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【連載】ヘッジファンド解剖学:その起源から未来まで(2/10)

ヘッジファンドの拡大と低迷

1960-70年代のヘッジファンド

1960年代に入ると、ヘッジファンド業界はその認知度と規模が急速に拡大していきました。この期間は、特にソロモン・ブラザーズのようなウォールストリートの巨頭が新たにヘッジファンド部門を設立し、既存の投資銀行業務と組み合わせることで、金融業界全体に大きな影響を与えた時期です。また、多様な投資戦略の出現により、ヘッジファンドは新たな資産クラスへと拡大し、市場のリスクに対する保護(ヘッジ)と収益性の向上の両方を追求していきました。

しかし、1970年代には、ヘッジファンド業界はいくつかの困難に直面します。この時期は、石油危機やインフレの高まり、そして経済の不況といった複数の経済的挑戦が重なったため、多くのヘッジファンドが予測できない市場環境に対応するのに苦労した時期です。これらの状況が続いた結果、ヘッジファンドはパフォーマンスを大きく下げ、結果的に一部の投資家はヘッジファンドから撤退していきました。

また、1970年代は規制環境の変化の時期でもありました。1970年には、投資会社法の改訂が行われ、ヘッジファンドは新たな規制に対応する必要が発生しました。これにより、ヘッジファンドの運営はより複雑でコストがかかるものとなり、ヘッジファンドの成長と拡大に一時的なブレーキがかかることになったのです。

しかし、これらの困難な状況を乗り越え、1980年代に入るとヘッジファンド業界は再び活気を取り戻します。この内容は次回連載3で、ヘッジファンドの復活と要因について詳しく触れていきたいと思います。

ヘッジファンドの拡大と低迷の原因

ここで一旦、ヘッジファンドが拡大していった背景と低迷の原因について詳しく触れたいと思います。ヘッジファンドの拡大に関しては、前回の内容で登場したアルフレッド・ウィンスロー・ジョーンズがリーダブルショートセール(儲けるために株価が下がることを期待する取引)という概念を導入したことで、ヘッジファンドは他の投資ファンドと一線を画するようになったと言われています。様々なアセットクラスに対する投資能力、ソロモン・ブラザーズのような大手金融機関の参入、また金融市場における規制緩和もヘッジファンドの拡大に寄与しました。

ヘッジファンドの低迷を引き起こした主な要因は、その投資戦略の固有のリスクと、マクロ経済の不透明さでした。1970年代の石油危機や高インフレは、市場のボラティリティを増加させ、ヘッジファンドのリスク管理を複雑にしました。これにより、多くのヘッジファンドは損失を出し、一部は閉鎖に至りました。

さらに、新たな規制の導入もヘッジファンドの成長を停滞させました。1970年の投資会社法改訂は、ヘッジファンドの運営をより厳格に規制し、ヘッジファンドが新規投資家を募ることを困難にしてしまいました。これらの規制は、ヘッジファンドの運営をより複雑でコストがかかるものにし、ヘッジファンド業界全体の成長を停滞させてしまうことになったのです。

重要な金融機関の影響: ゴールドマン・サックスとJPモルガン・チェース

20世紀後半から21世紀初頭にかけて、ゴールドマン・サックスとJPモルガン・チェースはヘッジファンド業界における2つの最も重要な金融機関でした。それぞれがヘッジファンドの拡大に大いに貢献したと同時に、彼ら自身もヘッジファンドから大きな利益を得ました。

ゴールドマン・サックスは、プライム・ブローカリング(大口の投資家に対する総合的なサービスを提供する)を通じて、ヘッジファンド業界の成長を支えました。彼らはヘッジファンドに対して取引の実行、証券の貸出、レバレッジの提供、資金の調達といったサービスを提供し、その結果、多くのヘッジファンドが事業を展開する上で必要なリソースと支援を得ることができました。また、ゴールドマン・サックス自身もヘッジファンド運営を行うなど、この業界で積極的にビジネスを展開していました。

一方、JPモルガン・チェースは、ヘッジファンドに対する資金調達とリスク管理の支援を通じて、その成長に大いに貢献しました。特に、JPモルガン・チェースはデリバティブ(派生商品)と呼ばれる金融商品を用いたリスク管理の手法を提供し、これによりヘッジファンドはマーケットリスクをより効果的に管理することが可能となりました。また、JPモルガン・チェース自身も大規模なヘッジファンドを運営しており、金融市場におけるその影響力は非常に大きいものでした。

これらのような金融機関の支えもあり、ヘッジファンド業界は成長することが出来たことも忘れてはいけません。