麻雀との出会い(クソガキ編)
今回は、後に俺の人生を狂わす麻雀にかかわるエピソードについて書いていきたいと思う。
「初めての麻雀」
俺が初めて麻雀をしたのは中学生の時だった。
昔父が使っていたのか、家に麻雀牌があり、よく兄と適当にいじって遊んでいた。
その内ちゃんとしたルールでやってみたいと思い、父を誘い、初めての麻雀をする事となった。
面子は父、兄、俺の3人である。
3人だったがマンズ抜きとかではなく、普通に全ての麻雀牌を使ってやった。
ただ、やり方を知っていたのが父だけだったので、ルールを聞きながらゆっくりやっていた。
アガった訳でもなく、ただなんとなく似ている牌を集めて並べているだけなのに、なんかめちゃくちゃ面白い。
すると、
父「ロン、一盃口(イーペーコー)」
俺は、一盃口という役に振り込んでしまったらしい。
父「麻雀は役がないとアガれないんだよ。こういう並びを作ると、一盃口になるんだよ。」
初めて知った役が一盃口だった。
俺「一盃口以外にはなんかあるの?」
父「ないよ。」
父は既にめんどくさくなってしまっていた。
俺も当時は純粋だったので、そういうものなのかと思った。
そして、毎回一盃口を目指して、牌を集めた。
しかし、何度やっても父に先にアガられてしまう。
父は早く終わりたくて、多分結構本気でやっていた。
その時恐らく、一盃口以外でもアガっていたのだろうが、俺は自分の手しか見てなかったので、父の手なんて一切見ていなかったし、気にしなかった。
父の言った適当な話に騙され、俺はひたすら一盃口を狙っていた。
すると事件が起こる。
兄「ロン、一盃口」
兄も騙されていた。
その日、結局俺は一度もアガれずに終わってしまった。
最初に麻雀のアガリ形を教えてもらう時、「3333+2(4面子+1雀頭)」で教えてもらう人が多いと思う。
しかし家の場合は「6+8(一盃口+その他)」だった。
それから、麻雀したいなーと思った時は、また父に頼んでみるものの、父はそんなのそっちのけでパソコンのピンボールに夢中だった。
父はよく仕事から帰ってきてはこの、パソコンに最初から入ってるピンボールをやっていた。
しかも、結構な音量で。
父がこれをやり出すと、効果音がめちゃくちゃうるさかった。
リビングでみんなでテレビを見ている時とか、
大事な場面で、父のパソコンから、
「ドゥルドゥルドゥル!ガイーン!」
とか聞こえた時は、みんなからブーイングを食らっていた。
ご長寿早押しクイズで、珍解答が出る瞬間にドゥルドゥル鳴った時は、穏やかな姉もさすがにキレていた。
父は父で、「今のはぎりぎりリプレイボールだろ!」
とかなんとか言って、別に一人でキレていた。
父が麻雀をしてくれなくなり、それからしばらく麻雀から離れる事となる。
「MONDOTVとの出会い」
ある日、学校から帰ってきて、父が導入したスカパーで適当にチャンネルを回していると、たまたま麻雀をしている番組を発見する。
MONDO TVである。
この番組の発見により、また麻雀熱が再発する事となる。
学校から帰ってくる時間に、ちょうど麻雀の番組がやっていたので、いつもこれを見ていた。
そこで、一盃口以外の役の存在を知ると共に、小島武夫の麻雀に魅了される事となる。
その頃に良く出ていたプロは、飯田正人、金子正輝、安藤満、新津潔、荒正義など、そうそうたる面子だった。
そのMONDO TVを毎日見る事で、麻雀の役やルールをだいたい覚える事が出来た。
もっと詳しく知りたいと思った俺は、小島武夫の本を買うようになる。
学校に小島武夫の本を持っていき、授業中に左手で小島武夫の本を読みながら、右手で筆箱の中で小手返しの練習をしていた。
小手返しを練習していたのも、小島武夫がよくやっていたからである。
その頃から、少し麻雀を知っている人や、やってみたいと言う人を3人集め、俺の家で4人で麻雀するようになる。
もちろん手積みで、みんなで麻雀の本を読んだりしながら、ゆっくりやっていた。
まだ知らない事がたくさんあったし、手つきもおぼつかなかったが、実際に麻雀をやるのはとても楽しかった。
それからも授業中には麻雀の勉強をし、小手返しはある程度マスターしたので、次は小手返ししたと見せかけてしてない動きを練習していた。
これも小島武夫が得意とするモーションの一つだ。
しかし、事件が起こる。
授業中、本を読むのに夢中になりすぎ、先生に麻雀の本を読んでいるのを見つかって没収されてしまう。
ここまでは仕方なかったのだが、なんと小手返しの練習に使っていた「發2枚」も没収されてしまう大誤算。
さらには、クラスの全員にその現場を見られ、(あいつ、学校に麻雀牌持ってきてんのか?頭大丈夫か…?)
みたいな空気になるおまけ付き。
だが、あまりにジロジロ見てくるやつには、
(お前それ以上変な目で見たら、デジモン持ってきてんのバラすぞ)
と、目で制した。
その後、いつも麻雀をやってる面子で集まり会議した。
そう、俺の家には予備の牌がなかったのだ。
この發が2枚なくなった状態で、これからどうやって麻雀するかの会議である。
友達「別に發2枚ぐらいなくても変わらないでしょ」
みんな「たしかに」
会議するまでもなかった。
その後、麻雀は發2枚が無い状態で行われた。
色んな問題が発生するかと思われたが、そうでもなかった。
發はただ邪魔な牌という感じで普通に麻雀をしていた。
しかし、途中から發単騎で待つという謎の行為が流行りだし、本当に厄介だった。
發は最初から安全牌みたいな感じの扱いであるため、立直の一発目に切られることが多く、そこを狙う輩が現れたのだ。
振り込んだらムカつくし、立直かけた方も王牌にいるとキレる。
一度二件立直で、お互い發単騎という奇跡がおきたが、流局した時の俺ら何してんだろう感は否めなかった。
最終的に發は、ただでさえ使いにくい上に、安全牌としての価値もないただのゴミ扱い。
白、中と鳴いてる人の迫力がない。
リーチ受けた後に掴む發がムダに切りにくい。
終いには、関係のない「中」までもが、裏ドラになりにくいとか言われて割を食っていた。
もはや發全部抜いた方がまだマシだったまである。
今でも白、發、中とあったら、なんとなく發から切り出すようにしているのだが、この時の名残からかもしれない。
「東風荘荒らし時代(黒歴史)」
友達が帰った後も麻雀がしたかった俺は、ネット麻雀を発見してしまう。
今はなき「東風荘」である。
麻雀も面白かったのだが、インターネット初心者の俺はチャット機能にハマってしまう。
この時まだ中3だった俺は、見ず知らずの人と、ネット上で会話するのがめちゃくちゃ楽しかったのだ。
そして何を思ったのか、俺は次第に待合室(接続ユーザー全員が見れるチャット欄)を荒らし始める。
しかも荒らしてる俺かっこいいだろぐらいのテンションで荒らしていたからタチが悪い。
当時、「厨房」と言う言葉が流行っていたが、まさにそれである。
挙げ句の果てに周りの人に対して「この厨房が!」とか言ってしまうのだから救いようがない。
とりあえず麻雀を打ちまくって、疲れてきたら待合室を荒らすというゴミのようなルーティンだった。
東風荘には、「mjman」と言う管理人がいたのだが、それ以外に「サブオペ」と呼ばれるmjmanの手下みたいな人達が何人かいた。
俺は荒らしながらも、mjmanがいないのを確認して荒らしていた。(誰が接続しているかを調べる方法があった)
以前一般ユーザーとチャットしている時に、mjmanは東風荘の全てを司る神だという噂を聞いていたので、その人の前で荒らし、ID削除とかになったらシャレにならない。
荒らしだがビビリだったのだ。
そんな感じでいつものように荒らしていると、ある日、急に接続が切れる。
その後ログインしようとしても全く接続できない。
焦った俺はとりあえずジョジョ第三部を読み返して気を落ち着かせた。(この頃、学級内でジョジョブームが起きていた)
そして5分後ぐらいに再びログインしてみると、すんなり接続できた。
たまたまか?と思ってとりあえず荒らすと、また接続切れ。
そう、これはmjmanの手下であるサブオペの仕業だった。
後で知る事になったのだが、サブオペはキック機能を持っているらしく、荒らしや、通し(観戦しながら待ち牌をバラす)を一時的に接続停止にする事ができるのだ。
俺は待合室を荒らせなくなった事で、完全にキレてしまう。
その時の俺の生きがいは、麻雀する事か、東風荘の待合室を荒らす事だったのだ。(終わっている)
その後、待合室にたまたまサブオペ事情に詳しい人がいたため、その時キックしていたサブオペの正体を突き止める事に成功する。
なんとそのサブオペは、以前チャットで何度か会話した事もある、よく見かけるユーザーだったのだ。
だがこうなった以上そんなのは関係ない。
俺はそのサブオペに戦いを挑んだ。
リアルで会うわけでも、ネット麻雀で勝負するわけでもない、チャット上の口喧嘩である。
しかし、待合室で話しかけても何の反応もない。
何度話かけても、全く関わる気がないのか、かたくなにスルー。
待合室の番人であるサブオペが、これだけ呼びかけて気付かないはずがない。
試しにいつものように待合室を荒らしてみると、一瞬でキックされる。
今考えると、サブオペは荒らしをキックする人で、荒らしているのは俺。
100:0で俺が悪いのだ。
しかし発狂してしまっていた俺は、このシカトからのキックを引き金に、いよいよ暴走モードに突入する。
俺は決意した。
「ヤツが寝るまで荒らすのをやめないッ!」
荒らす→キックされる→再接続できるようになるまでの約5分間ジョジョを読む→ログイン→荒らす…をひたすら繰り返した。
しかし、相手もかなり根気強かった。
何度ログインしても、無言で延々とキックし続けてくるのだ。
そして、俺とヤツとのその不毛な戦いは6〜7時間ほどに及んだ。
気がつくと、読み終えたジョジョがテーブルの上に大量に積み重なっていた。
アヴドゥルと出会った辺りから読み始めたにも関わらず、その頃には彼はもう腕だけになっていたのは言うまでもない。
そのサブオペも、いつもは東風荘内でよく麻雀を打っているのだが、その時ばかりは待合室の平和を守るべく、麻雀せずにずっと見張っていたのだろう。
そして、ただひたすら荒らしをキックする任務を淡々とこなしていた。
恐らくヤツも相当な負けず嫌いだったのだ。
俺も終盤は、いつも就寝する時間を軽々と越えていたため、だいぶ疲れてきたのだが、もうランナーズハイに近い状態に入っており、次の日学校に行く時間までやり続けてやるという構えを見せていた。
しかし、勝負は意外な形で決着する。
東風荘にログインして、荒らす前に一応ヤツがいるかどうかを確認していたのだが、ついにヤツがいなくなった。
俺はこのどうしようもない勝負に、ついに勝利したのだ。
とりあえず最後に待合室を荒らして、勝ち台詞みたいなのを添えて寝ようと思い、待合室を荒らしてみるとなぜかまた接続切れ。
あれ?と思い、その後もう一度ログインして確認するがやはりヤツはいない。
しかし、その後もすぐに接続切れとなる。
ここでようやく理解する。
今まで俺をキックしていたヤツが、別のサブオペとバトンタッチしていたのだ。
恐らくヤツは眠さの限界が来たが、ここで引き下がったら負けだと判断し、別のサブオペにキックし続けるように頼んだのだ。
そして、今のサブオペが誰なのかはもう分からない。
ヤツの意思を引き継いだ別のサブオペが、待合室にいる大勢のユーザーの中に紛れ込み、ひたすら俺をキックしているのだ。
この群衆の中、そのサブオペを特定するなど不可能に近い。
今までの時間が全てムダになった気がした俺は、深い絶望を覚えた。(最初からムダである)
俺はその時、仗助らに追い詰められた吉良吉影が川尻浩作の体を奪い、群衆に紛れてまんまと逃亡し、仗助らを絶望へと追い込んだあの場面を思い出していた。
ヤツには勝ったが、荒らす事はできないという事で、なんとも言えない気持ちになった俺は、
「今誰がキックしてるかは分からんが、残念ながらお前には用はない。さらばだ。」
みたいな事を最後に言った気がする。
散々荒らし、どうしようもない争いでサブオペやユーザーに迷惑をかけた挙句、最後になぜかカッコつけて帰るという始末。
ここまで来ると黒歴史すぎてもはや笑えない。
今思うと、この時よくID削除にならなかったなとも思う。
その後、自分がやっていた事の愚かさにだんだん気づいてきた俺は荒らすのを控え、東風荘の一番上の卓「超上級ランキング卓(超ラン)」を目指し、さらに麻雀を勉強する。
その頃は、超ランの常連だった人に観戦してもらい、アドバイスを受けながら真面目に麻雀を打っていた。
そのおかげもあってか、数ヶ月に超ランに辿り着くことができた。
当時、東風荘最強と名高い「とつげき東北」氏や「ハノンピアノ」氏と同卓できたのがめちゃくちゃ嬉しかったのを覚えている。
俺が少し落ち着いたからか、かつて不毛な戦いを繰り広げたあのサブオペとも少し話すようになった。
あの時の事許してくれたかな?と思い、挨拶程度に軽く荒らしてみたが、ヤツのキックの速さは健在だった。
サブオペが一生キックしてくると分かった俺は、それからだんだんと荒らすのを止め、麻雀に本気で取り組むようになった。
結局は、ヤツの前に俺は敗北した。
話は変わるが、その頃、東風荘で対局中にいきなり父が部屋に入ってきて、後ろから頼んでもないアドバイスをしてきた事があった。
「リャンメン待ちか、これはいい待ちだぞ。麻雀はピンフに始まりピンフに終わるんだ。それよりこのパソコンはピンボール入ってるか?」
父は自分のパソコンのハイスコア(自分で出したヤツ)を更新できなくなったのか、なぜか俺のパソコンでピンボールをやろうとしていたのだ。
ここまでくると、もはや意味不明である。
その後は高校生になり、リアル麻雀の頻度は減ったが、東風荘はコツコツと続けていた。
雀荘メンバーになる所まで書きたかったけど、ここまで長すぎたので一旦終わります。その内続き書きます。
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