見出し画像

文章を書くことに萎えてきた

 note を書き続けて 100 日以上が経過したが、今の文章のセンスには自分でもがっかりしている。いつも闇雲に書いているとはいえ、目的を失った気がしてきた。

 最初は連続投稿を目指していた。そのうち自分のルーティーンにも日記が入り込んだところで、日記ってなんだろうと思い始めた。

 僕は数分前に考えていたことを覚えていない。だから、大切な言葉や態度にあったときは、迷わずメモしたり復唱して記憶している。日記は一日の総まとめであり、当時の僕の痕跡となっている。

 食べたり寝たりするのを軸にして毎日生きているが、自身は大したことをしていないのかな、と振り返りながら思う。また、誰もが経験する事柄を誇張して受けを狙う態度、書くのは面倒くさいけど誰かに読んでほしい承認欲求の塊で消えたくなる。

 これらの感情は本を読んでいる時に起こりやすい。他の人は真面目に構成を考えて、目的を明確にして、丁寧な言葉を紡ぐ。それなのにこの源泉かけ流し文章はどういったものか。まさに不純物であり、note を玉石混交のメディアにしてしまう張本人になってしまった。

 いっそ、「石」は消えたほうがいいだろうか。余計なネットリソースを消費せずに済むし、運営さんには迷惑がかからないし、自分もこの煩悩の時間を消すことができる。

 石から玉になろうとも、丁寧に磨けない。なので、棘のある文章を書いて誰かの寄生虫になることでその場しのぎをしている。一人では生きていけない、弱虫。

 「話せばわかる」「問答無用」。

 僕はついにネットでも言葉を話せなくなった。意思疎通ができない人は迷惑だ。気分を害さないように恐る恐る生きていくゴミのようだ。

 だが、素直に「やめます」と言えない。ブラック企業にいるような何故の拘束感があって、やめてしまったら不利益しかない気がする。もはやブラック企業もなにかの建前だ。

---

 これからも note は書く。なぜなら自己紹介で説明した、次の事項をやり遂げていないからだ。

……。簡単に言えば、書きやすい記事ばかりなので、独特の視点や思考には至らないかもしれませんが、これから社会に出るための最低限の文章執筆能力を身につけるのが、ここで書いている一番の理由です。基礎ができないと、人は「こいつはダメだな」と感じると思うのです ( 第 1 印象ならもっとも )。逆に言えば、文章を書くことは「苦手」です。克服するために書いています。……

イントロデュース マイセルフ (自分語り)
https://note.com/gcus/n/nc4f0d4251836

 このままでは社会には出られない。もっともっと文章を書いて技術をゲットしなければならない。自分で言ってしまったのだから仕方がない。闇雲でも、やり続ける。