東大の三鷹寮ってどんなところ?
三鷹寮。
それは東京大学教養学部に在学している学生や留学生が入居できる、半世紀以上の歴史を誇る寮である。
歴史がある反面、設備は古い。東大の校舎も古いが、日本の伝統と知性を漂わせる安田講堂とは対称的に、無骨なコンクリート造りのその寮棟から感じ取れるのは無機質さと劣悪な排熱効率だけ。つまり夏はクソ暑く冬はバカ寒い。おまけに交通アクセスは最悪で、徒歩では最寄り駅からでも30分程度かかる。
散々歩かされて辿り着いたそこは監獄のような塀と草木に覆われており、どこか人気も少なく寂れている。秋になると、人間の数よりも道端に転がっているセミの数の方が多い始末だ。独特の淀んだ雰囲気と度々横切る黒いお友達(ゴキブリ)により心が蝕まれ、その過酷な環境から東大生からはしばしば敬遠されている。
私は2年生に進学する時に1年間住んでいたアパートを出たのだが、2年次からでも入寮できると聞いて、「せっかく東大生になったからには名物寮に入ってみるか」とさっそく入居を決めた。
そのときふとTwitterで、私と入れ違いに三鷹寮を退寮する人が、寮生の中で「本棚」の引き取り手を探しているのを見つけた。
この「本棚」、なんと三鷹寮の仕様に合わせて手作りで作ったものらしく、画像越しからでも分かるほど高いクオリティ。もはや、「自分で家建てた方がもっとマシな所住めたんじゃないんですか?」というレベルだ。すごすぎる、欲しい。思わずダメ元で連絡してみると、引き取らせてもらえることになった。
ただ、入居日よりも1ヶ月くらい早い時期にその人が退寮してしまうので、入居まで本棚をどこに保管しておいたらいいのか、それが悩みどころだった。
虫の死骸は所せましと転がっているのに入居予定者が荷物を置く場所は用意されていない、その事実に私は戦々恐々として、入居する前からこの場を逃げ出したくなった。
しかし、試しに入居予定の部屋の前まで行ってみたところ、なぜかまだ入れないはずの部屋に入ることができてしまった。あまりのセキュリティのガバさに内心「大丈夫か?」と思ったが、善は急げと一足先に本棚を運び込んでおくことにした。
こっそり運び込んだら、案の定2週間くらい後に電話がかかってきた。画面に表示された番号は三鷹寮の事務所。身に覚えしかないので冷や冷やしながら電話に出ると、出てきたのは職員らしき女性。「あるはずのない本棚があるのだが事情を知らないか」という問い合わせだった。
これ以上罪を重ねることはないかと思い素直に事の顛末をそのまま伝えると、「不法侵入ですよねえ」とやんわり詰められた。今日から自分も前科者かもしれない。これでは名実共に入獄ではないか。私は震えながら入居手続きの日を待つことになったのだった。
ついにやってきた入居手続きの日、書類を提出するために恐る恐る事務室の戸を叩くと、表れたのは物腰和らげな事務員の女性。「あの本棚を見つけたときは本当にびっくりしちゃった、妖精さんの仕業かと思っちゃったわよ」と恐ろしく無邪気なコメントをいただいた。何かしらのペナルティを覚悟していただけになんだか拍子抜けしてしまい、「あなたの方が妖精さんですか?」と内心癒されながら、事務室を後にした。
新生活スタート
シャワーが不便、というのは割とよく聞く話だが、個人的には、シャワーよりは交通アクセスの方が断然不便だった。雨の日や猛暑日なんかは外に出たくないので、できるだけ引きこもっていたが、部屋にいると電気代が文字通り目に見えて減っていくので大変辛い。
引きこもるといえば、何より辛かったのは、友達ができないということだった。
暇を持て余す2年生の夏学期、週に2回しかない登校日以外は特にすることもなく、朝から図書館に出かけ、その帰りがけにスーパーで買った缶酎ハイをあおる毎日。あまりの無気力に、シャワーを浴びることすらままならないこともあった。太陽に熱された壁を触ると、コンクリートに籠った熱が人肌のように暖かかったので、寂しいときは壁を抱いて寝ていた。
そんな私を救ってくれたのは、バングラデシュ出身の留学生の隣人だった。
彼とはたまたま部屋が三つ隣りだったのだが、彼はいつも扉を全開にしながら料理をするので、毎日夕方から夜にかけての時間になると、カレーの匂いが廊下いっぱいに広がっていた。
彼からは時々お裾分けをもらうだけでなく、ときには部屋にお邪魔してそのままそこで試食させてもらう、ということもあった。お手製のピクルスを何種類も試食させてもらったときには、あまりの辛さにお腹が焼けるんじゃないかと思った。
ガンジーはカレーやピクルスを作るだけでなく人心を洞察する能力にも長けているらしく、ある日悩み事があって精神的に疲れていたときには、「君は今この部屋にいるが、君の心はここにはいない」とはっきり指摘された。彼の専門は遺伝子工学らしいが、遺伝子について研究しすぎて何かを悟ってしまったのかもしれない。何やらスピリチュアルな知識に精通しており、初対面の時にはインドのヨーガというかオームというかクンダリーニなレクチャーを英語でまくしたてられてほとんど理解できなかった。「人間の無意識からくる欲望に抗うためのトレーニングを長年積んできた」とのこと。理系の大学院から追放した方がいいのではないか、との疑念が頭を過ったが、ガンジーめいたビジュアルの説得力とチキンのスパイシーな香りで脳みそがバグってしまっていたのか、謎に感心してしまった。
それからはときどき人生相談もさせてもらうようになり、例えば「煙草やめたいんだけどどうしよう」と相談したら、「吸いたくなったら止めてあげるから、いつでも僕を呼んでね」と現代社会ではとてもお目にかかれないような温かい言葉を投げかけてくれた。思わず「でもあなたが煙草を吸うのを邪魔したら、私はあなたを殴ってしまうかもしれない」と言ったら、「僕と君とでは喧嘩にならない」と返された。「私は生来お人好しな質なんだよ。That’s my nature」そう笑う彼の顔は、一瞬本物のガンジーに見えた。
こうして、ガンジーのおかげで無機質だった生活にも花が咲いたように思えたが、この生活のエンディングはあっけなく訪れた。
秋学期から通学先が本郷に変わるのだが、あまりにも交通アクセスが悪く、学校に行けなくなるような気がしたので、泣く泣くこの寮を引き払うことになったのだ。
退寮日の前日にはガンジーにちょっとした餞別をかましにいったのだが、その時は私の英語力が乏しいためか日頃の行いが悪いためか分からないが、なぜか退寮する理由を「一人暮らしして夜遊びしまくっているせいで親が怒ったから」と勘違いされ、最後の助言は「両親と仲良くね」だった。
非常に短い半年間だったが、雄大な自然と素晴らしい友人に恵まれ、充実した毎日だった。私は今でもカレー屋の前を通る時に、いくら洗ってもカレー粉の黄色が落ちなかったタッパーのことを思い出す。一体、どんなスパイスを使って調理していたんだろう。教わる前にサヨナラしちゃったね、ガンジー。
ありがとう、三鷹寮。
そして、ガンジー。
文責【馬耳内】
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