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長袖の服

 アピールが苦手だから、いつも何かに覆いかぶさりたくなる。布団に入り、枕を抱きしめたら完成。周りから見ると僕が存在していないから、相手も緊張しないし、自分も欲求が満たされて押しつぶされた顔を緩ませる。

 秋はどこへ行ったのか、北海道では今日の朝は 10 度を下回ったそうだ。父からこの事を聞いた僕はコーヒーを飲んだあとタンスを開け、半年ぶりに長袖の服を取り出した。少し手首が見えてしまうが、そのことより上半身が暖かくなるのを感じた。体のラインや体毛が気になるお年頃なので、外から見ると整備した、綺麗に処理したのだなと感じるだろう。あるものをなくしたのだ。デフォルメというものだ。

 必要なものだけ描いて、あとはオプション。絵とはそういうものだ。人間美を描写したいなら毛も陰部も必要かもしれないが、普通は生殖に関わる場所は下着で隠されているし、そもそも服を着ているのが普通だろう。その人にとっては必要ない。

 でも、隠されたものには好奇心がはたらくことがある。ふだん手を隠す人は少ないが、もし手が綺麗だときっと全身が美しいのではないかと錯覚してしまう。

 このような人は夢を見ている。隠している人の努力も知らず、表面だけで評価するいわばハエだ。人がつくったものに這い寄り、とりあえずかぶりついて、不味かったらそれで放置して逃げ、美味かったら心ゆくまで蝕む。自己中心的だし、恋を感じていたとしても、それは体に恋しているのではないか。

 恋をしたことがない野郎の独り言を聞いてほしい。

 パートナーとは以心伝心だと思う。相手の意思を明瞭に理解できて、特段の配慮をする必要がない状態のことだ。だから、パートナーは体のみならず心もリンクさせる必要がある。

 恋をしたことはないが、実は僕は長袖の服に恋をしているかもしれない。定義したパートナーの条件に当てはまる(相手が人であるとは言及していない) 。学校の授業も集中できるだろうし、習い事のピアノも上手くいくだろう。自分に自信がついた気がした。