番組構成や編集のまずさ

スマホで様々な情報を得ようと1日の中で小さな画面を見続ける時間は一昔前に比べると圧倒的に増加していった2010年代。2020年になりもう年末と言ってもいい時期だがテレビを眺める時間は若年層にとっては特別なものでは全くない時代にある。

視聴率が番組の質に関わることは今に始まったことではない。だがしかし視聴率を稼ごうと、最近のバラエティ番組の内容に看過できない事象が流行ってしまっている。番組予告の質が、過去のものと比べ酷い仕上がりになっている。この時間に放送する、といった内容の番組予告で本編の笑いのピークを放送する。本放送時に見る新鮮さや面白さなど度外視したかのような、種明かしにも思える予告は興醒めの極みである。番組予告ならまだしも、本放送時冒頭に同じく今から流す内容を一度ならず幾度となく見せ、削り切った面白さを本編で流す。見たものをまた見せられて心の底から楽しめるわけもなく、番組を観終わる度に消化不良感が心を満たす。

流行りに乗るのはまだしも、本編での所謂撮れ高が無かったのかと出演者や芸人を疑ってしまうほど内容紹介に時間を費やす。番組冒頭に前半後半のピークを放映し、番組後半開始時に番組後半のピークを再度流す。フジテレビ「ダウンタウンなう」などによくみられるこの手法により本来笑える場面が来ても既知感があるその場面や番組を視聴者が本当に楽しめると思って編集しているのだろうか。楽しい場面は何度見ても面白い。だがそれは何も知らない状態から見始め、初見での印象を経て思える感情であって、先に映画の結末の様なものを見せられ喜ぶ層がいたとしてもやってはいけないマナーであろう。そもそも結末の先行上映など観たくもないし頼んでもいない。流したピークの先に更に笑える場面がある時もある。そう裏切られることはまだ百歩譲って歓迎するが、そのまま終わることが前述の番組で多々行われているこの悪行は赦されるものではない。

若年層の視聴者に合わせようとしたのか、まるでニュースやまとめサイトのスレッドかのような釣りとも思わせる時代に合わせたと言わせようとしているかのようなダサい手法を用いて、誰がゲストかだけでも良い番組冒頭部に包み隠すことなく本編のダイジェストを流すとは笑止千万。明石家さんま氏の番組でも多用されてしまっているこの手法。さんま氏の喋りや絡みをたくさん観たいのにこれで削られる時間が残念で仕方ない。誰が許可してこの内容紹介を始め、流行らせてしまったのか。演者の力量が観たいのに、編集で笑わそうとされると白けてしまう。要らないことはしなくていい。90年代から増え始めた字幕でとる笑いの延長かもしれない。そのままの言葉を字幕にするなら笑えなくなるからしなくていい。色を付けるセンスがなければ要らないものだ。名曲は原曲でいい。

ここ最近の編集で度肝を抜かれたことはある。フジテレビ「さんまのお笑い向上委員会」において。番組の最後は「完」の文字とともに放送した回の面白ワードを流すのが常。中村玉緒さんが飛び入りした回にて番組終了時、彼女が退場時に言い放った「さいなら」の文字と声が響き渡った時は、筆者にとって恐らく令和に代わって一番楽しかった時間だっただろう。奇跡を起こす演者の力を感じざるを得ない瞬間だった。その放送回の一番の沸点だったであろうその演出は、それまでの「完」における定石を裏切り、まさに演出面でも向上が伺えたものであった。

編集は番組を面白くするための編集であるべきだ。印象付けるための編集であっても内容をえぐるようなものではせっかくの面白さが半減してしまう。せめてそれを上回る裏切りの見せ場は用意していなければその演出が活きることはない。どの世代が最初に全てを語りつくした番組を楽しもうと観れるのだろう。視聴者を馬鹿にしているのだろうか。ましてその構成で視聴率が上がっていくとでも考えているのだろうか。

ダイジェストは削って良い。本編の内容が面白ければまた観たくなるのだから。

いちバラエティファンとして。本日はこの辺で。失礼いたしました。

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