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成功の意味、50歳の抱負


「自分の人生は何のためにあるのかがなんとなく分かるようになってくる」
五十にして天命を知る。の50歳になりました。

若い時と比べて明確な変化は
「目が見えなくなる、耳が遠くなる。」
「しわ、シミ、変な肉、総じて見た目」
「記憶力退化、頭の切れがなくなってくる。」

人間にとって成長は嬉しくて、大切な事だと思います。
でも、現実に直面する真反対の「退化」のような現実。そして不可逆&加速w

成長ってなんだろう。成功ってなんだろう。幸福ってなんだろう。

そんな事を考えてみると、それなりに答えが出てくるw
さすが50。と思い書いてみました。


非日常と日常


僕は30歳で起業をし20年間起業家として人生を送ってきました。
コロナのような非日常は20年の中で印象的なだけでも3回
ITバブルの崩壊、リーマンショック、東北の震災、そして今回のコロナ

若い時には日常が続くものだと考えていたように思いますが、振り返ってみると、定期的に「非日常」がやってきます。

起業家としての自分の成長を振り返ると、非日常、困難に立ち向かい乗り越えることで成長してきたように思います。
成功というものを考えた時にも、いかに困難を乗り越え成長したのか?という延長に形作られているように思います。

では、その成功とはなんなのか?を考えてみると
「安定した日常」を手にする力であるように思うのです。

人は、安定したお金と、生活を手にした日常を持っている状態を目指し
「成功者」というように思うのです。

「非日常」で成長し、成功し、安定した「日常」を求める。
しかし、「非日常」が常にやってくる。


ドーパミンとセロトニン

一方僕は、「幸福とはなにか?」について考え続けてきました。

「非日常」に立ち向かい乗り越えた時に発生するドーパミンという神経物質による幸福
「日常」の心の安定、安心に感じるセロトニンという神経物質による幸福

起業家仲間の友人を見ていると
成功者というのは、常に困難な壁「非日常」に立ち向かい、ドーパミンを使って活力を持ち、乗り越え成長し、成功を手にしてきた人の事を言うように思います。

社会的に成功している友人が、トライアスロンをはじめたり、キックボクシングをはじめたり、さらに大きなチャレンジを求める姿を見ると

「ドーパミンジャンキーw」という言葉が浮かんできます。

頭の切れも、肉体も退化していく50歳
いつまでドーパミンジャンキーでやっていけるのか?に悩んでいる友人が多くなってきたように思います。

ここでドーパミンとセロトニンの特徴について考えてみると
ドーパミン的な幸福は、短期的で麻薬的に「もっと、もっと」欲しくなる種類の足し算の幸福で
セロトニン的な幸福は、持続的で自己の認識によっては道端に咲いている花にも感じることのできる「足るを知る」引き算の幸福なのです。


成長と成功と幸福


ここであらためて考えてみたい事があります。
成長し、成功し、幸福になる。

この3つに相関関係はあるのでしょうか?

結論から言うと、全く関係ないというのが僕の50歳の結論です。

成長とは、肉体的なものでしょうか?記憶力のことでしょうか?頭の切れでしょうか?
勝負に勝てる力を身に着けることでしょうか?

成功とは「なにかの目的を達成する事」というのが定義のはずです。資本主義の中で「資本を最大化する事」を目的とするのが当然だという画一的な暗黙がありますが、そうではない人も多いはずです。特にコロナや環境問題で人類の存続が危ぶまれる現在においてはナンセンスな目的に成り下がっています。

幸福もドーパミンとセロトニンの例をあげるまでもなく、非常に多様で画一的なものではあり得ないはずです。


究極は幸福、成功はどうでも良い。


50歳になって、様々な退化を体験していますが、人生において一番幸福を感じています。

「非日常」の困難を繰り返し乗り越えてきた事
「日常」の中で小さな幸福を感じ、人とのつながりに感謝できるようになった事で

幸福を感じる「心を高める」事ができるようになったのだと思います。
僕にとって一番重要な「成長」は、心の成長だと感じます。

多くの困難を乗り越えてきたおかげかもしれません。

将来に対する不安には全く動じなくなりました。
というよりも、将来の不安に支配されて「今」を過ごすことが最も深刻な将来につながる事を理解したのかもしれません。

コロナ、異常気象。世界全体の多額の負債、期待外れのオリンピック
画一的な「成功」というパラダイムで見ると不安な事ばかりです。

画一的な「成功」というパラダイムは時代によっても変わります。
戦国時代に生まれていれば、「喧嘩に強い」事が成功です。

自分が定義したわけでもない、画一的な「成功」のイメージに振り回されて、今という貴重な時間を不安に染めていく事の愚かさを感じます。


日常の土台


大概の非日常に関して動じなくなった50歳。

今からの時間をどのように過ごすのか?を考えた時に一番重要なのは
「日常」であるように思います。

日常のあらゆる場面に幸福を感じ、つながりを感じ、感謝をできる。

そんな土台から発する今まで以上に新たなチャレンジに立ち向かい、うまくいかない事や非日常に出会い、立ち向かい、乗り越えていく。

これからの時間をそのように過ごす事ができる自分に成長できたなら
それが自分にとっての「成功」だと思うのです。

皆様と共に、日常、非日常を楽しんでいきたいと切に願っておりますので、今後ともよろしくお願いします!


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西坂勇人/GCストーリー
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