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センター国語は読解力を問うのが大半だ

 センター型の国語の試験は、読解力が求められる問題が非常に多い。つまり、答えは文章の中にあることが大半である。しかし、受験者の平均点を見ても六割程度で推移している。問題が解けないということは、きちんと読み取れなかったことを指すから、このことからもただ抜粋するだけでは解答にならないのがわかる。もちろん、テストの意義に反するからだ。

 センターは、その名の通り大学の門を叩くための第一段階である。大学が求める能力と、自分の能力のミスマッチを防ぐためにも実力の数値化は欠かせない。差別をするにはやや難解な問いを創る必要があり、これによって受験者の一部の賢い学生を抽出できるというわけだ。国語の問題でいえば、少量含まれる漢字や語句の知識問題も差別をはかるための出題だろう。

 しかし、ただ被験者の点数に差をつけるなら、漢検 1 級レベルの漢字だけ出せばいいと思うが、なぜ知識より読解力、リーディングスキルを重視する傾向にあるのだろうか。自分なりに考えてみた。

 まず、文章を「読解」、読み解くという行為は、機械を分解するような、食べ物を咀嚼するようなのと同類であろう。紙や鉄、有機物をどんどん細かくしていけば最終的に原子級の話にまで持ち込める。だから、「噛み砕く」行動は物事の本質を知るということなのだ。

 けれども、本質を知って何になるのか?なにか普段の生活にメリットはあるのか?将来使わないから学ばない、は駄目なのはわかるけど、その理由を考えたことはあるだろうか。

 僕が大切にしているのは、好奇心だ。我々若者は、社会を今よりも成長させるという課題を命じられている。成長は、能力の限界突破といっていいから、それを実行するにあたって好奇心は重要な鍵となるのだ。

 質問を変えよう。では、基礎を学ぶ利点とは何だろうか?

 基礎は、英語でいえば base だ。野球でもバッターボックスが原点だし、大掛かりな登山でベースキャンプをすることがあると思う。勾配が急なら麓も狭い。急な山は登りづらいから、平らなスペースは多くとっておきたい。

 もちろん、上に積みやすくするためだ。将来を人生と共に考えても、受け皿は広いに越したことはない。

 違った利点もある。陽子の数によって原子、物質が異なるように、粒と粒を組み合わせると、新たな「粒」を生み出せるのだ。新発明こそ、経済発展において重要な役割を果たすのではないか。

 話が逸れたが、読解力が重要視されているのは、受験者の理解度を知るためだけでなく、自分の考えをさらに深くするのに大切だからである。これこそ、センター型の問題がほのめかし隠された出題意図ではなかろうか。