2024/08/05

朝起きたらフワちゃんが燃えていた。やす子の平和な投稿に強い言葉を浴びせたのち、その引用リツイートを削除したらしい。やす子がそれに対してすぐに反応し、フワちゃんの投稿もスクショされており、火はひろがっていった。フワちゃんはその後、やす子に直接謝罪する旨を投稿するも、それをわざわざSNS上で宣言する行為自体がやす子にプレッシャーをかける行為だとして批判されていた。頷ける指摘だ。

今回の件でフワちゃんを擁護できるポイントなどひとつもないと思う。裏垢の誤爆か知らないが、言ってはいけない言葉を他人に投げつけている時点で、それが何の言い訳にもならないと本人もわかっていることだろう。

私は毎週フワちゃんのANN0を聴いているリスナーなので、なかなか思うところがある。SNSには起こるべくして起こったという声が散見されたが、正直私はそうは思わなかった。他方で、不運だとも思わない。自分の言葉が他人を傷つけることに無頓着なまま生きてきてしまったのだから、そういうことにもなるだろうという理解でいる。フワちゃんの最近のラジオでの様子がおかしかったという印象もない。だから、これまでの生き方の帰結なのだと思う。

フワちゃんは遅刻や忘れ物が多く、癇癪を起こしやすい自分について「おびょーき」だと形容する。それは彼女なりのファニーな表現だが、わざわざそういう呼び方をつくってまで、笑いにする必要があるのだろうか。はじめはどうにかお笑いに昇華したくて、そういう呼び方をつくったのかもしれない。しかし、いつからか名詞はあたかも実在しているもののように振る舞いはじめ、あらゆることを説明する「理由」になった。いくつかの個別の経験の束をあわせて名詞化すれば、物事にラベリングすることができる。しかしそれは、本来「理由」の身分をもった言葉ではない。例えば、6月頃に日本列島を襲う雨の時期を梅雨としてラベリングする。そのうえでこのように問う。6月の今日、雨が降っているのはなぜか、と。これに対して「梅雨だから」と答えるのは、会話としての綻びはそれほどないが、理由としてはおかしい。雨が降った理由を訊かれたのだから、この雨がどのようにラベリングされているものかを答えても仕方ない。それと同じことがフワちゃんの「おびょーき」でも起こっているような気がした。どうして遅刻したの?どうして忘れ物をしたの?どうして突然怒り出したの?、おびょーきだから。たしかに、会話における応答としてはファニーで、自然だ。しかし、それは理由としての内実を欠いている。理由としての内実を欠いた言葉が脊髄反射のように出てくるとき、ひとは反省を欠いている。おそらく彼女のような立場の人にとって、ファニーであることは大切なのだろう、その場では。その場でやり過ごす方法ばかりを覚えてしまい、反省をしなくなってしまったのだと思う。

今夜のANN0は、今回の投稿により中止になった。もちろんそこにはフワちゃん本人の気持ちの問題だけでなく、ラジオ局やスポンサーの思惑も絡んでいるのだと思う。しかし、それはつまり、フワちゃん本人だけではそれを説明する技量がないと判断されたということでもある。オードリーは春日の不倫騒動のときに、自らで説明する機会を与えられていたし、それをどうにかやりおおせた。フワちゃんにはその機会さえ与えられない。正直、ここにパーソナリティとしての信頼の差があると思う。面白い放送はできても、シリアスな放送は乗りきれない。そう判断されている。この点をフワちゃんはきちんと噛み締めないといけない。

今回の投稿が突発的なものか常習的なものかはわからないが、他人のなんてことはない平和な投稿に強い言葉を浴びせたくなるとしたら、それは心が病んでいると思う。何が原因かはわからない。働きすぎかもしれないし、将来への不安がそうさせたのかもしれないし、仲間内での評価を得たいがための行為だったのかもしれない。しかし、どんな理由にしろ、病んでいると思う。あんな発言でなにかが前向きに進展するわけがない。自分が受けた仕打ちを他人に打ち明けてストレス発散というならわかる。しかし、他人に自ら突っかかるように言葉を投げつけてストレス発散ができると考えているのであれば、それは思考回路が病んでいる。フワちゃんはいつもヤフコメ民に悪く言われていることをおもしろおかしく自虐したり反論したりしているが、まったくもって同じレベルのことを自らがやってしまっている。出口のない世界で、他人を捌け口として扱ってしまっている。私は早く休んだほうがいいと思う。その精神状態で表舞台に立ち続ける仕事はきつい。またいつ同じことが起こるかわからない。これを機に生き方自体を見直したほうがいい。ごまかしきれないほど肥大してしまった自分の闇に向き合う必要がある。そのための時間がまずは必要だと思う。

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