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事前にお送りしたアンケート


5/6(月曜)と6/3(月曜)のNHK「ラジオ深夜便・ほむほむのふむふむ」に出さしてもらいまして、そのときに番組の方へお送りしたアンケートメールからの抜粋です。

番組内で話題にする短歌を事前に見てもらう形でした。

番組進行の山田さん、スタッフの皆さん、放送に至るまでのお時間をありがとうございました。引き続き、やっていきます。


⚫︎影響を受けた歌 2~3首⚫︎


〇 雨の県道あるいてゆけばなんでしょうぶちまけられてこれはのり弁/斉藤斎藤『渡辺のわたし』

・見えている世界を、自分が認識した順番に書く、というやり方でこんなにおもしろくなる、という体験を最初にこの短歌でしました。

〇 つま先を上げてメールをしていたらかかとで立っていたと言われる/土岐友浩『Bootleg』

・「おもしろいことを言っている人がいる」ではなく「おもしろいことになっている人がいる」の強さに、この短歌で醒めました。


⚫︎穂村さんの作品 2~3首⚫︎


〇 超長期天気予報によれば我が一億年後の誕生日 曇り/穂村弘『Linemarkers』

・初めて読んだ穂村さんの短歌がこれでした。
結句で「曇り」を自分にあてがう、自虐のノリばっかりが現代短歌には引き継がれてる気がするんですけど、「超長期天気予報によれば我が一億年後の」部分のワンダーがけっこうまだまだ、手付かずで残ってる気がします。

大喜利回答で出すにしても、発想の一息が長すぎるので、
短歌の一行によって居場所を与えられた奇想のように思います。
この世界で遊んでいいよ、の招待状を受け取ったような気持ちになりました。

〇 (すぐそこを)(飛んでる)(眠れ)(どうやって)(蜘蛛が)(眠るな)(笑顔)(聞きたい)/穂村弘『Linemarkers』

・宇宙船どうしの通信のような会話を、()の並びで成立させているレトリックと、お互いがとことんディスコミュニケーション状態な中、蜘蛛だけが確実に近づきつつある怖さの両方に、それをこんな風に書けることに、惹かれました。


⚫︎6月分 短歌界の近況⚫︎

最近気になっている短歌作品を、10首ほど

⚪︎ 次の瞬間教室に一匹の或る動物が入ってきます/穂村 弘『「鼻血」のママ』

最近の穂村さんのものでトップクラスに好きなものが、あんまり穂村さんっぽくはない、ということに不思議な気持ちと納得があります。先の歌で言う「蜘蛛」を書かない、短歌の外に恐怖の正体を置いて〈一首を閉じていない〉ことで「蜘蛛」の歌を自ら越えてる短歌だと感じました。

⚪︎ インターネットに悪口書くのやめてくださいカバも迷惑してます/ 直泰『刑務所のみんなで歌ったふたつのJ-POP』

ネットで個人や団体を中傷するような人へ、論理や感情で向き合うのではなく〈ほんとにいきなり謎のカバを〉登場させるという、このテーマの話し合い自体を脱臼させるっていうか、その処理に希望を感じました。いつ読んでも笑える。

⚪︎    これまでとなるべく別の生活を女に学び損ねつづける/斉藤斎藤『群れをあきらめないで(2)』

岡井隆さんについて書いた連作に入っている歌です。岡井さんの来歴をこうまとめる、ことでの快感がありますが、一方で、韻律そのものの運動性みたいなものに強く惹かれました。

短歌のなかには動詞をあんまり入れないこと、みたいなセオリーがありますけど、それをこれくらい無視してのこの韻律でぶん回すと、すごくグルーヴが出るのだなと、楽しい気持ちになりました。やぶれかぶれなテンションに笑うしかないというか。

⚪︎ (何回か孕んでしまう、戦争を全部ひとりでやろうとしたら)/久間木志瀬『そのうち十五分は眠っていた』

手持ちの物品だけがどんどん無くなっていって、ひたすらひたすら自分の体だけでなんとかしなくてはいけない悲惨な状況である戦争、をこの書き方で言えてるのじゃないか。と思う短歌です。心底恐ろしい一方で、狂熱の喜び、みたいなニュアンスも含まれてるあたり、いろんな味を含みつつ、戦争を恐ろしく思える歌だと思う。

⚪︎ サンタさんスケートリンクにある広告を全部蛾の写真にしたいの/仲井澪『霜柱標本室 2024.1.23〜2024.3.10』

( https://nakimusi-sak.hatenablog.com/entry/2024/03/10/210934 )

仕事中の二人(スケート選手、サンタさん)の仕事を、暇つぶしのように台無しにする私の願望とそこに呼ばれた蛾、が立ち上げてる内容もおもしろいんですけど、「したいの」という言い方のニュアンスが、「サンタさんに期待していない感じ」(平岡直子)、 「願いが叶うと思って言ってないと思う」、「本当の子どもが書いてるわけじゃないんだからすごくニュアンスがあるに決まってる」(乾遥香、瀬戸夏子)と、自分が受けた印象とは違ってたのが面白かった短歌です。

「なの」という言い方を消費してきた側と、そうではない側との違いなのでしょうか。

⚪︎ ポリシーをつらぬく_シールドをつらぬく_ポリシーでシールドをつらぬく/森慎太郎『シャッフル・ボイス』

アクションものなんかのテレビゲームを効率よくプレイした、TAS動画というのがあります。
初読時、短歌のTASを見た、と思いました。ここと、ここと、ここを押さえれば読む人は感動するんでしょとでもいうような態度を見た気がした。可愛げのなさがかっこいい一首です。

⚪︎ そりゃ男はえらいよ三〇〇メートルも高さがあるし赤くひかって /平岡直子『みじかい髪も長い髪も炎』


男側の自分としては、「最終警告」のように聞こえた短歌です。こう言われてるうちに気づけよ、というか。おもしろく言ってくれてる、男の中に、原初のものとしてある、ちびまる子ちゃんの口調で言ってくれてる、そんな歌だと思います。

⚪︎ 花束で顔を隠して微笑んだ絵画のような春の終わりに/岐阜亮司『フラグメント』

ここまでに挙げたような歌を趣味として集めていると、こういう歌が給水ポイント、みたいになって、泣きそうになる。読むたびに、これで泣こうと思えば泣ける、と思ってます。

⚪︎ ローソンはなんの略なのローソンはこころゆくまで正式名称/谷川由里子『残暑』

単に事実が言われてるだけなんだけど、賞賛に飢えてる人間にとっては「あなたはそのままで、あなたなんだ」を、自分がローソンになったような気持ち、でローソンから奪い取るように感激できる歌だと思います。

⚪︎ 親指はみかんに埋もれてる だけど、これから大逆転がおこるよ/はだし『オセロ』

いつ読みかえしても、この「大逆転」には盛り上がります。この「大逆転」に、冷ややかな気持ちになったことがないです。
短歌を一つ書くだけで、世界になにかをしてやろう、みたいなテンションは、そのまま、(たぶん)こたつで、みかんを剥きながら「大逆転」を夢見る態度と相似なんじゃないか。


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●プロフィール

伊舎堂仁(いしゃどう・ひとし)
1988年沖縄生まれ。歌集に、『トントングラム』『感電しかけた話』。

●流したい曲

gofish 「肺」