移り変わるそれぞれの時代の大御所(2)

数多ある舞台や流行りを去る者追う者、流れる時節に付いていく立場の者、先頭に立ち時代を作り続けている者か、或いは押され続けた時代錯誤の先駆者なのか、バラエティに必要とされる人材が果たして視聴者に求められている人そのものなのか。

テレビの笑いを第一線で活躍し続ける明石家さんま氏が先日ラジオにて悲しくもテレビの笑いの未来を「面白いもんみられへんぞ」と危惧し発言した。一部視聴者からの過剰と言ってしまえるクレームを番組スポンサーが懼れからクレームの来ない番組作りを進めていく結果そうなる日も遠くはないだろう、とは世代が同じのお笑い好きには共感できる事案だろう。これも時代の流れなのか、視聴者の世代が変われば勿論求められる笑いの形も変わらざるを得ないだろう。

かつての大御所と呼ばれる方々が、例えばその次世代芸人司会の番組にゲストで呼ばれて対談する番組でも、喜ばれることもあれば鬱陶しい時間に感じるのは視聴する方それぞれあるだろう。呼ばれる方々が芸人であれ俳優であれ、楽しめる時間かどうかはその司会者の力量で変化するかもしれない。長寿番組の代名詞ともなったフジテレビ「笑っていいとも」で司会タモリ氏があれだけ多数のゲストと時間を過ごすことができたことは彼の人柄、幅広い知識、独特な世界観の芸があり築いていけたバラエティ界の財産である。その彼がゲストとして呼ばれる番組もある。ゲストとしての彼を歓迎しない視聴者もいないとは言えない。世代によってはただの変なおじさんだろうし。

若い世代が求める司会者たちが、世代の変わることで次の求める声に応えなければテレビ局は回らない。たまに局側や大手事務所が推し出した芸人を司会者にすることもあるがその違和感は世代が変わろうと違和感のままだが。ゲストに呼ばれることになったかつての若い司会者はいつの間にか大御所の立ち位置で振舞わなければならなくなっていく。筆者としては寂しさを感じてしまう。お笑いコンビかまいたち濱家を叩いたかつての世代の意見そのまま番組を批評する方も現れる。そんな古い世代の求めている笑いが画面に流れたとして、そこに懐かしさを感じようとも新しさは皆無だろう。バラエティとしては正しい指摘であるかもしれないが、それはもう時代が求めていないのだろう。少なくとも番組スポンサーが納得できるものではない。

YouTubeなど動画配信で芸人自らが企画し番組を作る、そこにスポンサーから契約を持ってくる時代になったここ数年。得意分野に特化したニッチな動画に視聴者がついていく。流行を作るツールが身近なものでできることに80年代に番組作りに参加していた世代の方々がついてこれるわけもなく。90年代を代表するお笑いコンビとんねるず石橋貴明氏が悲しいことに徐々に地上波から追い出されていくこともあったが、彼のようにスポーツや芸能史など特化できる分野がある芸人はテレビのライバルと敵視する方もいる動画配信に進むことで、生き残ることができた上まだまだ支持層が多いという現実が確認できたことは喜ばしいことである。かといって彼が地上波でまたレギュラー番組を始められるかと言えばパワハラセクハラと怒号が飛ぶのだろう。制約というよりは監視と言える視聴者の眼が許してはくれないだろう。ひょうきん族が笑えるか?ドリフのコントが危なげなくみられるか?故志村けん氏のエロいコントに視聴者はついていけるのか?

だが煙たい目で見られるであろう前の世代の芸人達の、古い番組形態でもいい、またあのころ活躍していた方々の番組を観てみたい。それはもう地上波では叶わない願いだろう。特番でもいい、あのころ活躍していた彼らの仕切る心から楽しめる番組が観たい。恐らく白けた空気になるだろうが。その空気でさえ、あばれる君が超えることは無理だろう。チョコレートプラネットがカリスマとなれるだろうか。夕方の子供番組で培った支持率をそのまま大人の世代になるまで待ったとして、果たしてどうだろう。多方向で不祥事のイメージが増えてしまった第4世代の芸人達が不甲斐ない今、YouTuberをカリスマとして地上波に出し視聴率を稼ごうとするテレビ局の思惑が通じるような世の中でもない。

大人も子供も新しいカリスマの登場に期待している。

筆者には心当たりはない。

本日はこの辺で。ある程度の敬称略。失礼いたしました。

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