学生時代のこと。

我が家は父親の代からの土建屋でした。

末っ子長男の私は幼い頃、
言葉の意味を知る前から
父の職人仲間から「跡継ぎ」と呼ばれていました。

当然、家業は継ぐものだと思って育ち、
勉強があまり好きでないこともあり、
中学の時に父に
「どうせ跡を継ぐんだったら、高校は行かずに働きたい」
と話したところ、中卒の父が
「最低でも高校だけは出ておけ。俺は中卒で苦労したから」
と言われ、「まあ、焦ることもないか?」と思い、
高校に進学することに。

ただし、やっぱり勉強はしたくないので、
当時は専門学科のみに限られていた推薦入試を使って、
「どうせ行くなら少しでも仕事に役立つように」
と、県内で一番歴史のある川越工業高校建築科を受験し、合格。
その時は、この学校を選んだことが、
後の人生に大きく影響するとは思いもせず、
通うことに・・・

自慢じゃないけど(・・・という時は、絶対自慢している)
中学ではそこそこ成績もよく、
ノリで生徒会長をやってしまったこともあり、
内申点も申し分なく川越工業に合格したわけですが、
高校に入ってからは、バイトと遊びに明け暮れて、
入学当初は上位10位以内だった成績は、
あれよあれよと下がっていく始末。

さらに、建築科では製図の課題も結構あって、
元来、めんどくさがりの私は、提出期限を守らないのはザラで、
(その学期に出された課題を提出していなければ赤点なんですが)
2年生になる頃には、年度末になんとか追っ付けて提出し、
ギリギリ進級なんてザマになっていました・・・

(やっぱり、自慢できたもんじゃないねwww)

もちろん、卒業間際はてんやわんや。
3年の2学期には、そういう生徒が何人もいて、
そつなくこなす奴らは「1枚3,000円で書いてやるよ」
なんて、商売するやつも出てきちゃったり、
とってもカオスな教室となっていました。

お陰で、卒業してしばらくは夢で
「製図描かなきゃ!」なんて魘されて起きることもよくありました。

でも、そんな製図でも唯一の輝かしい実績があるんです。
当時はバブルの真っ只中。
そんな時代背景もあってか2年生の時に、
地元の信用金庫主催で設計コンテストが開催されました。

そこで最優秀賞を・・・ならカッコいいんですが、
最優秀賞、優秀賞など主要な賞とは別に
「発想賞」なる賞をいただいたんです。

今では資料もどこかに行っちゃいましたが、
吹き抜けのど真ん中に木を植えるという奇想天外な住宅で、
動線なんかはぐちゃぐちゃなんですが、
「豊かな発想が面白い」ということで、
急遽追加された賞だと言われました。

まあ、その奇想天外さは未だに健在で、
設計してても割とふざけたところから発想し始めて、
現実的なところに落としていったりします。

そうして、なんとかかんとか卒業したあとは、
父から「親子でいきなりやっても甘えるだけだ」と言われ、
同じ市内で若い従業員を何人も使っている同業者のところに
修行に行くことになりました。

つづく・・・

いいなと思ったら応援しよう!

けんけん
食に関することに貪欲で、発信も頻繁に行ってるから裕福に見られがちですが、結構いっぱいいっぱいです(笑) サポートしていただけたら泣いて喜びます(ToT)