鬼の悪あがきで九死に一生
こんな環境に身を置きたい。
油断が許されない、結果がものを言う環境が好きだ。
2021/08/15、終戦から76年を迎えた。日本のために命をかけてくれたご先祖さま、心からご冥福お祈りいたいします。
今、私がここ、日本で安全に生活できていることに、感謝の気持ちを持ち、決して、失われた命が無駄にならないように、日々、命をかけて自らの成長に全力を投じます。
今は、そう簡単に命を失わない。最低賃金は右肩上がりになり、法律で生活も保護されている。「その日暮らしで死ぬまで生きれるんじゃねえのか」なんてこと考えたりもする。
要は、そう簡単に餓死しないってことだ。
戦時中みたいに、食べるものを規制されることもないし、戦争に駆り出されることもない。
家がなくなって、戦時中よりマシに生活できる。
で、俺たちはそんな時代に生きている。超絶安全が保障された日本で生きている。
まずはこの事実を理解する必要がある。
こんな環境に身を置きたい。
俺は幼少期からサッカーをしていた。親に連れられて6歳から街クラブに入り、そのまま高校卒業までサッカーを続けた。
で、俺のサッカー人生、常に戦場だった。
俺はテクニックがある選手ではなくて、気合いと根性でサッカーをする選手だった。だから、大事な場面でパスミスをしたり、戦術ミスをすることが常だった。
俺みたいな選手は他にもゴロゴロいたので、試合に出れるか出れないかは、いつもギリギリ。鬼の悪あがきでどうにかボーダーラインを超えてきた。
だけど、俺には自信があった。「最後には俺が出てるんだろうな」、「俺が結果残してるんだろうな」って根拠のない自信が身体中に駆け巡っていて、ある種、ウイルス(自信)に体ごと乗っ取られている、そんな状況だった。
親は俺に「ビックマウス」とか、そんな類の言葉をかけてきていたけど、最終的にはいつも実現させていた。
小学校でも、中学校でも、高校でも、一番大事な試合では必ず、俺が出場していた。
多分これは、気合いと根性とギリギリのトライアングルフォーメーションが助力してくれたんだと思う。
火事場の馬鹿力みたいなもんだ。
周りのことなんかなんにも気にしないで、ただ目的を達成するためだけに、自分が持ち合わせる全エネルギーを投入した結果、もともと持ち合わせる気合いと根性が相互作用を起こし、爆発的な力を与えてくれたんだと考えている。
理論とか、根拠なんてものどうでもよくて、俺はこう信じている。
俺が一番実力を出せる場所は戦場だ。
生死をかけた戦場だ。
先輩にガツガツ結果を求められて、俺の代えなんていくらでもいて、俺の必要性なんでそこまでない、そんな環境に身を置きたい。
俺はそこで初めて俺になる。
メンタル弱いけど、悩むけど、絶対に立ち上がる。
ゾクゾクするような、そんな環境を求めなければ。
先人たちが残してくださった、この安全な日本だからこそ、自分のために時間を与えることができる。
強制されることのないこの日本。やるしかねぇ。
それが先人たちへの花向けだ。
さぁ、やるぞ。
2021/08/16