イトーヨーカドーのシャッター

去る今年5月、イトーヨーカドー旭川店が閉店しました。

閉店のうわさはずっと以前からささやかれ、長いことそれはただのうわさでしかなかったのですが、コロナ禍に直面し、さすがに経営者も決断せざるを得なくなったのでしょうか。9歳のころからお世話になっていた私は、その名残惜しさもひとしおで、閉店間際に外観から店内までを(わざわざレンズを新調してモチベーションを高めて)写真に撮って記録したのですが、ひとつ撮り忘れていたものがありました。

それが、このシャッターの絵。

画像1

今では汚れの筋が入ってしまって残念な感じですが、開店当時は子どもながら、なかなか粋なことをすると感じたものです(当然子どもがそんなボキャブラリーで考えたわけではないですが…)。効率だけを考えたら無地でも全然かまわないし、何よりお金もかからないわけで、そういう経済学的には「無駄」とされることにお金と手間をかける鷹揚さも時代の空気だったのかもしれませんね。

解体を免れたのは幸いでしたが、耐震補強工事し終えたこの建物にはどうやらTRIALが入るらしく、すでに壁は黒く塗られ、シャッターも一部灰色に塗り直されていました。それを見て、「この姿を残さねば!」と感じたわけです。

写真のいいところってなんだろうと、時々考えたりします。

私なりの答えは、もう直接は見られなくなってしまった思い出の物、思い出の風景を再び写真の中で見られるということ。幕末や明治の頃の日本の風景の写真に最新の技術で色をつけたものなどを見ると、失われたものの貴重さに思わず涙ぐみそうになったりもします。何かを綺麗に撮って(ときにレタッチで現実とかけ離れたものを生み出して)「どうだ!」とばかりに見せつける昨今の「画像」になど、はっきり言ってなんの食指も動きません。

とはいえ、ものぐさな私は、いよいよそれが失われるというときになって慌ててその写真を撮りに行くだけだったり、それどころか、いつか撮ろうと思っていた建物や風景が気づいたときにはすでになくなっていたりすることもしばしば。まったく、古いものの良さを理解し、なるべく保存しようと努力すらしないこの無慈悲なスクラップ&ビルドの経済のみならず、何より自分の怠惰さを呪うばかりです。

仕事や家庭のことでそれなりに社会的義務も果たしつつ、なおかつほんのわずかに残された時間で自分の好きなことをするエネルギーのある人たちも世の中にはいます。私はどうもそのような人間になれる気がしないので、いくらでも好きなことに時間をつぎ込める時代がいつか来ないかなあなどど夢想したりするのです。

生産の問題はすでに解決されていると思うし(なんせ仕事のための仕事=ブルシット・ジョブが次々と生み出される時代ですから)、その方がどう考えても面白く豊かな世界になる気がしますけどね。

ぶらぶらと気の向くままに写真が撮りたいな。

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