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欧米巡遊雑記 明治の司法官が見たアメリカ ボストン Part 2 明治32年7月
はじめに
明治32年(1899年)7月1日から7日までのボストン滞在期間中、仲小路廉らはボストンに支店を構えていた大阪の骨董商・山中商会とボストン美術館(Museum of Fine Arts)を訪ねている。
ボストン山中商会
今回「ボストン」に来たり端なく「コインストンスツリート」に於いて開店せる山中骨董店に至り、初めて真に我が優美を極め、雅味を極めたる種々の骨董品を陳列し販売するを見受けるに至りたり、彼の渋味ありと称する一椀の茶器、苔むしたる金燈籠将に朽廃とする一隻の釣瓶、此間に於ける趣味、是果たして西洋人の能く解し得る所なるかとは、従来当に「金ぴか」「デコデコ」のみを西洋向きとして目に慣れたる身には当初疑の一つなりしか、少なくとも「ボストン」に於いては決して此疑を挟むの余地あらさるなり。是れ自ら其間一の理由あり。
「山中骨董店」は大阪の骨董商・山中商会で、19世紀後半に欧米で起きたジャポニズムの波に乗り、アメリカ、イギリス、フランスへ進出。「ハウス・オブ・ヤマナカー東洋の至宝を欧米に売った美術商ー」(朽木ゆり子/著, 新潮社)によると、
山中商会は懇意にしていたエドワード・モース、ウィリアム・スタージス・ビゲロー、エルネスト・フェノロサの協力により1894年にニューヨークに支店を開き、1897年にはボストン ボイルストン・ストリート272番地にボストン山中商会の前身となる店を構えている。その後、1905年にはボイルストン・ストリート324番地に移転している。1900年頃のボイルストン・ストリート324-334番地を写した写真(ボストン公共図書館所有)には、 "YAMANAKA"と書かれた看板が見える。
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現在のボイルストン・ストリート272番地と324番地は、1988年に建てられ、店舗と住居が入るHeritage On the Gardenの一角になっており、当時の建物は残っていない。
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1914年にはボイルストン・ストリート456番地に移転している。1934年の写真にも"YAMANAKA"の看板が見え、2階の窓には"YAMANAKA & CO."の文字の他に仏像が並べられている様子が見える。
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1935年にはボイルストン・ストリート424番地に移転しているが、1908年に完成したBerkeley Buildingは現存している。
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ボストン山中商会はボストン郊外のドーチェスターに園芸部門を開き、日本庭園の建築なども請け負い好評だったようだ。「苔むしたる金燈籠」は日本庭園のために販売されていたものかもしれない。
ボストンのイザベラ・スチュワート・ガードナーも山中商会の顧客だった。美術品蒐集家のイザベラは、1880年以降日本やアジアの美術品への関心を高めており、1883-84年には日本、中国などアジア各国を歴訪している。朽木の著書によると、イザベラは日本滞在中に大阪の山中商会を訪ねているようだが、本格的な付き合いが始まったのは山中商会がボストンに店を構えた後とのことである。イザベラは1903年に収集したコレクションを展示する目的でイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館を開設している。山中商会が販売したいくつかの美術品が現在も展示されている。タイトルに使用した写真は美術館に展示されているペアの獅子の置物で、美術館のHPによると、1902年11月にボストンで開催された山中商会のオークションで$8で購入している。
後記
1899年にボストンに店を構えていた山中骨董店? 大した情報は出てこないだろうと気軽に調査を始めましたが、"the Gilded Age"のアメリカの大富豪や英国王室と取引があった世界的に有名な美術商だったことがわかりました。
山中商会は日本の美術品の入手が困難になった1908年以降、中国美術品の取引を増やしていきます。NHK「清朝秘宝 100年の流転」では山中商会が仕入れた清朝の至宝の数々が欧米の裕福な蒐集家の手に渡り、裕福になった中国の蒐集家により祖国へ買い戻される様子が描かれています。番組の最後は次のような言葉で締めくくられます。
美と力の結晶、清朝秘宝。それは富栄える人と場所を求めて流転を繰り返す。