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誰のために活動するのか

 「私は、私が好きな作品を作るので。」
 引退間際に後輩が言ってくれた言葉だ。

 コンテストに出す作品は、誰のために、何を目的に制作すればよいだろうか。優秀な成績をとりたいのなら、強豪の過去作を研究して、その結果を自分たちの作品に取り込んでやればよい。ここで頷いた人に質問なのだが、それは楽しいですか。何か、胸の奥にある気持ちを押し殺していませんか。

正解はひとつ!じゃない!!

 この世界には「流行」というものがある。その消えたり現れたりする流れの共通項を発見し、体系化したものを「王道」と呼ぶと思っている。これを基礎土台として作品を創るなら、「王道でかつトレンドを取り入れて、仕上げに一捻り」すれば有利だと思うだろうし、実際にこのような作品を制作する学校も多い。審査員の心に残りさえすれば上位入賞も目の前だ。
 しかし、一風変わった作品が、たとえ入賞しなくても評価されたり、強く自分に衝撃を与えたりすることもある。

 高校の放送界隈でネタにされ続けている作品がある。某高校の創作ドラマが、上位に食い込まなかったものの皆に大ウケしたのだ。内容は他の学校とあまり変わらない ( 全体的に作風が独特なのは放送界隈すべてに言えることだ ) だったが、なんとエンディングを歌付きで流したのだ。これは通常ありえないことで、一般的には本編にギリギリまで時間を割くのに。皆王道的で、流行を取り入れた ( +オリジナル要素 ) 作品だったのに、あの高校はやりやがった。空気を読まない、いや、壊したのだ。幸いに、内容がコメディーだったため誰も憎むことはできなかった。かと言って、これを真似て変な方向に凝りすぎても見ている側が萎えてしまうこともある。ストライクゾーンを狙えと言っているわけではない。そもそも、ストライクゾーンがあるかどうかすら分からないのだ。

我が流をゆく

 話を戻そう。

 後輩は変人だ。絶対売れていないような味のお菓子を局室に持ってくるし、付き合いのない人にもぐいぐい押していくし、しまいには自分の武器すら使ってくる。もしあの人が王道ラブコメ作品でも創ったらつまらないだろう。多くの人の心には刺さらないと思うし、お前はこんなモノつくるんじゃない!と怒ってしまいそうだ。かなり辛口に聞こえるが、別に後輩のことが嫌いではない。羨ましいのだ。どうしてお前の持っている才能を生かさないんだ。誰かの言いなりになるな!といった感じだろうか。

 後輩は正しい選択をした。
「私は、私が好きな作品を作るので。」
 それでいいのだ。お前のその変人っぷりを皆の前でさらけ出すのだ。序盤から変わった作品だったら、皆も興味を持ってくれるはず。

 王道に頼るな。流行に頼るな。コンテストなんてどうでもいい。お前が創りたい作品を創れ。分かったな?