トムとジェリー
「それって限度を知れているってことだよね」って話
自分の好きなところ・自分の嫌いなところ。この世の中の人々はそれぞれの価値観の中で、自分に評価を下していると思います。
で、先に結論から言いますと、好きも嫌いも、自分の限度を知れているってことだと思います。
普通に考えればそうですよね。根拠があるから答えがあるわけで、いきなり答えにぶっ飛んだりしません。
要は、社会の中に属する自分という存在のある程度がわかっているということです。よく待ち合わせ時間に遅れてしま人だったら、自分は周りの人に比べて、時間に対し緊張感がないってわかっているんです。それを恐怖と捉えて、自分の嫌いなところとして置き換えるわけです。
でもこれ、たまに待ち合わせ時間に遅れてしまう、「時間に対して緊張感がないことを自覚できてない人よ」りマシだと思いません?何するかわからない存在より、確実に同じ回答が返ってくる人間の方が信頼度高いと思うんです。
信頼度っていうか、自分のエネルギー使わずに済むんですね。もちろん、平気で約束した時間に遅れてくる人間を好きとは言いませんが、遅れてくるってわかっていたら、不安や怒りなんて抱くことはないんです。対処できるんですから。
まぁ、今は嫌いな部分の話をしているから、こういった議論が進むんですけど、これが自分の好きな部分になると、一気に話が飛躍します。自分の好きな部分とは、自分自身ができる最高パフォーマンスを理解できているってことなんです。
経験や周りからの評価、どんな根拠があるかわかりませんが、自信というパワーを伴った限度を知ることができているんです。まぁ、こんなこと言わなくたってわかっていると思うんですけど。
でも、これが嫌いな部分になると、みんな否定的な感情を抱いてしまう。「親のせいだ」とか「あいつのせいだ」とか、誰かに責任をなすりつけて、忘れる努力とか、直す努力をする。
でもこれ、せっかく、導き出した答えをドブに捨ててることや、消しゴムで白紙にしていることと同じなんですよね。超絶もったいないことをしています。
基本を知っているということは応用が効きます。対処することもできるし、囲碁みたいに、ポジティブとポジティブで挟み込んで、ひっくり返してやればいいんです。
自分を理解することって時間がかかると思うんです。海外に留学してみたり、読書に耽ったり、さまざまなことをするんです。で、結局「私は私だ」って分かりきっていたことを口にする。
でも、そうなんです。答えはいつも自分が持っているんです。周りばかりに目を向けないで、一度下鏡の前の自分を見てみてください。
なんて言ってる私もできていないんですけどね。。
まぁ、やるべき価値はありそうです。
20210812