もういっそのこと、バケモンになりたかった
僕はいま、変われていると思う。
僕を見つけてくれて、言葉を贈ってくれて背中を押してくれた
大切な人たちのおかげ。
言葉の企画で出会った同期にもらった
たくさんの言葉で今日も生きてます。
だから、今日は感謝を伝えたくてnoteにするんです。
自分の過去と向き合って、これからと向き合います。
最後まで読んでいただけたら幸いです。
⒈後田将人(ごだまさと)とは
これまでのnoteで極力自分の話をすることを避けてきたので、これを機会に自分のこと、そして過去のことを書いてみようと思う。
後田将人とは
東京出身の関西の大学生であり、建築を専攻している2回生。
普段はフォトグラファーとして仕事をさせて頂いている。ポートレート写真を中心に、スポーツ写真やアーティスト写真、建築写真、さらには商材写真など分野を超えて挑戦している。(ポートフォリオを下に添付したのでぜひ見てみてください)
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⒉順風満帆と絶望の富士山
いま思うと後田の人生は、中学まではある意味、人生順調だった思う。
1.幼少期
親の転勤で幼少期をNZで過ごした。本場のラグビーの環境とモンテッソーリ教育を通して、物づくりが好きなラグビー少年に育った。時間さえあれば、段ボールで秘密基地を作ったり、工作したりしていた。学校では学級委員や劇の主役を務めるなど自分の好きなことを実践していた。また、ラグビーチームでは全体のキャプテンを務め、県大会3位になった。厳しい家ではあったけどどんなことでも目立っていたし、それなりの結果は残せていた。
2.中高生時代
でも、そんな時代も中学で終わりを迎えた。
人と違うこと、目立つことをすると周りに徹底的に潰された。出る杭は打たれるというのを身に持って感じた。その頃から徐々に人の目が怖くなっていた。自分の気持ちに正直になれずに押し殺すようになっていた。自分が自分でいることを否定し始めた頃だった。
高校ではラグビーで全国大会に出場するという目標を立てた。が結果は1軍に入ることすら出来ず、観客席からチーム全国ベスト8になるのを見ていた。今でも悔しい気持ちは思い出される。さらには人間関係にも大変苦しんだ。人間関係という言葉でまとめていいことではないくらいに、人を信じることが出来なくなる経験だった。信頼していた人にも親友(と僕は思っていた)にも裏切られ、自分は誰を信じて誰を信じてはいけないのか。自分の安心できるところを探したが見つからなかった。当時、家では結果を何一つ出せない自分は優秀な弟と比較され、居場所がなくなっていた。結果を何も出せなかった僕は追い込まれていた。完全に心のドアを閉ざしてしまった時だった。どこかで何も出来ない僕を受けれ入れてくれる人を欲しかったのかもしれない。でももうその頃、自分で自分を受け入れてあげられるような環境も心も持ち合わせてなかった。
何をしても空回りしている状況。もう全てが嫌になって何もかも投げ出したい状況だった。努力不足だったとも思う。受験にも失敗した。もうその頃は何をしてもダメだった。よくやめなかったなと思うくらいだ。何に対してもプライドも何もなくなってしまった。
自分が生きている意味を考える。これまでにない絶望の時期だった。
3.過渡期
その後、ボロボロながらも浪人し、やっと建築学生になれた。
大学1回生の春。自己肯定感なんぞは跡形もなくなっていた。高校の出来事を通して人間不信になり、明るい性格はすっかり人見知りになっていた。自分の過去を知る人はいないからこそ、楽しみにしている反面、不安の方が大きかった。
大学生活は、関西という自分の過去を知る人もいない、何もできることもない。全くの0のスタートだった。あの頃の僕は本当にガムシャラだった。次(就活)は絶対に負けない。後悔しない大学生活にする。あいつらには絶対に負けない。劣等感こそが僕の全ての行動の原点だった。
一般的な大学生の生活をするのが嫌だった。嫌ではない。そうした生活をしていたら、また高校の二の舞になる。将来のことを見据え、建築に関係ありそうな表現することを片っ端からやった。
デッサン、物語、写真、動画、料理、ヒッチハイク。誰もやらないことをする。何かで形にする。何者かになりたくて、何者かにならないと認めてもらえない。自分の存在意義を何かで叫んで、認めて欲しかった。そんな中で、がむしゃらに続けた先に、唯一形になったのが写真だった。
全くの0スタートから一つの技術を身に付けたことで確かに変化はあった。写真を依頼してくれる人が増えること。写真を褒めてくれる人が出てきたこと。少しづつ自分に自信が戻ってきた時ではあった。でもそんな一方で自分が何者かになりたいという思いは、依頼が増えるたびにまして行った。あの頃の口癖は「バケモンになりたい」だった。とにかく人と違うこと、誰かの特別になってすごいと言われたい。そうじゃなきゃ生きている心地がしなかった。普通では認めてくれない。もういっそのことバケモンになりたい。だからすごいと言われそうなことに挑戦して。いつも何かに追われていて、結果が出てきているはずなのに、自分を受け入れることが出来ずにしんどかった。いつも自分よりすごい人と比較して苦しめてた。
4.絶望期
そんな中でも一番も苦しんでいたのは、今年(2020年)の6、7月。
コロナ渦中であったこともあり、一人暮らしで誰とも接点がなくなってしまい、ひたすらに自分を追い込んでしまった。体育会のストイックはいらないのに。活動したいのに何も出来ない環境はさらに僕を苦しめた。焦りしかなかった。ちょうどその時に信頼していた人達にも集団で裏切られて僕は完全に孤立した。その頃は過去を思い出しては、1人でポロポロ泣いてたくらいだから、相当だったと思う。苦しかった。
そんなある日、もう限界で先輩に話を聞いてもらった。
その時にもらった言葉。
「ごだちゃんはさ、特別にならなくてももう充分に素敵な人だよ」
自然と涙がこぼれた。自分の中で必死に塗り固めていた壁が崩壊した時だった。徹底的に高く、硬くむり固めていた壁がモロモロと。
自分が大っ嫌いだった。自分なんてと自己肯定感もない。とにかく自分を否定して受け入れることが出来なかった。
そんな自分が自分を変われるかもしれないと。自分の中で何かが変わる音がしていた。心の底から変わりたいと願っていた。
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⒊変化のきっかけ
僕はいま、これまでの人生の中で1番幸せな時期を過ごしていると断言できる。
そんな自分を変えるきっかけになったことの大きな一つに言葉の企画がある。自分が貰った言葉、それはこれまで意識をむけてこなかったものであったけど。気づいたら言葉に興味を持っていた。自分も素敵な言葉を贈れる人になりたいと。もうこんな自分を変えたいと。それが僕が言葉の企画を始めたきっかけだ。
(言葉の企画には今年の6月から参加している講座で詳しくは以下のnoteを参照してください。)
大好きなこの言葉の企画も、あと残り2回に迫っている。
その言葉の企画生にこの9月、10月「変わった」とたくさん言ってもらった。みんなに気づいてもらえるくらいに変われているらしい。とても嬉しい。
でも最近までは本当に変われなかった。ダメダメだった。
6月の最初の企画。自分は自信を持って持ち込んでいた。そこそこ戦えるだろうと。結果、惨敗。全く伝わらなかった。写真だったらそんなことがなかった。自分が表現したいことを表現することと他人に評価されることにおいて自分の中でのすり合わせが出来ず、斜に構えてしまった。なかなか素直に受け入れることが出来なくなった。人見知りを発揮して、殻に籠ろうとしていた。
言葉の企画生と関わることもないまま、取り組んだ企画も選ばれることもなく、後悔して終わるんだろうなと思っていた。そんな9月。僕の中で転機が訪れた。人生を自分で掴みにいく、そんな幸せなサイクルを回すそのそっとした一押しを貰った。
たくさんの方に見つけていただいた。ごだまさとという存在を。
僕の魅力を。言葉で。文章で。背中を押してくれて。コメントくださって。ご飯連れてってくれて。zoomで話す機会を作ってくださって。たくさん僕を認めてくださって、褒めてくださって。Discordで朝まで話してくださって。
変わらないといけないと思っていて、でも変わることとかが怖くて。すぐに過去の自分に戻ろうとしていたとしていた。変わりたかったのに変われずに今回は無理だったと。諦めようとしていた。
そんな背中を押してくれた企画生に感謝したい。
僕を見つけてくださってありがとうございます。
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じゃあ何が変わったのか。
自分でも全てを言葉で説明出来ないかもしれない。いろんなことが連鎖して幸せへの道筋が開けていると思う。でも1つ言えるとしたら、それは幸せになる勇気だったのかもしれない。
これまでずっと自分が幸せになることを受け入れられなかった。僕は、いつもキラキラ輝いている人とは対照的にドロドロと劣等感と不幸を背負って生きていかないといけないと思い込んでいた。
だからこそ、僕が幸せになって良いんだと。幸せを掴みに行って良いんだと。自分が輝くことに背中を押してもらえた。本当に幸せだなとひしひしと感じた。
そこから僕は自分を幸せにしていくちょびっとの勇気を胸に挑めるようになたんだろう。小さな壁だけど一つ一つ。それを見てくれてて、褒めてくれる。だからまた頑張れる。同期のおかげで小さな幸せへの種を蒔きまくった。
いま確実にいろんな形をした幸せを収穫している最中である。
例えば、高校時代の出来事から写真に映ることがトラウマになり、大学1年生のときは自分が写っている写真が5枚しかなかった。しかもほとんどは顔がカメラで隠れてる。
そんな僕も写真に写れるようになった。
それだけではない。自己開示もできるようになった。こうしてnoteで自分のことを書けるようになった。人と違うことを受け入れられるようになった。自分を苦しめてきた団体もやめた。より成長したくてインターンに挑戦した。大切な人を大切にできるようになった。自分を大切な人と同じだけ大切にしてあげられるようになった。、、、、
まだまだこんなことで何で成長したと言えてるんだと過去の自分ならいうだろう。本当に自分に対して意地悪だよなああ。
でも今の僕は違う。気づけば小さな壁を乗り越えられたんだと思う。その小さな壁もそれを乗り越えた自分も受け入れてあげられる。
確かにまだ怖さがゼロではない。でももう良いんだ。
自分を大切にする僕を大切にしてくれるそんなラブリーな人たちに出会えたから。贈ってもらった言葉を胸に明日も生きていこうと思う。
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⒋最後に
たくさんの人のおかげで少しづつ輝けているなと思う。
だからこそ、次の一歩をまた踏み出したい。
これは企画生の星野さんのコピーで初めて見た時に衝撃が走った。痺れました。このコピーは自分に向けて書かれたと思った。僕は自分ではどうにもならない時にたくさんの人に背中を押してもらってさすってもらって、頭を撫でてもらえた。
だから次は僕の番だと。そっと大切な人の背中を押してあげたいと思う。
どんな風に背中を押してあげたら良いのかな。押さなくても隣に座っていてあげようかな。僕なりの背中の押し方を見つけていきたい。
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もちろん、自分自身も少しづつでも確実に最後の講座まで駆け抜けたい。
第一回目の自己紹介の企画で
以上のような物を提出した。
終わりは近づいている。同期がどんな言葉で形容してくれるんだろう。楽しみに変化を楽しみたい。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。