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自分の強さに気付く学生時代

昨日、投稿した記事を見てもらって、本当に感謝しています。そして、フォローありがとうございます。

前回の記事には自己紹介を入れていなかったから、ここで私の紹介を。興味ある方は、見て行って下さい。興味ない方は、次の記事を見て下さいね。

ちなみに、エッセイ風に書いていきます。


私は美歌(みか)、26歳のOL会社員。両親と兄、祖母の5人家族。現在、単身で一人暮らしをしている。

学生時代の私は、本当に心が弱かったかもしれない。でも結構粘り強く過ごしてきた。このような体験は今になると貴重だと思う。現在は、その経験があったおかげで、粘り強く努力家になったのだとつくづく感じる。あと、KinKi Kidsの音楽や言葉に何度も救われてきた。

よし、小学校~大学生までを遡ろう。

小学校は普通の女の子で、真面目に楽しく6年間過ごしてきた。地元の小学校だったから1クラスのみ。みんな仲良く、兄弟のような感覚で男女関係なく休みの日や放課後にはよく遊んだ。私は当時から、人懐っこいところもあり、先生や先輩後輩ともよく交流していた。習い事は水泳とそろばん、塾で熱心に取り組んだ。水泳は7年間通い1級、そろばんは4級・暗算3級、塾は5年生から英語と算数を勉強した。どれも、自分が好きで習っていたわけではない。水泳は幼い頃に喘息があり、親の強制で習っていたが、進級する楽しさ、友達がどんどん増えていくのが嬉しく、少しずつ楽しくなって1級まで通った。そろばんは、兄の影響で、自分もやってみたかったから通うようになったけど、2~5年生までだったと思う。塾は、英語の勉強している友達が多かったから、自分も少しでも学力を上げようとお願いしたのを覚えている。小学校の記憶は薄いが、勉強熱心だったようにも感じる。女の子の友達がどんどん引っ越して、友達が少なくなって寂しかった時代でもある。大変だった6年間でも、明るいクラスの雰囲気が蘇る。初恋は4年生、6年生のバレンタインに告白してフラれたが、恋する楽しさを知った。平和な小学校時代を送った。


中学時代は自分の黒歴史を公開。


中学校は、がらりと環境が変わり、上下関係の厳しさ、友達が居なくなる寂しさに目の当たり。中学校1年生に黒歴史の幕が開く。部活は卓球部に所属し、2つ上の先輩から強めの口調が恐怖になり、部活に行くのが嫌だった。さらに同級生に声かけても無視され、イジメに遭う。学校に行くのが怖くなり、何度も親に「行きたくない」と訴えたが、「先生に言っておくから、行きなさい」と言われ、号泣しながら毎日学校に行った。授業以外、どこも自分の居場所がない。毎日「どうしよう」ばかり。授業の移動時間や、着替える時間が何より一番の苦痛だったから、工夫して時間をずらしてなるべく女子グループには会わないように逃げていた。昼休憩は、保健室の先生のところへ行き、人間不信になっていたからメンタルケしてもらっていた。常に「どうすればいいか」考えて行動していたことを思い出す。ある日、1つ上の先輩にも1人イジメられている人が居たから、休憩時間に一緒に過ごすことが増えた。何度も”この世から居なくなりたい”気持ちが高かったが、救われてきたある音楽がある。KinKi Kidsの音楽「ノー・チューンド」。「手探りでもいい生きて行けばいいんだ」という歌詞をノートに何回も書き込んだくらい大好き。自分の中で、その歌詞の意味を深く読み取って「どんなやり方でもいいから生きていこう」という風にも聞こえていた。だから、KinKi Kidsには恩があるから、毎年ライブに観に行っている。中学校2年生から、またみんな仲良く過ごすことできたから、とても楽しかった。中学時代は急に友達がいなくなり、残酷な日を送っていたから時間がゆっくり過ぎていった記憶がある。この頃の親は味方にも見えなかった。命がけの戦場に行かされているようにも感じていたが、でも、私はこの頃の経験があったからこそ、今の自分があると思っている。「貴重な経験をさせてくれてありがとう」とも思っているし、「いつかはイジメられたあの人に見返してやる」と強気がある。


高校時代。中学校の頃にイジメられた人も同じ学校に入学したことに、とても恐怖を感じたが、その子は2年生で中退し、授かり婚した。私は高校1年から3年生まで普通科で勉強し、普通に真面目に過ごしてきた。部活は書道部と華道部を掛け持ちして、バイトするつもりだったが、書道部の先生が熱心で部活漬けに。見事、近畿大会に選抜され、県内6位の成績を収めた。ある日、先生に怒られて泣いてしまったとき、「泣くなら今日は帰ってもいい」と言われた。それを聞いたとき、「見返してやるくらい頑張る」と気持ちが熱くなり、涙を抑えて歯を食いしばって練習に励んだのを覚えている。高校卒業したときに伺うと「また字書きなよ」と微笑んで言ってくれたが、私のなかでとても嬉しかった。そこでまた、自信になったけれど、書道を大学まではやろうと気持ちにならなかったけれど、字が上手になったことには感謝している。


大学は、友人と被らないように、自分で0から友達を作って、自分で生活したいという気持ちから、隣の県の大学に進学。自分のことを誰も知らないところで勉強して、一人暮らしして、少しでも親の負担を減らすために指定校推薦で大学を選んだ。偏差値40という低レベルだが、そこでも自分が居心地のいい大学なら良い。やはり、その通りで先生や友人にも恵まれたし、楽しいキャンパスライフを送った。水泳のサークルに所属し、アルバイトも水泳のインストラクター。水の中がどれだけ好きなのか。人との交流が増えたからこそ、自己改革ができた大学時代。二十歳の誕生日に、サークルの部長からサプライズ誕生日会をしてくれた。初めてでどんな反応すれば良いのか、泣きそうだったが、とても嬉しかった。その日をきっかけに、先輩に恋をして1年。片想いだけで終わった。誕生日のお礼に、高めのボールペンをお返しして、二人で沢山話したことを覚えている。恋バナを大学の受付の人に相談したことがあり、胸に刺さったことを言われた。「あのね、恋って、待つだけでは何も始まらない。自分からもアクションしないとダメよ。急がなくてもいい。一つは自分からきっかけを作りなさい」この言葉は今でも覚えている。このことをきっかけに、失敗を恐れないことを知った。ありがたい言葉で、今でもそのことを構えて過ごしている。「やってみないと分からない。できるかもしれないし、できなかったらその時に考えよう」ということに気付かされた。”人生はチャレンジの連続”ということを。就職活動も40社受けて失敗ばかりして、落ち込んでいたときはあったけれど、自分の興味ある分野には全部エントリーしていった。最終的には、地元の企業に1社だけ内定もらったから地元に帰ることになった。正直、また地元に帰ることで、学生の頃の恐怖がフラッシュバックしそうで嫌だったけれど、とりあえず新卒で就職するには帰る選択肢しかなかった。幸い、無事に単位を全て取れて大学を卒業。大学時代に経験したことが大きく、自分の視野が広がったし、苦しみながらも楽しく過ごすことができたのかなと思った。


がむしゃらに学生時代を乗り越えて、今の自分になれた。学生時代には親に迷惑をかけるときもあったけれど、自分にはプラスしかない。失敗を恐れないこと、行動で人生は変わるということ、自分に自信をもつということ。自分の経験のなかから、これからも深いところまで掘って執筆して、みさなんの力の一つになりたい。

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