保護司への逆恨み
保護司への逆恨みと日本の現状――アメリカの事例を踏まえて考える
保護司は、日本の更生保護制度において欠かせない存在であり、地域社会に根ざした立場から仮釈放者や保護観察中の対象者(以下「対象者」と呼ぶ)の指導・支援を担う重要な役割を果たしている。保護司は無償のボランティアでありながら、法務大臣から非常勤国家公務員として委嘱されるという性質を持つため、一定の権限と責任を伴う。一方で、こうした立場が逆恨み(対象者やその関係者からの敵意や報復)を受けるリスクを孕んでいることも事実である。日本では保護司への暴力や嫌がらせが現実に起こっており、地域社会の中で誠実に活動しつつも、身の安全をどのように確保すべきかという課題に直面している。本稿では、保護司がどのような業務を行い、どのような形で逆恨みが生じるのか、さらにアメリカの事例を参照しながら、今後の対策や日本で求められる支援のあり方を考察する。
1.保護司とは何か
1-1.保護司の役割と業務
日本の更生保護制度は、刑事司法手続を経て社会復帰を認められた仮釈放者や保護観察処分を受けた者に対し、社会の一員として再スタートする機会を与えつつ、再犯を防ぐための指導・監督を行う仕組みである。そのうち、保護観察官(国家公務員)と連携しながら、地域レベルで直接的に対象者を支えるのが「保護司」である。保護司は、法務省からの委嘱を受けた非常勤の国家公務員であると同時に、無償で活動するボランティアでもある。
主な業務内容としては、対象者との面接や家庭訪問、生活状況の把握と相談、必要に応じた援助(就労先の紹介、医療・福祉サービスの利用サポートなど)が挙げられる。さらに、保護観察官が法的拘束力を伴う「指示事項」を出した場合には、保護司が対象者との橋渡し役となり、適切な対応を促す。保護観察の成否は、社会復帰後の対象者の更生だけでなく、地域社会の安全にも大きく影響するため、保護司の活動は非常に重要である。
1-2.ボランティアとしての特殊性
保護司は、あくまで地域住民としての側面を持ちながら、公的権限の一端を担うという特殊な立場に置かれている。通常のボランティア活動とは異なり、国家からの委嘱状を受けた公式の業務であるため、対象者にとっては「監督者」という存在感が大きい。その一方で、保護司はあくまで地域社会の一員であり、その所在や生活拠点は対象者と近いことが多い。こうした状況が、保護司の活動を円滑にし、対象者と信頼関係を構築しやすくする一方で、逆恨みや嫌がらせ、暴力のリスクを高める要因にもなり得る。
2.逆恨みが生じる背景
2-1.対象者との距離感
保護司は地域ボランティアであるがゆえに、対象者の自宅や職場が近隣に存在する場合も多い。また、保護司本人が長年地域に住んでおり、周囲からは顔馴染みとして見られるため、対象者側も保護司のプライベートな側面をある程度把握しやすい。加えて、保護司の仕事は、対象者の更生を助けるための相談だけでなく、保護観察官との連携の中で「報告」や「監督」の役割も担う。対象者が違反行為を繰り返すなどの問題を起こした際には、保護司がその事実を保護観察所へ伝え、最悪の場合、刑事施設に逆戻りするケースもあり得る。このように、保護司は支援者でありながら、ある種の“監視者”としての役割も併せ持っている。
結果的に、対象者が保護司に対して「自分が刑務所へ戻る原因を作った」「就労や住居の手配など、十分な支援をしてくれなかった」などと感じると、逆恨みや敵意を抱くことがある。特に、社会復帰後の生活基盤が脆弱なままの対象者にとって、些細なトラブルや思い通りにならない出来事が起こるたびに、「保護司が自分を不当に扱った」と疑念を抱きやすくなる。これは保護司の活動がどうしても持つ監督的性質と、対象者の生活苦や精神的不安定さが相互に作用する結果とも言える。
2-2.暴力・嫌がらせの具体例
保護司に対する逆恨みの典型的な形としては、「直接的な暴力」「自宅や勤務先への押しかけ」「嫌がらせの電話・手紙」「SNS上での誹謗中傷」が挙げられる。特に、高齢の保護司や女性保護司の中には、突然の訪問や深夜の電話に恐怖を覚えるケースもある。また、地域社会の中で顔の広い保護司が標的になると、周辺住民や家族への風評被害にまで発展するおそれがあり、個人の問題では済まされなくなる。こうした状況が頻発すると、保護司の担い手不足やモチベーションの低下につながり、ひいては更生保護制度全体の存立を揺るがしかねない。
3.アメリカの事例に見る保護観察官と逆恨み問題
3-1.アメリカの保護観察官の実態
アメリカにも「Probation Officer(保護観察官)」や「Parole Officer(仮釈放者担当官)」という制度が存在する。ただし、アメリカの場合、これらの職種は正規雇用の公務員であり、給与が支払われる点が日本の保護司とは異なる。また、裁判所や州矯正局のもとで権限を持ち、対象者が保護観察条件に違反した場合には、即座に逮捕状を請求するなど、より強力な権限が与えられている。
こうした公権力の行使が可能な一方で、アメリカでも保護観察官は対象者とのトラブルに直面しやすく、逆恨みや報復行為のリスクと常に隣り合わせにある。中には凶器を用いた暴行を受けたり、自宅へ押し掛けられたりする被害も報告されている。このため、保護観察官は職務上のリスクを軽減するために、防護具の携帯や複数人での家庭訪問など、さまざまな安全策を講じることが一般的だ。
3-2.安全対策とメンタルヘルス支援
アメリカにおいては、保護観察官が公的機関に雇用されているため、勤務先が彼らの安全確保をある程度責任を持って行う体制が整えられている。具体的には、以下のような対策がとられている例がある。
警察との連携強化
保護観察官は、危険な対象者に対して訪問するとき、事前に警察に通知したり、同行を要請したりできる。緊急時には警察へ通報しやすい体制が整備されている。職務用車両・警備システム
州や自治体によっては、保護観察官が専用の車両を使用し、GPSで位置を把握できるようにするなどの手段をとっている。車両やオフィスに防犯カメラを設置し、対象者との面会や外出時の行動をモニタリングするケースもある。メンタルヘルスケア
保護観察官は、対象者の深刻な問題(薬物依存、精神疾患、ギャング組織の一員など)に直接向き合うため、ストレスの蓄積や燃え尽き症候群などのリスクが高い。このため、定期的なカウンセリングや心理的サポートが実施されている。また、報復の恐れなどによる心理的負担を軽減するため、上司や同僚との情報共有の仕組みが整っている。
これらの対策によって逆恨みによる事件がゼロになるわけではないが、公務員としての扱いを受けているため、一定の保護を得られる点が日本の保護司との大きな差異と言える。
4.日本における課題と現状
4-1.保護司の「無償ボランティア」という実情
日本の保護司は、基本的にボランティアであり、活動に対する報酬はほとんど支給されない。わずかな費用弁償はあるものの、保護司個人が安全対策のために費用をかけるには限界がある。自家用車で家庭訪問を行う場合においても、交通費や燃料費は自己負担が大半を占めるケースが多い。
また、保護司の多くが高齢者である実態も指摘されている。近年、若い世代の担い手不足が深刻化しており、その結果、身体的にも防護手段を講じづらい高齢の保護司が残され、逆恨みリスクに直面する可能性が高まっている。さらに、ターゲットにされやすいという心理的負担から、辞退や任期途中での辞職が増えれば、地域の更生保護体制そのものが脆弱化する。
4-2.個人情報保護の難しさ
保護司は、対象者との面談や訪問において必然的に自宅の場所や連絡先を知られてしまうことがある。特に、地域社会が狭い地方ほど互いの生活エリアが重なりやすく、対象者にとっては保護司の情報を把握することが容易だ。一方で、保護司は刑事施設や保護観察所のように警備員や警察官が常駐しているわけではないため、何らかのトラブルが起きた際には即時対応が難しい。結果的に、保護司が自宅に押しかけられたり、家族が巻き込まれるなどのリスクが生じてしまう。
さらに、インターネットやSNSが普及した現代では、保護司やその家族の個人情報が拡散される危険性も否めない。対象者やその関係者が保護司の写真や住所、家族の情報をSNSに投稿し、誹謗中傷を煽るケースも想定される。日本ではまだそれほど顕在化していないかもしれないが、逆恨みの表出形態が多様化している以上、早めの対策が求められている。
4-3.公的支援体制の脆弱性
アメリカの保護観察官と違い、日本の保護司は無償かつ兼業ボランティアであるため、所属する組織は「保護司会」という地域ごとの任意団体となる。保護司会は、保護観察所との連携や情報共有を行いつつ、保護司同士の研修や協力を促す場でもある。しかし、そこに公的な安全対策の整備や護身用具の配布、家族を含めた保護が充実しているわけではない。
保護観察所や法務省自体も、保護司の安全を守るための防犯設備を直接提供したり、警備会社との契約を斡旋したりする仕組みはほとんど整備されていない。その結果、現場レベルでの自主的な工夫に委ねられており、地域差や個々の保護司の資金的・人的リソースによって安全対策の格差が生まれやすい。
5.逆恨みへの対策と今後の方向性
5-1.警察や自治体との連携強化
まず考えられるのは、逆恨みによる嫌がらせや暴力に対して、迅速かつ適切に対応できるよう、警察との協力体制を強化することである。例えば、危険性の高い対象者や精神的に不安定な対象者と面談する場合には、事前に警察へ連絡する仕組みをつくることが必要かもしれない。自治体レベルで保護司の活動に理解を深め、防犯カメラの設置補助や自宅周辺のパトロール強化など、具体的な支援策を検討することも有効だろう。
5-2.個人情報保護とオンライン対応
保護司の住所や連絡先が対象者に知られるリスクを減らすため、オンライン面談の活用や面談場所の工夫が必要となる。新型コロナウイルス感染症の流行を契機に、行政や企業ではオンライン会議が広く普及した。保護観察の世界でも、一定の要件下でオンラインによる面接指導を導入することが検討されている。オンラインツールを活用すれば、物理的な接触を減らし、保護司が自宅ではなく公共施設など安全が確保される場所から面談を行うことが可能となる。
一方で、オンライン化は「人間関係の構築が難しくなる」というデメリットも指摘される。対象者の顔色や雰囲気から生活状況やメンタルを察する能力は、保護司に求められる大きなスキルだが、画面越しだと細かな所が把握しづらい。したがって、オンラインと対面を併用したハイブリッド方式を導入し、対象者の事情やリスクレベルに応じた柔軟な運用を図ることが望ましい。
5-3.研修・マニュアルの充実
保護司が逆恨みに直面したときの対処方法や、普段からどのように身を守るかといった具体的マニュアルを整備することも急務である。特に、保護司の多くは高齢であり、自分の身や家族を守るための防犯意識や具体的なスキルを、改めて習得できる場が求められる。地域によっては、警察やセキュリティ専門家を招いて研修を行い、防犯グッズ(防犯ベルや簡易カメラなど)の活用方法を紹介する事例もある。
また、対象者の心理や精神疾患、薬物依存などに関する専門知識を学ぶ研修も欠かせない。対象者の行動パターンや怒りのきっかけを理解していれば、トラブルの早期察知や予防に役立つ。このように、幅広い研修プログラムを保護司会や法務省が主体的に企画し、保護司間で共有することが重要となる。
5-4.相談・支援体制の確立
逆恨みによる被害や不安に直面した保護司が、気軽に相談できる窓口を設置することも検討すべきである。例えば、保護司同士で情報共有を行うだけでなく、法務省や保護観察所、自治体の社会福祉担当部署、警察の生活安全課などと連携し、包括的な相談ネットワークを構築する。カウンセリングやメンタルヘルス支援の充実も欠かせない。アメリカの例に倣い、保護観察官が専門のカウンセラーと定期面談する仕組みがあるように、日本の保護司にも同様の支援を提供できれば、安心感を高め、長期的な活動継続につながる。
5-5.処遇の質の向上と再犯防止
最終的には、保護司と対象者の良好な関係構築こそが逆恨みリスクを下げる最も効果的な手段である。十分な就労支援や生活支援、精神的サポートを得られなかった対象者は、社会復帰がうまくいかないフラストレーションを保護司にぶつけてしまうことがある。逆に、必要なサポートを着実に受け、更生プロセスが前向きに進んでいれば、保護司を恨む理由がそもそも生じにくい。
そのために、保護司が孤軍奮闘するのではなく、保護観察官や地域のNPO、医療機関、福祉サービス、企業など多様な支援先を活用できるネットワーク体制を強化する必要がある。アメリカでも、保護観察官だけでなく、ソーシャルワーカーやコミュニティリソースと連携することで、対象者の社会復帰をより円滑にしている。日本でも同様に、官民一体となった総合的な支援が拡充すれば、逆恨みの芽を事前に摘むことが期待される。
6.結論
日本の保護司制度は、地域社会の中で対象者を支えるという点で大きな意義を持っている。無償ボランティアという形態でありながら、更生保護の最前線で活動する保護司の存在なしには、多くの仮釈放者や保護観察中の人々を適切に指導・支援することは難しい。ところが、保護司はその立場上、対象者からの逆恨みや報復行為のリスクにさらされており、アメリカの保護観察官のような公的な安全保証や組織的な支援体制が十分に整っているとは言いがたい。
保護司の高齢化や担い手不足が懸念される中で、逆恨みによる被害は制度全体の基盤を揺るがす深刻な問題となり得る。アメリカの事例を見ると、公務員として扱われる保護観察官にはさまざまな安全対策やメンタルヘルス支援が講じられており、日本もその点を参考にする余地は大きい。
具体的には、警察や自治体との連携強化、オンライン面談などによる個人情報保護、保護司向けの防犯研修・マニュアル整備、メンタルヘルス支援や相談体制の確立、そして再犯防止や社会復帰を支える官民連携の充実といった多角的な施策が求められる。これらの取り組みを進めることで、保護司が安心して活動できる環境を整え、ひいては対象者の更生と地域社会の安全を確保する道筋を作ることが急務であろう。
保護司は、決して「厳しく監視する人」ではなく、同じ地域に暮らす“伴走者”として、対象者が自立して生きていく道を共に探る存在である。本来ならば、逆恨みが生じることなく、人と人とが支え合う理想的な関係が築かれるべきだ。しかし、社会復帰の途上で混乱や不満を抱えやすい対象者にとっては、保護司の監督的側面が強く意識され、時に敵意の矛先になってしまう現実がある。だからこそ、制度設計上の不備や社会資源の不足を補い、保護司に過度な負担が集中しないようにすることが欠かせない。今後、保護司や法務省、地域社会、警察、自治体、NPO、企業など、さまざまな主体が協力し合い、安全対策と支援の質を向上させていくことこそが、逆恨みのリスクを軽減する最善の道といえるだろう。