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「無料」の氾濫

「無料」という言葉に踊らされて、何に価値があるのか分からなくなってしまった。

 センター試験まであと 100 日を切ってしまった。ここまで来ては完璧、ベストを尽くすというのは難しくなってくる。〇〇より優れている、という表現は英語でいうと比較級と最上級に分かれている。だから、富士山の頂上を目指すのではなく、高みを目指しても七合目八合目までで良いのではないかという考えがあるサイトで紹介されていた。ベストを出すのが怖いならベターで勝負しようというのだ。

 勉強でわからないことがあると皆さんはどうするだろうか。先生に質問するのが一番手っ取り早いが、その先生と相性が分からなかったり、理解があまり深まらないときもある。そんなときには友だちや本にあたると良いと思うが、最近では「電位 わかりやすく」と Google 検索に打ち込むと、「誰でも分かる!電位とは?テストに出てくる?」などとご丁寧に自分の知りたい情報が詰まったサイトがヒットする。ありがたくクリックして記事を閲覧していくと、途中で「〇〇という教材を使えば 90 日で東大合格!」のようなはんかくさい広告が混じってくる。タダで教える代わりに、数万円するテキストを買えと言ってくるのだ。これは「無料」といえるだろうか?

 インターネット上に自分のサイトをつくることも、記事を作成することも必ず維持費や人件費(あるいは記事を書く時間そのもの)がついて離れない。社会はすべてボランティアで成り立っているわけではないから、こういう大規模な事業には大規模な資金が目まぐるしく取引されるはずだ。先程のサイトは基本無料のスマホゲームと同じで、ある程度より高度なレベルに行くにはお金が必要になる。それに口コミもサクラっぽく、とても信用できそうにない。残念ながら、知りたかった「電位」だけを簡単に教えてくれるサイトはそうそうないのだ。Wikipedia は専門的すぎて、高校生には難しい。

 僕もそうだが、人々は無料という言葉が大好きで、スーパーのチラシに紅白饅頭無料配布と書けばその日は大混雑する。たった数百円の違いにも敏感で、消費税が上がる前にはトイレットペーパーが良く売れたそうだ。オイルショックじゃないんだからと何だかばかばかしく思えるが、トイレットペーパーまとめ買い(節約)と饅頭 1 パック(無料)ならどちらを選ぶか?まだスマホの通信費を抑えた方がよっぽどお金をセーブできると思うが。

 とにかく、「無料」という言葉に惑わされる日々が続いている。何をしても無料だけどある時突然お金をよこせと言ってきたりするゲームをやり続けたり、食費や電気代などの生活費を節約しようともせず、わざわざコストがかかっても「無料」を優先させるその態度が良くわからないのだ。集客効果があるだけで、その「無料」という魔法の言葉が消えた途端、人はまた別の「無料」を探しに(それもコストをかけて)いく。落ち着いて考えられないのか、色々なメディアや情報に振り回されている自分を把握できていない。

 無料の代わりに数百円をゲームアプリの代金として設定すると、ろくに一円も払いたくないお子様や学生は勝手にフィルタリングされて、たちまち大人の世界に風変わりする。今月は友だちと遊びすぎたなーとか、奮発してパチンコに 10 回も行っちゃったなーという普通の人々と、普段から財布の口をきつく締め、面白そうなものには投資してみる少し上質な人々。たった数百円なのだから貧富についてはあまり考えなくて良さそうだが、要はそういうところなのだ。今の社会では仕方がないのだが、お金を少し多めに出すとその人は優遇される傾向にある。いくつかのグループにふるい分けされてその中でお金がゆっくりであれ早くであれ、ぐるぐると回っている。

【2019/10/09 追記:まだセンターまで 100 日を切っていませんでした。】