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ケのハレ化

「ハレ」の場という言葉がありますよね。
ちょっと特別な外に出ていく感じの場。卒業式や結婚式。
自分の人生の節目とか、マイルストールというかイベント的な日。

もっと小さいレベルで言うと
家の中から会社に行ったり、お出かけしたり、誰かに会ったり
そういうのも「ハレ」だったかもしれません。

長引くコロナの影響で、私たちはそういう「ハレ」の大部分を失いました。
原則他人に会うと感染の恐れがあるんだから、もうどうしようもない。
会社だろうが、友達に会うんだろうが、なんなら買い物だって
全部不特定の他人に会って口きく以上、感染の恐れはあるわけで。

観光はほぼ壊滅、エンターテイメント産業も大打撃
今後もライブや舞台は室内空間に不特定多数が集まって発声という
感染発生装置みたいな状況そのものが否定されてる中
同じものを取り返すことはまず難しいだろうと思います。

ただ、人類史史上、こんなにも安易に
人間がたやすく長距離移動を行っていたことはなかったんじゃないかと
ほんの数十年前まで海外はおろか、国内で地方在住の人ならば
生涯東京に出ることすらないことだって、
別に珍しいことではなかったと思うのです。

そしてそれが不幸なことだったは到底思えない。
過去に生きてきた人たちが、不幸ばかりを感じて生きた人生だったなんて
まったく思えない。

旅行ができない、外で人に会えないということを
ただひたすら嘆き悲しんで、
「戻る」ということだけを待ちわびたり、
今を「耐える」メンタリティに非常に違和感を覚えます。

時間は非可逆な以上、「戻る」っていうのは「存在しない」事象なわけで。

ただ今のフラストレーションを「諦める」で納得するのも
これはこれで違和感があって。

人間の喜びとか楽しみって、
そんなに既定の用意された事柄のみに
限定されてなくちゃならないのだろうか。

私たちの朝起きて寝るまでの24時間は
突然12時間に減らされたわけじゃない。

だったら、過去に捕らわれず、
今あるものからこれまで気がついてなかった喜びや楽しみを
再発見してもいいんじゃないのだろうか。
そんなことを日々生活しながら感じます。

もう通り過ぎてしまった「ハレ」を懐かしんでばかりいないで
これまでスルーしてた「ケ」の中に新しい喜びや楽しみを
ドンドン見つけるチャンスなのかもしれないですよね。
人生はなんにしろ続くんだし。

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