移り変わるそれぞれの時代の大御所

令和になりコロナ禍というどんな世界においても特殊な時代となってしまったこの数か月。様々な職種での淘汰が始まり、より洗練された者が各業種で生き残るであろう厳しい世の流れに、残るために抗うのか或いは残ってくれと懇願されているのか立ち位置が変わることなく日々メディアに出演している芸人がいる。

世代交代は勿論あって然るべき。過去をたどればテレビ欄を占拠していたといっても過言ではないコント55号萩本欽一氏が日本の笑いを動かし始めた時、その前の世代、故ハナ肇氏やクレイジーキャッツの面々が銀幕とテレビの笑いの違いに図らずも世代交代させられることになり、ハナ肇氏の弟子ドリフターズが日本の笑いを変え始めた時には萩本氏が次世代に番組枠を譲り始めていく。ドリフと漫才ブーム世代の芸人が視聴率を争う中、新たに誕生したダウンタウンら第3世代と言われる若者が同時間帯に番組をぶつけ、そしてまた笑いの世代を塗り替えていくことになった。

個人的なことでどうでもいいのだが、筆者の子供の頃に観ていたテレビ番組で何より楽しかった番組は言わずもがなバラエティ番組だった。今も変わらない。欽ちゃんの番組を見て笑い、ドリフのコントでワクワクが止まらず、タケちゃんマンに興奮して、夢で逢えたらが始まる前のねるとん紅鯨団で大人への何かしらを学んだ。それぞれの時代の若きカリスマとなる芸人の上には大舞台を譲った大御所たちがどこか近からず遠からず、彼らの活躍できる場所でその世代の方々を喜ばせていた。劇場であったり、映画館であったり。

若い世代の観客や視聴者達が、時代のずれもあったであろうが、上の世代の笑いに理解がついていかない場面が個人的には多々あった。楽しく見ていた欽ちゃんの番組でも、子供がみたところで笑えないネタもあったのだろうと今となっては理解できる。受け入れられない笑いよりも分かりやすい笑いを選んで客層は移ろいで行く。大人の笑いが子供にはうけにくいのはいつの時代も変わらないことが推測できる。令和になった今もそれは言えるだろう。

テレビからメディアはインターネットに移り、個人で番組を発信できてしまえるほど放送技術や機材が身近にかつ手に入りやすい世の中になった。数年前から増え続け2020年コロナ禍で爆発的に増加したユーチューバーや色々問題があることも関係なく増えるティックトッカ―、インスタグラマーなどスマートフォンからできるメディア発信がまた笑いの世代を変えていくのだろう。とは言え、蓋を開けてみれば芸人がその舞台に進出しやっていることといえばラジオ、モノマネ、コント、漫才、楽屋風景、悪ふざけ、ドッキリ、通販的物品紹介など、ほぼほぼ地上波で流れている番組の個人発信仕様だ。呼ばれる番組がない中、自身で動画をアップすることで視聴回数を増やし、その後テレビなど地上波メディアに逆輸入のように出演する。今の若きカリスマが現状この中にいるのかと言われれば、わからない。視聴回数のカリスマなのか、バラエティの本質のカリスマなのか。基準が広がりすぎたのか、それとも浅く広くを広げすぎたのか、質は上がれどピークも下がってしまったのではないだろうか。

かつてのとんねるずの番組のように大御所芸人に若手の彼らがイタズラを仕掛けるような番組も地上波では視聴率が取れないのか企画はない。かといって大御所枠に入ったといっても問題ない石橋貴明氏にイタズラを仕掛けるような若手芸人もいない。本気で馬風師匠を怒らせた石橋氏の笑顔で笑うような視聴者層は残念ながらスマホを老眼鏡で見る世代となってしまっている。その層がSNSの笑いについていけるはずもなく、心落ち着くお笑い向上委員会を酒の肴にしてしまうのだろう。

今の笑いが最高だ、と若者は前の世代の笑いをどこか敬遠し、どこか嫌悪する。筆者もそうだったように今の若い世代のお笑いファンはそう考えるだろう。形は変われど笑いは歴史の積み重ね。あの笑いがなければ今の笑いの技術はなかったんだろうな、なんて考えながら観る層はなかなかいないだろうが、それでもまだこの令和の世代にカリスマがはっきりしないのは、先のカリスマ達の威光がえげつなく眩しく、衰えてくれないからであろう。ひどく強力な大御所たちに参ったといわせるような若い世代がそろそろ台頭してくれることを強く願ったり、まだダウンタウンやとんねるずや明石家さんま氏をみていたい気持ちもあったり。

笑いの世代を変えていくには見ているほうの勇気も必要かもしれない。

本日はこのへんで。ある程度の敬称略。申し訳ございません。

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