欧米巡遊雑記 明治の司法官が見たアメリカ ニューヨークからボストンへ 明治32年6月
はじめに
欧米巡遊雑記米国之部は、司法官の仲小路廉が明治32(1899)年から明治33(1900)年にかけて司法制度調査のためにアメリカ・イギリスに派遣され、アメリカの様子をまとめ出版したものである。国立国会図書館デジタルコレクションにて閲覧することができる。訪れた場所を非常に正確に、また感じたことを豊かな表現力で記述しており、仲小路廉がおよそ120年前に見たアメリカの様子が生き生きと伝わってくる。
ニューヨークからボストンへ
仲小路廉は明治32年4月11日に横浜港を出港し、太平洋を航海したのち4月28日に桑港(サンフランシスコ)に到着している。その後列車にてアメリカ大陸を横断し、華盛頓(ワシントン)、紐育市(ニューヨークシティ)を訪問したのちボストンに到着している。
フォールリバーライン(Fall River Line)は、ニューヨークとボストンを蒸気船と鉄道で結び1847年から1937年まで運行されていた。The Herald Newsの記事によると、夕方5時半にマンハッタンで仕事を終えた後に出発し翌朝8時半にボストンのサウスステーションへ到着し1日仕事をすることができるよう、ビジネスの旅行者を想定していた。仲小路が記述しているように、ニューヨークとボストンを結ぶ夜行列車は存在していたが、1910年になるまで寝台車には電灯がないなど、快適と呼べるものではなかったようだ。それに比べ、船には図書室、美容室・理容室を備え、バンドによるコンサート、豪華な食事が提供されていた。仲小路が乗船した1900年ごろは裕福なビジネス旅行者を中心に人気を博していたと思われる。
仲小路が乗船した「ピュリタン」(Puritan)の内装はこちらで写真を見ることができるが、船内、食堂やサロンの天井や壁には彫刻や装飾が施され、花を模ったランプが柱に贅沢に取り付けられている様子が見られる。仲小路は食事の記録を残していないが、こちらの記事によると、Cape code Oysters: Half Shell, 35¢, Porterhouse Steak for two, $1.50, English Plum Pudding, 25¢など287種類ものアラカルトのディナーが提供されていたようだ。
フォールリバー(Fall River)は、マサチューセッツ州の東海岸に位置する。19世紀には繊維産業で発展し、フォールリバーラインも綿花や石炭、鉄、鉄の完成品や綿布を運ぶ手段として運行を開始したが、鉄道の拡張に伴い、貨物船としての役割から豪華客船へと役割を変えている。
フォールリバーラインが運行していた時代の埠頭を描いた(と思われる)絵には埠頭に停泊する蒸気船と埠頭から伸びる線路と海岸線を走る汽車が描かれている。
仲小路が蒸気船を降り汽車に乗り換えたターミナルがあった(と思われる)あたりには線路が残っている。また向かいのオールドコロニー・フォールリバー鉄道ミュージアム(Old Colony & Fall River Museum)跡にはOLD COLONY & FALL RIVERと書かれた客車が残されていた。
The Herald Newsの記事によると、フォールリバーからボストンのサウスステーションまでは列車で約1時間20分かかった。ボストンのサウスステーションは1899年にオープンしている。仲小路はオープンしたばかりの新しいサウスステーションに降り立ったのだろうか。2024年現在、1899年に建てられたビルの後ろにサウスステーションタワーの建築が進められている。
「ツレモント、ボイルストンスツリート(Tremont, Boylston St.)」の「チューレインホテル(Hotel Touraine)」は、ボイルストンストリートとツレモントストリートが交差する角に位置し、1897年に建てられた高級ホテルの一つであった。ホテルは1966年に閉鎖し以降アパートメントになっている。
後記
期間限定でボストンに駐在しています。仲小路らが訪問した場所を機会があれば訪れてみたいと思っています。今回、ボストンからロードアイランド州ニューポートへ行く途中でフォールリバーを訪れてみました。フォールリバーラインの船はニューヨークを出発後、ニューポートに寄港したのちフォールリバーに向かっていました。ニューポートには鉄道などで財を成した大富豪が夏を過ごす別荘として建てた豪邸が残されています。南北戦争後アメリカ経済が大きく成長する1870年から1890年後半くらいの期間はthe Gilded Ageと呼ばれています。フォールリバーラインが豪華客船として賑わい、ニューポートに豪邸が建てられた時期にあたります。仲小路は船で出会った人たちのことを以下のように記載しています。
「華やかさを競う女性、豪華さを極めた紳士たちが入り乱れて行き来する様子を見ると、もしこれが人生の美しさや楽しさだとすれば、この宮殿の中にいる人々はその頂点にいると言えるだろう。」