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トライ・アンド・エラー

 僕たちが天才ではない限り、世の中全てを疑いながら自分にとっての真実を見つける必要がある。幼少期にお母さんから教えてもらった礼儀はほぼ正しかった。学校で実践すると先生に褒められ、友だちにも偉いねと驚かれた。しかし、当時の自分にとっては不可解なものであった。なぜ、常識を行使するだけでいい子扱いされるのか。

 クラスメートは、試行錯誤を細胞分裂のように行っていた。不良も多い町だったため、いたずら好きな男子が多くいかに大人にバレずに行動するかとか、友だちの悪口をどこまで回り道して言えるとか、そんなくだらないことに脳を使っていた。でも、試して失敗ならそこで叱責されるので、かなりギリギリ、金利でいうグレーゾーンに挑戦する人が多かった。もうチキンレースである。

 小学生の時は非行に挑戦した人も、上の学校に入学すればたちまちオトナに近づいた。男子は肉体がたくましくなり、女子は心が成長した。部活と勉強の対比に近いが、両者はそれぞれ自分の課題について、さまざまな角度から研究し始めた。

 もし、生活している中で上手くいかないことがあったら、それは不適な行為を長年していた可能性がある。勉強方法から、料理の作り方まで様々だろう。誰かから教えられたことよりも、さらに適切な(もしくは上位互換の)方法が存在するということだ。

 やり方を変えるのはそう簡単ではない。何かきっかけが必要なときも多いだろう。より安定した毎日を送るには、不安定な毎日を送る必要がある。その試みは、おそらく死ぬまで続くのだ。