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y = ax + b

 傾きは人に不安を与える。y=ax+b のグラフは中学校で習ったが、とくに文系脳の方はなぜ棒を横に傾けるのか?真っ直ぐでいいんじゃない?と思った人がいると思う。a の値が大きくなるほど線が垂直に近づいていくが、それは坂と同じくそんなところを見たくも歩きたくもないからだ。

 行く先が見えないと不安になる。もうすぐ黄昏時というのに家が遠い、暗くなる前に帰らねばと慌てたくもなり、もし家と学校がゼロ距離だったら、寝坊しても間に合うのにと感じる。人の不安さ≒ストレスをグラフにしてみると、場面転換時 ( 例えば、家から学校に行く時 ) に高まると思う。人は、常に安定した場所に留まろうとする。

 安定した場所とは平らな部分が多い土地のことを指す。関数にすると y=a 。y 座標は標高で、海沿いに住んでいるなら a は一桁だろう。この時、変数は y の一つのみ ( a は定数 ) だから、y=ax より安定していると言える。しかし、その分、いくら後ろに下がっても前に進んでも、無限にもっていっても答えは a だ。人類の目標である「成長」のひとことも見当たらない結果が y=a なのだ。


 勇気を持った人が y=x に変更しようと提案した。a はいつまでたっても a だから、と彼は言った。今度は「標高」と「やる気」を軸にとろう、つまり登山だ。人類は高みを目指して山に調査隊を送り、綿密な計画を立てて、そして博識のある学者と医師を連れて高山に挑戦したのだ。不安はプラン立てで消滅し、未知の挑戦に憧れて興奮と勇気が代わって溢れ出てきた。

 「隊長、この山というのはどこがてっぺんでしょうか?」「さあ、もう少しじゃないかな」

 ストレス曲線も下に凸、前に進むほど一定区間で微分して出た傾きが大きくなる。やる気とイライラの関数の共有点は何個あるだろうか。不安と安堵を繰り返しながら、何次関数かも分からないグラフをなぞり続ける。

 ついにその時が来た。x の範囲 ( a≦x≦b ) を左から右へ完歩したのだ!標高の極大値 b まで辿り着いた一行は泣きながらその栄光に喜び、抱擁し合った。

「次は傾きをもっと大きくして、x の範囲も a≦x≦c ( b<c ) にしようね」

 一同はそう誓った。

 今度は y = a から始める必要はないのかもしれない。キャンプをすれば a<d の位置から再開できる。たとえ攻略する山が変わってもデータを収集すれば、登山の難易度は条件の区間で積分すれば何となくは分かるはずだ。人々は希望に溢れる余生を過ごした。


 さて、人の人生を関数に表すとどうなるだろうか。一人ひとり、y=f(x) は異なる。人によって 点 p を通る指示が出されるのかもしれない。人生は、ワクワクで満ちている。