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後輩よ、楽しめ

 後輩が部活の大会へと飛び立ったらしい。頑張って、と言おうとしたけど、ここであえて楽しんで、と言った。楽しむのが第一と考えたからだ。製作者が楽しくてはじめて、見る側も楽しいと思えるのではないか。

 放送というのはかなり特殊な部活だ。大会に行くといっても、番組は当日つくるわけではない。何ヶ月も前から制作していたものを、ただ DVD にして会場で再生するだけだ。それなら、ただ DVD を郵送というか、ネットで送ればいい話だ。

 でも、それは違うのだ。放送の大会で大事なのは、他の高校の番組を見ることだ。上手い高校というのがある。強豪校といわれていて、作りが丁寧。そこからリバースエンジニアリングではないが、逆算してどういった計画からはじめたのかを推測する。

 また、大会というと必ずといっていいほど順位がつく。番組をつくったみんな、頑張ったから全部優勝というわけにはいかない。ちゃんと地区、県、全国といった段階があって、審査員に見向きもされない作品は都度蹴落とされるのだ。

 僕の高校は、昔は全国常連だったらしい。僕のちょっと前から県止まりになったらしいが、その責任は自分にもある気がする。チームワークが足りない。

 でも、後輩ならやってくれるだろう。自分のつくりたいものをつくる、と以前に言っていた。これは大切なことだ。

 嫌で作った作品は、作品自身が「嫌です」と言っている。製作者の嫌味とか、愚痴といった負の感情が視聴者の目の前で無限に拡散する。記録というのは恐ろしい。残酷なシーンをいつなんどき見られるのだから。

 また、後輩が言っていたことは、必ずしも「全国宣言」ではない。僕は全国に行ってほしいと思っているが、彼女らはそうでもないらしい。一般にウケる作品よりも、誰か一人の胸に刺さるような作品をつくりたいのだろう。後輩は良い判断をした。

 僕は自信がない。勉強するにしても、ゲームをするにしても、いつも失敗する。チームプレイではいつも足を引っ張り、影で嫌味を言われているだろう。そんな放たれた言葉が僕に吸収されて、吐息とともに教室に吐き出される。ますます僕を嫌う人が出てくる。自己嫌悪ってこういうものだと思う。

 素直になれない。天邪鬼っていうのかな、言いたいことの逆をつく。言葉を濁したり、さりげなく質問を避けたりもする。本当の自分というのがわからなくなって、もう真の僕は刑務所の檻の中で俯いているんだと思う。もちろん、無期懲役。

 嘘で固めた人間など、信じたい人はいない。何をしてもつまらないし、発言も寒い。何かちょっかいをかけてもすぐキレるし、何を考えているのかわからない。霊にとりつかれるなど、宗教的に証明された事例を除くと、僕の体は科学的にどう証明されるのだろうか。技術が進歩したら、こういったニッチ市場も潤うのかな。

 話はだいぶそれたけど、頑張れ、楽しめ、後輩。引退したおじさんはいつでも応援しているぞ。