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刺激刺激刺激


私は、自由な人生を歩みたい。誰に縛られることもなく、何不自由なく、そんな生活を送りたい。

私は、何かに縛られていたい。自分の役割がはっきり決められていて、毎日同じことをして、考える時間がほとんどないような、そんな生活を送りたい。

これ、両極端な二つの生活だが、どちらも私が望んでいることである。

私は、高校を卒業すると同時に、5歳から始めたサッカーをやめた。13年間という長い年月に終止符を打ったわけだが、理由は単純明快で、「解放」だった。長く束縛されていたサッカーから解き放たれることで、「自由」を手にしたかった。事実だ。

大学に入ると同時に、これまででは考えられないような、「自由」を手にしたわけだ。そして、お望み通りの生活を送った。毎日友達と会って、酒を飲んで、ギャンブルをして、「若いうちは遊んでおけ」って言葉を盾にして、親ともぶつかりながら、そんな生活を堪能した。

で、半年くらい経つと、突如として飽きが来た。どれだけ友達と遊んでいても満足感は得られず、少し前の自分のことを疑ってしまうくらい、心境に変化が起きていた。

そこから、導かれるようにイベント団体を立ち上げ、第一回のイベントでは総勢300人を動員した。とても楽しく、久しぶりの充実感に体も満足を覚えてくれて、「よし!このまま突っ走ってやろう」って考えるようになっていた。

だけど、現実はそう甘くなくて、次のイベントでは集客に散々失敗して、コロナウイルスに追い討ちをかけれれて、もう、どうしようもないくらいに、どん底まで追いやられた。俺を慕ってくれている仲間たちにも愚痴を吐くようになっていたし、眠れない夜が続くようになっていた。

「こんなんなら、イベント団体なんて立ち上げなければよかった」って本気で思っていた。

で、気づくと自分で自分を束縛していた。サッカー部の監督みたいに、自分にメニューを与えて、サッカー部員みたいに動いていた。この時に気が付いた。自分に役割があることの安心感。正解がある問題で、答えもある程度わかっていて、やればやるだけ結果が出る。そんな筋トレみたいな生活に慣れすぎていた。

しかし、慣れすぎていることも悪くない。コンスタントに結果を出し続けることができるし、体育会系の集団に入ると、間違いなくトップになれるポジションどりをできる。

条件付きなら、秀才になれるってわけだ。でも、俺も人間なんで、欲望はある。自由な人生を歩みたい。誰に縛られることもなく、何不自由なく、そんな生活を送りたい。

この欲望が、時々頭に浮かぶ。いや、今は意識的に考えようとしている。「こんな自分で満足していてはダメだ」「井の中の蛙の中のままじゃダメだ」って。そして、そんな、本来の自分とはかけ離れた自分を演じるわけだ。体的には超絶ストレスを感じるそんな自分を演じているんだから、もちろん、体には異常が生じる。

自問自答を繰り返したり、ちょっと鬱に近い現象に入る。

最近はこの現象を当たり前と捉えれるようになってきたが、初めの方は、すこぶる苦しんだ。聳え立つ壁が空まで突き抜けていて、到底越えれるもんじゃないって思っていた。

正解なんてわからないけど、「人生は筋トレだ」っている自分なりの理論からすれば、今、ストレスを感じている自分は確実に成長している。昨日よりも数段上に行っている。自分を俯瞰的に見ることはできないから、どれだけ成長しているかなんてわからないけど、信じている。

初めに言った二つの欲望はどちらも本心だ。

だけど、ストレスがかかる、自由を掴み取るそんな生活を掴み取りに必要があるって腹を括った。今までの自分を武器として捉え、ネガティブ要素を全て排除して前に進む必要がある。

弱音を吐いても、愚痴をこぼしても何も起こらない。

さぁ、今日も頑張ろう!雲みたいな夢を掴んでやろう。

20210812

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