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「限りある」もの

 限りあるものは、どのように使えばよいだろうか。ここでいう「限りある」とは、レアメタルなどの貴重な物質のことではなく、地球そのものを指す。人の人生も限りあるし、森は最近のアマゾンのように焼けてしまうものもある。

 ものは長く使え、と子供の頃に親から教わった。文字通り、「限りある」からだ。半径 6371 km の球体に居座る 70 億人が贅沢をすれば、すぐに、それは秒単位で莫大な量を消費することになる。例えば、人が使える水は全体の 0.01 % といわれている。97.5 % ある海水を淡水に変えようとも機械が必要で、そのための金属はどうする?工場はどうやってつくる?そもそも、寿命ある人間は誰を使う?

 だから、「限りある」ものは必ず使わなければならない。そもそも、ものを大切にしようという発想は、人間が何も役に立たない塵屑で、人間の生活に役に立つ木や水が神のような存在、というところから来ていると思う。人間のために消費され、哀れな「もの」たちよ。

 では、「限りある」ものはどのくらい使っても良いだろうか。ところで、デザイナーベビーをご存知か。ある意味ランダム性の高かった赤ちゃんだが、なんと自分好みの性能にすることができるのだという。これが実現すれば、確率的に「限りある」ものを「限りない」ものにする大革新といえるだろう。可能性が有限から、無限に変わるのだ。

 「限りない」ものは、当たり前だがいくらでも使って良い。普段ゲームをしている人ならわかりやすい感覚だろう。ただ、この場合はレベルの低い攻撃とかアピールだったりと、運営がユーザーに「限りある」お金を投入させるために見せつけるただの手段だ。レアだから貴重品であって、エジプトにあってインドにあったような、数のピラミッドが見事に成立する。

 また、人類の大きな進歩のひとつに科学の発展が挙げられる。これまで存在しなかったものを存在させる学問だ。ただ、科学が始まった駆け出しの頃に「自然に抗うのは駄目だ」と反論した人が当然いたと思う。人間はただ、起きて狩りをして飯を食い、夜は異性と寝ればよいと考えていた人がいてもおかしくはない。

 科学は「限りある」ものを使って「存在しない」ものをつくるが、デザイナーベビーはどうだろうか。同じように見えるが、いちばん大事なことを忘れている。そう、倫理だ。

 人間は言葉を習得する代わりに、何をやっても許される権利を失った。人を殺してはならない、傷つけてはならない、いじめてはならない……。目を潰せば自分の目も潰されるという文章までつくりあげてしまった。このように「限りある」、もとい一つ (二つ?) しかないものを自主的に破壊してまで守らなければならないのが倫理である。

 だから、倫理が絡むと議論が先に進まなくなることがある。でも、倫理とは無縁の科学はすくすくと発展して、人類の歴史を変えてしまった。だからいっそ思いきり飛ぶ勢いで、遺伝子操作をやってみてはどうだろうか?さらに「倫理とは無縁の」科学が伸びるに違いない。

 ああ、人間って馬鹿だなあ。