ラース・フォン・トリアーは根っからのキリスト教徒だ

 ラース・フォン・トリアー監督の映画『アンチクリスト(アンチクライスト) Antichrist』は、その過激な描写のため、批評家連からもそっぽを向かれる問題作として話題になった。当方の拠点ライプツィヒでも旧市街の映画館で上映され、毎夜、映画好きを集めていた。当時、日本での公開が危ぶまれたこともあり、これは好機と劇場に足を運んだ。
 映画は序章、第1章「悲嘆」、第2章「苦痛--混沌期」、第3章「絶望--魔女狩り」、第4章「三貧者」、終章の6章からなる構成。序章と終章にはヘンデルの有名なアリア「涙の流れるままに(私を泣かせて下さい)」(オペラ<リナルド>)が流れる。
 シャルロット・ゲンズブール演じる妻と、ウィレム・デフォー演じる夫はある日、睦み合いのさなかに事故で幼子を失う。心に大きな痛手をこうむった妻は入院するが、心理療法士の夫は薬漬けの治療方針に疑問を抱き、みずから妻を回復させることを決意する。積み重ねた対話から夫は、所有する山荘が妻の深層心理に大きく関わっていることを突き止め、転地療養と称して妻を山荘に連れ出す。そこから、妻の秘密と、それに追い詰められる夫の姿が描かれていくのが映画のあらすじ。
 随所に性的・暴力的・怪奇的なシーンがちりばめられ、あられもない描写や痛々しい表現に身もだえすることに。その点に注目が集まり、批評家たちからも酷評や失笑が漏れているようだ。
 この映画の表現方法は、当方にとって好ましくも望ましくもないので、傑作であるとか名作であるとかいうつもりは毛頭ない。しかし、この映画のメッセージには注目すべき点が含まれている(それを受け入れるつもりはないわけだが)。それは、タイトルの「Antichrist =反キリスト」と、もちろん深く関わっている(ニーチェに同じタイトルの著作があるが、それとこの映画との関係を語ることは当方の能力を超えているので、今回はパス)。
 タイトルの意味が「反キリスト」で、性的な描写も含む過激なシーンが連続するため、映画の主題は「背徳」とか「反キリスト教道徳」であると考えられがち。しかし、ことはそう簡単ではない。

ここから先は

1,468字
この記事のみ ¥ 200

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?