日中越の言語学用語から見る近代学問の発展と語彙
ベトナム語の勉強がある程度進んで、新聞やニュースサイトのような「硬い文章」を読めるようになると「漢字由来のベトナム語彙」、つまり漢越語の存在感がやたらと大きくなってくる。一例として去年9月にバイデン大統領がベトナムを訪れた際の歓迎式典について、ベトナムのTV局であるVTV DigitalがSNSにポストした文章を見てみよう。
ベトナム語を知らない人にとっては上記ポストは完全に「謎のアルファベットの羅列」なのだが、実は漢字由来の語彙が半数以上を占めている。試しに該当部分を漢字に変換してみよう。
2番目にある漢字変換バージョンを眺めていると、語の並び方は依然としてややこしいけれども個々の語彙の意味だけなら大半を理解できることに気づくだろう。現在のベトナムでは漢字を日常的に使うことはなくクォックグーと呼ばれるアルファベット表記を用いているが、歴史的に見れば漢字文化圏に属している地域と言えるわけだ。
学問用語における漢越語:学問の発展ルートが推測できる?
歓迎式展についての上記ポストは政治分野の語彙が豊富に含まれていて、例えば「正式、組織、主席、儀式、元首、国家」は日本語および中国語と共通しているし、「総統、花旗、主持」は中国語を知っている人なら馴染みがあるだろう(中国語で"花旗銀行"と言えばアメリカのcitibankのことだ)。ベトナムの政治ニュースを毎日見ていると「政策 chính sách、指導 chỉ đạo、理論 lý luận」のような日本由来の漢字語に加えて、中国の政治用語と似たようなものが沢山出てくることに気づく。きっと政治イデオロギーと共に中国経由で導入された語彙なのだろう。
このように日本や中国など東アジアの国々の影響を大きく受けた専門分野では、ベトナム語の専門用語も日本語・中国語と共通になる割合が高い。では逆に、専門用語があんまり共通していない分野もあるのだろうか?
私の専門である言語学の用語は日中越で共通の部分も多いが、異なっている部分も少なくない。例えば、品詞に関する用語は共通点が多い。
そもそも「品詞」という語自体は日本語だけで使われており、中国語とベトナム語では「詞類」という異なる呼び方をする(ちなみに韓国語では품사 <品詞>を使うようだ)。ベトナム語では形容詞のことを tính từ <性詞>と呼ぶのは独自な点だが、それ以外は中国語と同じ漢字で構成された語彙を使っている。言語学の中でも品詞というのは最も基本的な概念の一つで学問のコアをなしているような領域だが、このようなコアな用語の間では日中越に大きな差異はさほど出てこない。
ところが、より専門的な用語になるほど日中越の共通性は失われていく。 試しに日中越で異なる言語学用語を下の表に並べてみよう。漢字を組み合わせて専門用語を作っている点では3言語ともに同じなのだが、使っている漢字が一致していない。
アジアにおける近代言語学の歴史はせいぜい100年間くらいしかないため、100年前から存在していた言語学用語は少数だし、むしろこの数十年間で新たに生まれた語彙の方が多いだろう。コアな言語学用語は日中越で一致する傾向が強いのに専門性が高い用語になると共通性が薄くなるというのは、言語学の発展が個々の国で独自に進んでいったことを反映しているのではないだろうか?
確かに、ベトナム語学の論文を読んでいると日本語学とも中国語学とも異なる思考法や概念を駆使することが多く、個々の語彙の意味は分かったとしても論文全体として考えていることがあまりよく理解できないことが珍しくない。言語事実の違いだけではなく言語学という学問自体が「なんとなく毛色が違う」ような印象だ。
そこで興味が出てくるのがベトナムにおける言語学のルーツと発展経路である。ベトナム研究者がよく対照例としてフランス語やロシア語の例を出してくることが多いので、もしかしたらフランスとソ連の言語学の影響を受けているのではないかと推測しているのだが、あいにくこれらの国の言語学の伝統については詳しくないため近づくことがまだまだできていない。
やっぱりフランス語を勉強しないと無理なのだろうか… 「30代からの語学」についてはnoteにまとめたけど「40代からの語学」もこれから書かないといけないのかしら。