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書物に隠された文字

 書き物は時間がかかる。今見えるのはこの短い文章だけだが、これを書くにあたっても思考する過程がある。特に専門的な分野ではソースを明確にするために文献にあたる必要があり、本気で取り組まないと骨が折れる作業だ。

 他の書物にあたらずに文章を書く方法は、自分で世界を構築するくらいしかないだろう。つまり小説だ。自分から切り離した物体や人物を操り人形のように動かせる。まさに支配欲の塊だ。この人達のドラマで読者を感動させるのは芸人の仕業である。

 ただし、世界とはあいまいな言葉なので自分でそれを設定するのは難しいだろう。有名どころだと人種、言語、風土などが挙げられるが、これもまた細かすぎるカテゴリのひとつなのだ。文化を雑に決めると辻褄合わせが小説の意義になってしまう。そんな窮屈な物語は書くのも読むのも辛いからできるだけ避けたい。

 この問題を解決するには、隠された軸を作成する必要がある。テーマだ。何か目的を持って行動するための、根本的な理由を添えるのだ。例えば、地面を歩くにはある程度の重力がかかっていなければならない。ファンタジーで空を飛べるにしても、問題解決のためにズルができる、チートにならないような工夫を施しておきたい。それを逆手に取った小説があるが、個人の所感だとそれが大量生産されてしまい面白みが減ってしまった気がする。

 純文学とライトノベルの違いは、文章の巧みさと設定の面白さの割合だと思う。ベストセラーとか人気である小説はやはり読者を喜ばせるのが上手い。綺麗な言語表現、こんな言い回しがあるのかと驚きの連続。

 一方ライトノベルはタグ付けがしやすい。異世界転生、日常、戦闘といった世界観と、主人公の特殊能力、サブキャラの属性(性別、年齢、身分等)などの人物設定のオーダーメイドだ。これは本能に近いのかもしれない。自分が好きな設定がある小説なほど読者は面白いと感じる。似たような設定は、一つの小説の枝分かれのように無数に存在する。

 それにしても、よく一つのことについてたくさん書けるなあと思う。とてもニッチな部分について、何万字も語れる人はすごい。それほど愛があって、魅力的なのだろう。

 これほどよく考えられたことが集約されている本を読まずにはいられない。読めば読むほど賢くなる。そして、また別の人に楽しみを伝えてあげて連鎖が続く。