしたのだった。
これが大受けで生徒たちはゲラゲラと笑い転げたのだが、その中に1人だけ笑っていない女子生徒がいた。
笑わないどころか、両手で顔を覆って泣きながらこう言った。
「先生~~っ❗️イヤ~ッ❗️止めてくださっ❗️汚らわしいっ❗️」
一挙にその場が白けてしまった。先生の酔いも吹っ飛んでしまったようだ。
女子生徒達はすぐに部屋に返っていったのだが、その女の子が落ち着くまでにはかなりの時間が掛かったようである。
最後の夜にちょっとだけそんな出来事があったのだが、他には特に大きな問題も起きずに、一行は無事に学校に帰ってきたのであった。
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楽しいことはアッと言う間に終ってしまって、すぐにまたいつもの学校生活が始まっていた。
さて、授業が始まった次の日に社会科の授業があったのだが、いつものあの人気の先生ではなくて代わりの先生がやってきた。
それから2日後の社会科の授業にも代わりの先生がやってきた。
その次の授業もあの先生は来なかった。身体の調子でも悪いのだろうか・・・クラスの皆んなが心配をしたのだが、あの先生が僕たちの前に再び姿を見せることは遂になかったのだった。
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暫くして担任の先生から説明があった。
「社会科の〇〇先生なんですけれども・・・★★の養護学校のほうへ移動されました。社会科の授業は、今、授業をして下さっている◎◎先生が続いて受け持たれることになりましたのでお知らせしておきます」
先生の口ぶりから良からぬ空気を感じた生徒ちは、誰ひとりとしてその理由を訊こうとする者はいなかった。
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風の便りでは、あの〈修学旅行〉の夜に、先生の〈褌〉を見て泣いた女の子の父親が大層立腹して、校長先生にクレームを入れたらしいのだ。
その父親は地元の大きな病院の院長で、中学校のPTA会長を務めていた。