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問屋がおろさない

冷静な人って、文章書くみたいに、自分の言葉を添削しながら話しているんだろうな。

昨日、他人を言い負かそうとした自分に嫌気がさした。何度も何度も同じ失敗を繰り返していて、人を言い負かすことなんてやめようって思っているんだけど、気づいた時には手遅れ状態が、ここ五年くらい続いていている。

で、だいぶ悩んだ。自分の成長の遅さに凹んだ。
なんで、いつまで絶っても変われないんだろう。なんて、弱い人間なんだろうって頭の中でヘビーローテーション。ハゲそうな気分だった。

で、三十分くらいたってから、なんとか自分と折り合いをつけることができた。冷静に失敗した時の自分を分析し、どこがダメで、感情が動いたトリガーがなんだったのか、隅々まで自分の感情を言語化した。

言語化した後は、自分で書き綴ったnoteを見直し、「なりたい自分」の再確認をした。

その、自分のnoteを見直すとき、毎回思うんだけど、意外にいいこと言ってんだよね。noteを書いてる時はそんなことおもわないんだけど、俺にしてはいいこと言ってんだよね。

まぁ、これは単純に脳みそが作り出した言葉を書き綴ってるわけじゃないし、何度か添削してるし、「俺の言葉」っていうと少し語弊が生まれるかな。初めの書き殴ってる時は、俺の文章なんだけど、その後に周りの人間の刺激で成長した俺の能力が援護射撃してる感じだな。で、これを添削って呼んでる。

で、今日の本題。

俺でさえ、まあまあいいこと言えるようになる、添削って作業。「話うまいなぁって人」とか、「しっかり相手に伝わるように話せる人」って、頭の中でできているんだろうなってこと。

一つの言葉のチョイスにもしっかり気を使い、そこに、面白さ・悲しさ・怒りなど、感情を宿していく。

無意識的にやってる人もいるのかもしれないけど、意識してやっている人が大半なんじゃないかな。そう信じたい。

あと、この添削って能力、言葉のチョイスも大事なんだけど、状況把握も欠かせないと思うんだよね。要は、役者みたいな能力。そのドラマにあわして、本来の自分とは全くかけ離れた一人の人間になり切る力。監督の要望をしっかり理解して、合わせる。全身どっぷり浸かる。そう言った感じ。

周りを理解して、必要最低限の言葉を使う。
自己主張とかそう言った類じゃなくて、求められている発言をする。

これって、どれだけすごい人でもやってると思うんだよね。

なんて言うんだろう。本来の自分の言葉が、必要最低限で、冷静であって、状況把握できていたら、そんなん、天才じゃん。

誰にでも悩みがあるように、誰にでも無駄が多い、自己中心的な言葉が、脳味噌から浮かんできていると信じたい。

自分が掴み取った能力で添削して、相手に伝える。
文章なら、できないこともないけど、いざ会話に中で応用しようとすると、てっきりできなくなる。

鍛錬が足らないだけだと思うが、、

まぁ、今日も頑張るか。

天才なんていないと信じたい。みんなスタート地点は一緒だって。

今日も頑張って、頑張って、俺は間違ってないって言うしかないんだよねぇ。やり切ります。

2021/08/13


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