正直、電撃ネットワークの ネタとネタの間にみんながやってる 右手と左手の肘と腕で交互に直角を作る動きはめちゃくちゃかっこいい
「東京ヒゴロ」の3巻と「ザ・ノンフィクション」を見てたら糖尿病が怖くなって、この写真に映ってるカステラパンを食べられなくなった。
食べた。
「(人間ポンプや、火花でタバコをつけるなどではない)新ネタをすると、場が冷える」という話に胸が詰まった。
南部さんは、おもしろくない若手に、この場をおもしろいものにするために「おもしろくない」と言ってるのじゃなくて、
おもしろくないこの場から【自分だけ外に出る】ために「おもしろくない」と言ってるように「おもしろくない」が聞こえていて、それがかなしかった。前者だと千鳥だけど、後者だと雨上がり決死隊の宮迫だ。
ぜんぜんちがう。
でも正直、電撃ネットワークの ネタとネタの間にやってる右手と左手の肘と腕で交互に直角を作る動きはめちゃくちゃかっこいい。
あの動きはほんとうにいい。
あの動きだけ後継する人たちとかでてこないのかな。
あの動きはほんとにいいと思う。「虹の黄昏」とか好きな人はたまらないのじゃないか。ああいうの。
「汽車ぽっぽ」のジェスチャーをするときにする、両腕の動き、車輪の回転を胴の横でやるやつと並んで、電撃ネットワークのあれは、ほんとうに楽しいときの人間の腕が「なぜか勝手にやっていた動き」なんじゃないかと思うと延々嬉しい。
やらないでいいのにやられていること、が目の前で見れてるとき、嬉しい。さんぴんCAMPでニップスが、ラップしながらシュッシュッ吹いてたフマキラーみたいな。あれも、「やらないでいいのに・ただそうすると楽しいからやってる」の幸せな一つだと思う。ほんとなんであれ、フマキラーやりながら歌ってるんだろうね。すごすぎる。
電撃ネットワークの ネタとネタの間にやってる右手と左手の肘と腕で交互に直角を作る動きはめちゃくちゃかっこいい。
あれだけ絶対、楽しいからやってる。
「これを見せて、客にこう思わせよう」とか
「これをする決まりだから」とかでやってない気がする。
だからあんなにかっこいい。
だからこんなに、やってることそのまま、で見てる自分の中に入ってくる。かっこいい、を思うための引き出しがあっという間に満杯になるから、隣の「楽しくなってくる」にこぼれていく。
そこもこぼれて、「なんで自分はこのように自由ではないんだろう」の引き出しにもこぼれていく。自分はあの動きを日頃しない。しようと思いつきもしない。「これを言って、これを見せて、人にこう思わせよう」で毎日生きててもそれはそれでそこそこ楽しいからだ。
でもそこへ、あの動きだ。
いやー、かっこいい。
【とある集落には、悪政の舵をとりつづけたそこの酋長を公開で私刑するとき、円で囲んでみんなであの動きをする部族がいる。電撃ネットワークはそれをなぞらえている】と言う人がいたら、おれはあっさり信じると思う。
あれはそういう動きでもあると思うからだ。
これからすることに、これから自分たちがしてもいいことに、顔でもだけど、「腕を使ってでも笑おうとする」っていうかは、ああいう動きになると思う。だから、自分以外のみんなが自分を囲むようにあれをやってたら、あれは最悪の動きだ。あれは「お前に今から、ひどいことをする」という意味の動きだからだ。
でも、あの腕の動きを見るとき、自分も「あの動きをしている」。実際にしてなくても、しているのだ。
そうじゃなかったら、あの動きに、こんなにかっこよく思うことはない。
ああ、あの動き。
電撃ネットワークの、ネタとネタの間にやってる右手と左手の肘と腕で交互に直角を作る動きは正直 めちゃくちゃかっこいい。