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お金が欲しい

 天井はないが、底もない。そのふわふわした空間で僕たちは生活している。人生にメリハリがつき、生きがいになり得るのが仕事だ。各国の有能な人たちが集まって、国の今後を議論するのが国会で、常に手洗い場を清潔にするのがトイレ清掃員だ。9時5時で働き安定した給料を貰うのが公務員で、朝から晩まで働いても手当がない会社員もいる。

 やりがいを感じているならまだしも、生きるために仕事をするのか、それとも仕事をするために生きるのか、わけがわからなくなることがある。冷静に考えれば、どちらの「生き方」も正しいが、これで戸惑ってしまう要因にお金がある。そう、日銀が発行する紙幣と、造幣局でつくる貨幣のことだ。

 現代版時そばをつくるなら、ぼくは「諭吉が一枚、二枚、……」と言うだろう。学生の身、バイトもできず月々の小遣いから娯楽費を捻出する。ただ、僕は倹約家だからほぼゼロに収める。お金を貯めても仕方がないのだが、精神的に余裕を持ちたいのと、高い買い物が好きという理由があるから出費を抑えていると思う。

 近所に自称貧乏人の友だちがいる。父は単身赴任で別居、祖母と母と娘で暮らしているそうだ。進学先は東京の専門学校で、AO 入試を使うと言っていたが、彼女が提出物にルーズだったため、書類を出す期限を過ぎてしまったらしい。仕方ないから一般で受けるしかないと決意したらしいが、東京に行くなと言われたとか、親の離婚話を理由にして学業に身が入らない日々が続いている。

 お金があったら解決できた話かもしれない。家族一緒に仲良く暮せば何事も起こらなかったかもしれない。でも、価値観はそれぞれだから彼女が勉強をしないのも一つの手段だと思うし、それこそ彼女が大好きなドラマが生まれると思う。全てを綺麗事として表現するのも良くないが、この社会問題を世界に確認してもらうには十分な手段と捉えるのも無理がないだろう。

 でも、お金持ちになれば、生活には困らないが、本当に費やすべきものがわからなくなり、結局散財してしまうのではないかと危惧している。だから、少しは不自由があったほうが健全な会計を維持できると思う。ただ、この場合慢性的な疲労、ストレスがたまるからそれを続けるのも良くない。どうすればよいか。

 アルコールに限らず、中毒は様々なところで存在していると考える。お米だって、外国に数日いれば食べたくてたまらない気持ちに陥るし、友だちと会えない(現代風に言うと、スマホ禁止の)日々が続くとノイローゼになる人が続出するだろう。しかし、それは禁止した後の数日間の症状だ。熱が 40 度を超えても、いつかは平熱に戻る。中毒からは抜け出せるのだ。

 しかし、我慢しすぎると今度はノイローゼを超えて重度の精神疾患に罹るかもしれない。現代ではうつ病が良く知られているが、そう診断されていなくても同様の症状がある人は相当いると思う。自分だってそうで、ひどいときは線をぐちゃぐちゃにかいたり、暗い廊下で一人座り弁当を食べたこともある。我慢のしすぎは、絶対に良くない。

 ネガティブに生きるのが辛いなら、ポジティブに過ごせば良い。いつもニコニコ笑顔を振りまいて、大きな声で挨拶をする。困っている人がいれば、助けてあげる。友だちとラーメン山岡家に行く、などなど。

 こんなことでいいと思う。悔しさを昇華させて、毎日ハッピーに過ごそう。夜も踊り明かそう。景気を良くするために、お金を使いまくろう。そうすれば、土地の値段も上がって、……これは、泡沫ですね。